【フィギュア】「自分の心を守っていく」羽生結弦引退会見の衝撃と残る感謝の念

羽生結弦(C)ロイター

日本中、いや世界中に羽生結弦引退”のニュースが駆け巡っている。

14年のソチ、18年の平昌オリンピック2連覇。6度の全日本選手権制覇。世界選手権でも2度の金メダル。18年には国民栄誉賞が贈られたこと等々は、今さらあらためて書くまでもない広く知られた彼の実績だ。7月19日の会見で、羽生は競技者としてではなく、プロのアスリートとしてスケートを続けていくことを宣言したのだ。競技者として、他者と争うことは終わるが、4回転半の完成などスケートと向き合い続ける姿は見せていくという。

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■重荷だった羽生結弦という存在

実に多くのインタビューや記事がこの会見後、各メディアを賑わしたが、数々の彼の発言の中でも印象に残ったのは、本人による「僕にとって羽生結弦という存在は常に重荷でした」という告白と、「もう、心を大切にしてもいいんじゃないかなと思った」という言葉である。

フィギュアスケート部門で日本人初のオリンピック金メダル2連覇のみならず、前人未到の4回転半の完成を求めながら、常にトップを走り続けることがいかほどの痛みや負荷を伴うものなのか。必死に想像力を働かせてみても、私などが到底その“境地”を実感できるはずもないのだが、上記の彼の言葉によって、「心を大切に」することさえも自分に許さず、「羽生結弦」であり続けることを自らに課していたのだということを知り、その“重圧”の片鱗をほんの少しだけ、想像できるような気がしてきた。

人はスピンを回る時、身体の軸を可能な限り細く強く、絞り込んでいかなくてはならない。床と常に接触しているダンスでも、3回転、4回転と床からの力を借りながら、重力に逆らって自分の軸の遠心力を頼りに回転するのだが、フィギュアのジャンプ、そして羽生が追求している4回転半はそれを氷上で跳んでいる間に行い、氷に着地する。その時に必要な軸の細さと強靭さ、着地の衝撃とリスク、実行する際の心の強さと迷いのなさ。それらすべての要素を揃えて磨き、叩き上げ、決意をもって跳んできたのだと思われるが、そこで人間であれば当然心に湧き上がるであろう不安や恐怖には目を向けてこなかった。もしもその声を聴いていたら出来ないことだった、ということなのだろう。

心を鬼にして」という言葉があるが、試合に臨むときの羽生は、毎回まさに「鬼気せまる」気迫を全身に漲らせ、青い炎のような凄みを纏ってリンクに立っているように見えた。それは、その競技上の戦いに勝つための凄みだけではなく、彼は自分自身が追い求める羽生結弦という存在の重荷に打ち勝つために、本来、一流の表現者として人一倍感受性も豊かで、ある意味、人よりも繊細であろうはずの心を顧みることなく、まさに“鬼と化して”戦っていたのだ。改めてそう認識して過去の映像を見てみると、彼の表情や振る舞いから、そのひたむきさと覚悟がこれまで以上にリアルに感じられ、胸を締め付けられるような気持ちになる。そうやって彼は、結果を残してきたのだ。

■プロのアスリートとして理想を追い求める

自らを限界まで追い込み、競技に立ち向かってきた羽生。今後、勝負の場からは離れるが、本人に寂しさはないという。会見の最後に、プロのアスリートとして自らの理想を追い求めていき、再度「自分の心を守っていく」と語っている。

彼が競技の世界から離れると聞き、複雑な気持ちを抱くファンも多いと思われるが、試合という限られた場で、“羽生結弦であること”の重圧から解き放たれた彼は、今後、新たな一面を見せてくれるに違いない。心を守り、その心が命ずるままに滑ることを自らに許した、新生・羽生結弦の演技がどんなものになるのか。ここからさらに、どのように輝きを増していくのか。

そして、まだ続けてゆくという4回転半との闘いは、その中でどんな風に立ち現れてくるのか。スポーツエンターテイメントとしてのフィギュアスケートの可能性を羽生は大きく切り開いて進んでいく。これまでの闘いと、その軌跡と実績への感謝と、この先の素晴らしい展開を祈って、次に彼が降り立つ大舞台を夢見て待ち受けたい。

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著者プロフィール

Naomi Ogawa Ross●クリエイティブ・ディレクター、ライター
『CREA Traveller』『週刊文春』のファッション&ライフスタイル・ディレクター、『文學界』の文藝編集者など、長年多岐に亘る雑誌メディア業に従事。宮古島ハイビスカス産業や再生可能エネルギー業界のクリエイティブ・ディレクターとしても活躍中。齢3歳で、松竹で歌舞伎プロデューサーをしていた亡父の導きのもと尾上流家元に日舞を習い始めた時からサルサに嵌る現在まで、心の本業はダンサー。


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