Advertisement

【テニス】国枝慎吾、東京パラの「俺は最強だ」伝説をふり返る 物語はパリへと続く

【テニス】国枝慎吾、東京パラの「俺は最強だ」伝説をふり返る 物語はパリへと続く
男子シングルス・車いすテニスで東京五輪金メダルの国枝慎吾(C)ロイター

男子車いすテニスでは国枝慎吾が、トム・エフベリンク(オランダ)を6-1・6-2で破り、シングルスで自身3度目の金メダルに輝き完璧なフィナーレを飾った。

生まれ故郷である東京で栄光を手にした国枝は、日の丸を背に何度も何度も泣いていた。その姿にコーチを務めた元プロ選手である岩見コーチをはじめ、北嶋トレーナー、関係者と皆が顔をくしゃくしゃにさせるほど日本陣営は涙に包まれていた。解説を担当した盟友、齋田悟司氏も「リオ・パラリンピック後は本当に辛かったですからね。その姿を見てきましたから……」と声を詰まらせ感極まった。

◆【動画】「この日のためにすべて費やした」男子シングルス・車いすテニスで金メダルの国枝慎吾、試合後のインタビュー

■ケガによるドン底でのフォーム改善

国枝にとって初めてのパラリンピック挑戦となった2004年のアテネ大会でダブルス金メダルを獲得。この時のパートナーは日本車いすテニス界のパイオニアとして活躍し、今大会の解説者でもある齋田氏だ。

その後06年10月に世界ランキング1位の高みへ到達し、08年北京大会では痛めていた肘の手術後にも関わらず、アジア人初のシングルス・ダブルス共に金メダルに輝いた。翌年の09年にプロ転向、12年ロンドン大会ではシングルス2連覇を達成し「絶対王者」としてのキャリアを積み重ねていた。

しかし15年に再発した肘の痛みが長引き16年4月に2度目の手術に踏み切る。4か月後、痛み止めを打ちながら臨んだリオ大会では本来のパフォーマンスが出来ず準々決勝で苦杯をなめた。その時、国枝は失意のどん底を味わう

大会後、数か月の休養を経てもボールを打てば痛みがあった……「引退」の文字が何度も頭をよぎった。試行錯誤した結果、痛みと付き合いながら、関節への負担を軽減するためにフォーム改善に励むことを決意。それもグリップの握り方から変えた。

選手にとってグリップを変え、フォームを作り直すことは、身体の使い方から打球までのリズム、打感さえ全く違うものに移行する大仕事。ましてや試合に直結させるまでに時間もかかる。取り組みだした当初はボールがネットまで届かなかったとも話し、この東京大会の金メダルなど想像すらできなかったという。

未来への不安も募り、復帰した17年のツアーでは勝てない日々に四苦八苦したはず。何より今まで確立してきたテニスを崩し、再度新たなテニスに挑戦する中で「世界王者」から脱落していく現実は、精神的に追い込まれていく一方だっただろう。

Advertisement


■世界ランキング1位の「巧みなプレー」

だが、転んでもただでは起きないのが日本のエース国枝慎吾の真骨頂だった。

18年1月の全豪オープンで3年ぶりにグランドスラムのシングルスで優勝し、続く6月の全仏オープンも制した。そして16年1月以来に世界ランキング首位の座に戻ってきたのだ。

パラリンピックの栄光以外にも、彼はすでにグランドスラム車いす部門で男子歴代最多となる45回(シングルス24回、ダブルス21回)の優勝を成し遂げているレジェンド。この東京大会では自身の夢を追いかけると同時に、これからの車いすテニス界、障がい者スポーツに更なる光を当てるべく戦いに臨んだ。

いくつもの歴史的熱戦を繰り広げてきた有明コロシアムに、身体からはちきれんばかりの熱気をまとい登場。白熱した試合は大会最終日のラストマッチに相応しい戦いだった。「男と男のぶつかりあい」そう感じるほど互いの誇りや背負った期待、勝利への渇望が1ポイントごとに滲み出ていたように思う。

国枝は、立ち上がり1ポイント目から積極的にネットに前進し、自身の意思を相手に見せつけた。エフベリンクのスピン量の高いフォアハンドを上手く受け止めながらも攻めるべき場所を逃さない。

世界一速いと言われえる神業のチェアワークを存分に生かし、ベースラインより中に入り、先手を打っては相手が上に逃げてくるボールをドライブボレーで仕留め続けペースを握った。また、苦労し改良を重ねたバックハンドも好調、思い切り振りきっては爽快にウィナーを奪った。

無理をせずに相手を揺さぶりながら一瞬にして時間を奪い叩き込む様は、まさに「王者の巧みなプレー」と見ている者を唸らせた。

Advertisement


エフベリンクも負けじとバックハンドでボールを滑らせたり、チップさせたりと国枝のタイミングを外しては剛腕なフォアハンドを使い得点を重ねた。だが今回ばかりは王者の試合運びは1枚上手だった。

4度の「金メダルポイント」をセーブされても落ち着いたプレーから、最後まで攻め抜き感動の瞬間を味わった。