【プロ野球】「引退はひとつの死」 最速118キロで幕を閉じた松坂大輔の野球人生

23年間の現役生活に別れを告げた松坂大輔(提供:西武ライオンズ)

「プレーヤーにとって、引退とはもうひとつの死のようなものだ」。

これはかつて、あるメジャーリーガーが語った言葉だ。

どれほど素晴らしい成績を残しても、輝かしい栄光をつかんでも、アスリートの命は永遠ではない。

肉体的な衰え、重なる故障、気力の減退、若い世代の突き上げ、理想の自分との乖離……さまざまな要因から「ユニフォームを脱ぐ日」を誰もがイメージするものだ。だが、その「いつか」はできる限り先延ばしにしたい――。それがすべてのプレーヤーの本音だろう。

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■松坂が最後の登板前に吐露した思い

2021年7月7日に現役引退を発表した西武松坂大輔は、球団から記者会見を促されても表には一切出てこなかった。

10月19日、最後の登板前に行われた記者会見の冒頭で、松坂はこう語った。

「選手は誰しも、長くプレーしたいと思い、こういう日がなるべく来ないことを願っていると思うんですけど。(僕も)今日という日が、来てほしいような、来てほしくなかったような、そんな思いがあったんです」。

引退会見をこの日まで延ばしたのには理由があった。

「僕自身が(引退を)発表したものの、なかなか受け入れられなかった。気持ちが揺れ動いているというか……」。

しかし、横浜高校で3年間、その後23年間もプロ野球で酷使してきた体は限界を超えていた。右手と首にしびれが出ては、満足なピッチングができるはずがない。「(引退を)発表してから『やれそうだな』と思った日は一度もなかった」と語っている。

■肩を痛めてからは「投げ方を変えざるをえなかった」

肩に異変を感じたのはメジャーリーグのボストン・レッドソックス時代、2008年5月のことだった。遠征先のオークランドで、ロッカーからブルペンに向かう途中で足を滑らせた。

「とっさにポールのようなものをつかんだんですけど、その時に右肩を痛めてしまって、そのシーズンは大丈夫だったんですけど、オフからいつもの肩の状態じゃないと思いだして」。

それからは、痛くない投げ方、痛みが出ても投げられる投げ方に変えざるをえなかった。

「だから、もうその時には、自分が求めるボールは投げられてはいなかったですね。その時その時の最善策を見つける、その作業をしていました」。


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