内田篤人選手は鹿島アントラーズの右SBで活躍し、日本代表でも主力として貢献してきた名プレーヤー。海外リーグへの挑戦でも成功を収めたといえる内田選手だが、W杯に関してだけは不完全燃焼だった。
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メンバー選出も結果が出なかった南アフリカ・ブラジル
19歳で日本代表に選出された内田選手は、サッカー選手の憧れであるW杯の日本代表に2回選出された。2010年の南アフリカW杯と2014年のブラジルW杯での内田選手について振り返ってみよう。
1試合も出場できなかった南アフリカW杯
内田選手が日本代表候補合宿に初招集されたのは2007年だが、代表デビューは2008年1月26日のキリンチャレンジカップのチリ代表戦だ。スタメンで出場して71分に交代した。
代表デビューした際の内田選手は19歳305日。Jリーグ発足後の代表デビューでは市川大祐、小野伸二、梅崎司に次いで4番目となる若さだ。この試合で日本代表の岡田武史監督(当時)に能力を高く評価される。
また、南アフリカW杯の出場権獲得を目指すアジア3次予選グループ2の2008年2月6日の第1戦のタイ代表戦にスタメンでフル出場。Jリーグ発足後、W杯のアジア予選に10代の選手が出場するのは初めてだ。内田選手は2010年の南アフリカW杯の日本代表メンバーにも選出される。
しかし、岡田監督がW杯の開幕直前に戦術を変更。これにより内田選手の出場機会が減少する。
積極的な攻め上がりが持ち味の内田選手は、決して守備力が低いわけではない。しかし、岡田監督は高い守備力を持つ今野泰幸選手を本職ではない右SBで起用。さらに今野選手が負傷すると駒野友一選手をスタメンで起用した。
日本代表はグループステージのグループEの3試合(2勝1敗)、さらにラウンド16の1試合(パラグアイ代表に0-0 PK戦3-5)を戦ったが、内田選手がW杯のピッチに立つことはなかった。
ブラジルW杯は決勝トーナメント進出ならず
南アフリカW杯が終わり、日本代表にアルベルト・ザッケローニ監督が就任すると、内田選手は再び右SBのスタメンに定着した。
内田選手は2010年7月1日にブンデスリーガのシャルケに完全移籍。ヨーロッパの強豪クラブとの試合で守備面もレベルアップした。だが、2014年2月9日の試合で右の太もも肉離れと腱断裂という重傷を負ってしまう。手術が必要という診断もあったが、それではW杯に間に合わなくなる可能性もあった。
内田選手は負傷した体で帰国。アントラーズ時代から診てもらっている医師の判断をあおぎ、手術をせずに怪我を治した。そして「最初で最後のW杯というくらいの覚悟」でブラジルW杯に臨むことに。
グループステージ・グループCの第1戦のコートジボワール戦で内田選手はスタメン出場。ついにW杯のピッチに立った。だが試合は1-2で敗れ、第2戦のギリシャ戦は0-0で引き分け。
長身のDFがいるチームに対しては低い弾道のクロスもあげるなど工夫して戦う内田選手。だが第3戦のコロンビア戦も1-4で敗れ、日本はグループリーグ敗退に終わった。
3試合ともスタメンフル出場だった内田選手だが、チームは結果を出せず。試合後には「ちょっと前からずっと考えていたこと」と語り、日本代表引退をほのめかした。
ロシア大会・3度目のW杯メンバー入りへの挑戦
一時は日本代表引退を示唆した内田選手。だがその後に考えを変え、怪我とも戦いながらロシアW杯出場を目指す。
アントラーズ復帰で狙った日本代表復帰
ブラジルW杯終了後、日本代表はハビエル・アギーレ監督が着任。内田選手は2011年11月のキリンチャレンジカップ日本代表に招集され、同年11月14日のホンジュラス戦にスタメン出場した。
だが、2015年3月に膝蓋靭帯。ヴァヒド・ハリルホジッチ監督が着任した同年3月31日、JALチャレンジカップのウズベキスタン代表戦が日本代表戦として最後の出場となった。
内田選手は2015年6月に膝蓋靭帯の手術を行ったが、症例が少ない負傷で治療方法がハッキリとわからない。「引退」が頭にちらつく中、アントラーズの施設でリハビリを行い、状態が回復してピッチに立ったのは2016年12月だった。
しかしその試合を最後にシャルケでは出番がなくなり、2017年8月にウニオン・ベルリンへ移籍。そして2018年1月にアントラーズに復帰した。ロシアW杯の代表メンバー入りを考えての決断だった。
達成できなかったロシアW杯出場
2018年2月にはJ1リーグ戦の開幕前からアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)にも出場。海外でのアウェイゲームも含めてハードな試合日程が続く中、アントラーズに貢献しつつ代表復帰を狙った。
だが、2018年の内田選手は肉離れという負傷を抱えつつプレー。公式戦に出ず治療した時期もあったが、日本代表選考を考えて自分から「行きます」と言って試合出場を強行したこともあった。
ロシアW杯の代表メンバー発表前に行われる最後の日本代表戦は、2018年3月のキリンチャレンジカップ2試合。しかし、その日本代表メンバーの中に内田選手の名前はなかった。
2018年4月にハリルホジッチ監督が解任され、日本サッカー協会の技術委員長でアントラーズの試合も視察していた西野朗さんが日本代表監督に就任する。その変化で新たな可能性も期待されたが、内田選手はロシアW杯の日本代表メンバーに入れなかった。
ACLで優勝したアントラーズは2018年12月のクラブワールドカップに出場する。内田選手は日本代表選手としてではなくアントラーズの選手として世界一を目指す。
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