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【プロ野球】ドラフト会議の光と影、「選ばれし者」の行く末 大谷翔平も強行指名の過去

 

【プロ野球】ドラフト会議の光と影、「選ばれし者」の行く末 大谷翔平も強行指名の過去
2017年12月25日、札幌ドームでメジャー挑戦のため日ハム・ファンに別れを告げる大谷翔平 左は栗山監督  (C) Getty Images

毎年10月から11月はプロ球界から去る選手たちの切ない思いとこれから門をたたく若者たちのわくわくした思いが交錯する季節である。

10月14日現在、第一次戦力外通告期間が終わり、12球団合計で支配下選手49人の退団が決まっている。やり切ったという言葉を残し引退を表明した選手はそのうち数えるほど。多くの選手は他球団での現役続行を望んでいる。

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■10倍以上となる狭き門

一方、大学生と高校生のプロ志望届提出者は合計で341人もいる。プロ志望届を出す制度がない社会人野球と、独立リーグ在籍者でプロを希望する選手を入れると、空いている椅子の10倍前後の志望者がいる計算になる。

いかにプロ野球の選手が「選ばれし者」であるかと同時に、せっかく選ばれた選手たちが数年後には志なかばでその世界を去らなければならない、という事実も思い知らされる。

各球団の支配下登録選手数は上限が決まっており、新入団の選手と同じ、もしくはそれ以上の数の選手に出ていってもらわなくてはならない。

新入団選手が金屏風の前で監督を囲んで誇らしく記念写真を撮るのを見るたびに、この中の何人かにとってはこれが最初で最後の輝く舞台になる事実に思いを巡らさずにはいられない。

学生や社会人の中にもすでに「1位指名する」と球団が公表しているような選手から、「どの球団でも、何位でも、たとえ育成枠でもいいから自分を指名してくれれば」と祈るような気持ちでドラフト会議を見守る選手まで、いろいろなレベルがある。そうした、指名を受けられるかどうか……瀬戸際の選手から見れば、最近はすっかり減ってきたけれどもせっかくの指名を拒否する選手に対しては「替われるものなら替わってほしい」と思ってきたのではないか。

これまで何人もの選手がドラフトで指名を受けたのに拒否し、社会人野球に進んだり、浪人を選んだりしてきた。選手から見れば一般の高校生や大学生が能力次第で自分の進路を自分で決められるのに、プロ野球の世界はそれができないというのは理不尽という思いがあり、特定の球団名をあげて「この球団以外の指名を受けた場合は社会人野球に進む」と公言する選手もいた。プロ志望届の制度がない時代はほんとうにプロ野球に進む気がないという選手もいた。

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球団側も黙って手を引くわけにはいかないという場合がある。敢然と指名をする場合もあるし、1位指名で交渉権を得た場合「拒否」されてその貴重な枠をみすみす無駄にするのも残念なことである。

球団にとってどうしてもほしい選手の意中の球団が別だったり、プロ入りしないという意思を表明したりする場合、球団の担当スカウトが選手の意志の固さを探って報告するのだろう。実際に強行指名した場合、過去にはほんとうに事前の宣言どおりに入団拒否を貫いた例も数多く発生した。古くは江川卓(作新学院と法政大)、元木大介(上宮高)、長野久義(日大とHonda)菅野智之(東海大)らが代表的な例である(すべて最終的には巨人に入団)。一方、翻意して指名された球団に入団した例が、早稲田大学進学を表明していた桑田真澄(PL学園)、高卒でメジャー入りを目指していた大谷翔平(花巻東高)などである。

前者ならスカウトを中心とする球団が選手の本心を見誤ったことになるし、後者なら球団がスカウトを高く評価するべきだろう。

そして六大学リーグにおいて5試合連続完封、53イニング連続無失点記録を樹立、大学4年間で31勝、防御率1.82の成績を残した志村亮(慶応義塾大)のように「プロ入りしない」とドラフト前に公言、全球団が指名を控え、実際にプロ野球にも社会人野球にも進まなかった例もある。

今年はそのような意思の表明をしている選手が見当たらず、この観点からの興味は薄いドラフトとなる。あとは、志望届を出したのにどこからも指名を受けられなかった選手の身の振りかたに重大な関心を持つものである。

2022年のプロ野球ドラフト会議は20日17時開始となっている。

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著者プロフィール

篠原一郎●順天堂大学スポーツ健康科学部特任教授

1959年生まれ、愛媛県出身。松山東高校(旧制・松山中)および東京大学野球部OB。新卒にて電通入社。東京六大学野球連盟公式記録員、東京大学野球部OB会前幹事長。現在順天堂大学スポーツ健康科学部特任教授。