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【NCAA】全米学生テニス選手権出場の日本勢が「アメリカで身に着けた力」とは…

【NCAA】全米学生テニス選手権出場の日本勢が「アメリカで身に着けた力」とは…
WCCプレイヤーオブザイヤー賞に輝いた福田詩織 提供:本人

■ペッパーダイン大学院に入学からの成果

最後に今大会で6年間のアメリカ・テニス生活を終えた福田詩織について記す。

福田は、これまでに大学テニスで複数の賞を獲得するほど大いにアメリカで活躍してきた選手だ。今季の活躍からは、個人戦で上位16シードに入った選手に贈られるITAオールアメリカン賞や、地域で活躍した選手に贈られるWCCプレイヤーオブザイヤー賞などを受賞。そんな福田にとって今大会は進路を決める分岐点。「全米で1番になったらプロ転向する」と入学当初から心に決めた戦いの最終決戦でもあった。

15歳と16歳で中牟田杯とMUFGジュニアを制しプロになることを目指し始めた少女は、18歳の全日本ジュニアで優勝できなかったことを機会に修行の場をアメリカへと移した。そしてアメリカを選んだ理由には「テニスが終わってからも世界で活躍したい」とスキルの高い英語を獲得したかったとも語る。文武両道の大変さに四苦八苦しながらも「どうせやるならオールAがいい」と勉強にも手を抜くことはなかった。

コート上に上下関係がなく、実力社会の環境には居心地が良かったとも話す。「1年生がボール運びやコート整備をする決まりもないし、私が年下の子のランドリーを任されることにも嫌な気はしなかった。それよりも一人ずつ意見が言える環境で自身の高みを目指すことが重要で、コーチとの関係性も平等だった」。

大学4年間をオハイオ州立大学で過ごした福田は、アメリカ中西部に位置する立地から日本人に会うことは稀になかったともいう。その環境が尚更、自身の意見や思想を確立する機会に変わり、何事も自分の意志で決める力はより強くなった。その姿には日本の母から「帰国する際は少しでいいから日本人になって戻ってきなさい」といわれるほど、それを面白そうに笑う彼女は異国で生き抜いた証を手にしているようだ。

試合でガッツポーズする福田詩織 提供:本人

リューと同様に4年目となる2020年がコロナイヤーとなったことから、新ルールを活用しペッパーダイン大学院に入学。「全米一しんどいトレーニングだった」と振り返る部活では、過呼吸になるほど心身共に追い込みをかけ今大会に臨んでいた。しかし結果は無念の1回戦負け、福田のプロへの夢は断たれてしまった。

だが、テニスの神様が見ていたのだろうか。アメリカに渡る時に誓った「テニスが終わっても世界で活躍する」という決意が報われるかのように、困難と言われるアメリカでの就職を内定させるオファーレターを引き寄せる。それも試合に敗れた当日に、だ。これには「ある意味、落ち込む暇もかった」とセカンドキャリアへの移行を決断。今では「アメリカで夢を追いかける子たちをサポートするファンドを立ち上げられるように頑張りたい」と新たな夢を掲げると同時に、「日本のテニス界を少しでもアメリカに近づけたい」と今後もテニスに携わる意向を示した。

日本の夏はジュニア大会や学生大会の全国大会で溢れかえるイメージだが、アメリカは6月から8月と夏休みに入り部活動や大会は一切ない。すべて個人に任せたセルフトレーニングの期間に入り、ITFツアーに挑戦する選手もいるという。日本とシステムやルールが違う一方で、留学した日本選手たちは異国の環境を活用し、力を伸ばすことに精進していた。そして「スーパー民主主義」で成り立つ大国では、やはり「自分自身の意見をはっきり持つことが大切」だと各選手の口からよく聞かれるものだった。

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著者プロフィール

久見香奈恵●元プロ・テニス・プレーヤー、日本テニス協会 広報委員

1987年京都府生まれ。10歳の時からテニスを始め、13歳でRSK全国選抜ジュニアテニス大会で全国初優勝を果たし、ワールドジュニア日本代表U14に選出される。園田学園高等学校を卒業後、2005年にプロ入り。国内外のプロツアーでITFシングルス3勝、ダブルス10勝、WTAダブルス1勝のタイトルを持つ。2015年には全日本選手権ダブルスで優勝し国内タイトルを獲得。2017年に現役を引退し、現在はテニス普及活動に尽力。22年よりアメリカ在住、国外から世界のテニス動向を届ける。