鹿島アントラーズDF内田篤人選手は、2014年2月に右膝を負傷して以降、常に自分と戦いながらプレーしてきた。今回は、内田選手の右膝の怪我から復帰までの1年9か月を紹介する。
目次
手術を回避し、ブラジルW杯出場を目指した2014年
2014年2月9日ハノーファー戦。内田選手の長くて険しい日々が始まるとは、まだ誰も知る由がなかった。
2月9日のハノーファー戦で右足裏の腱を損傷
2月9日のハノーファー戦試合終了目前、後半43分。シャルケが2-0でリードしている状況で内田選手がボールを運んでいたところ、右足の負傷を訴えた。内田選手にしてはめずらしく、自ら交代を申し出た。
翌朝、病院で受けた診断は、右太ももの肉離れ。内田選手は、すでに過去に肉離れの経験があったので、診断されたときそれほど大ごとには捉えず「またリハビリしなくてはいけない」としか思っていなかったと後に語っている。
念のため、シャルケのチームドクターに足を診てもらったところ「右膝の腱がないぞ」と言われる。急いで車で2時間ほどかかる病院へ行き、2人のドクターに診察してもらった。診断結果は「早急に手術を受けた方が良い」とのもの。
内田選手は「手術を受けたらブラジルW杯に出られない」という気持から手術を回避。日本のドクターにセカンドオピニオンを求めるべく、代理人の秋山祐輔さんへ手配を依頼した。
日本に一時帰国し、鹿島アントラーズのチームドクターに診察を受けた内田選手。診断結果は、「右膝裏の腱損傷で全治3か月」しかし、今は手術をしなくても大丈夫とのことだった。
ここから、内田選手の国立スポーツ科学センター(JISS)でのリハビリ生活が始まる。この時のことについて内田選手「苦しいものではあったけど、すごく楽しくもあった」と語っている。他競技の選手と話をする機会があり、それが良い刺激になったそうだ。
JISSでのリハビリを終えた内田選手は、再びドイツへ戻った。2013-2014年シーズン中の復帰はできなかったが、2014年5月12日のブラジルワールドカップメンバー発表会見では、内田選手も無事に名前を呼ばれている。
5月27日のキプロス戦はスタメン出場
復帰戦となった5月27日のキリンチャレンジカップ・キプロス戦で、内田選手はスタメン出場。しかも、前半43分にはこぼれ球に反応して先制ゴールを決めている。これが決勝点となり、日本が1-0で勝利した。
内田選手は、前半のみプレーし、後半開始からはハノーファー(当時)の酒井宏樹選手と交代している。
6月、ブラジルW杯は全試合スタメンフル出場するも日本代表は完敗
内田選手はその後、6月2日のコスタリカ戦、6日のザンビア戦にスタメン出場するも後半で途中交代。結局、ブラジルワールドカップ本番前にフル出場はできなかった。
ついに迎えたブラジルワールドカップ。内田選手は、コートジボワール戦、ギリシャ戦、コロンビア戦の全試合でスタメンフル出場を果たした。しかし、「右足は地面についているだけの状態」だったという。日本代表も完敗に終わり、グループリーグ敗退が決まった。
2014年7月以降は欠場が相次ぐ
ブラジルW杯後の休暇を経て、内田選手は新シーズンに向けて準備するべく、チームに合流。その2日目である7月17日に右膝の痛みを感じたため、練習を切り上げた。
検査結果は、「右膝蓋腱の炎症で全治2~3週間」だった。これにより、内田選手は2014-2015年シーズン開幕に間に合わない可能性が浮上した。当時、ドイツ・キッカー誌では「早すぎたW杯出場のつけ」と報じられた。
結局、シーズン序盤に4試合欠場したものの、その後13試合に出場し、ブンデスリーガ公式サイトのベストサイドバックに選出された。しかし、2014年12月28日には、2015年1月に行われるアジアカップの代表メンバーに選出されていた内田選手の欠場が発表された。
手術を決断した2015年
2014年2月以降、だましだましプレーしてきたことによって、内田選手の右膝はさらに悲鳴を上げることになる。2015年にはついに手術を決断。苦しい1年となった。
3月は状態が悪化するも国際親善試合に日本代表として出場
2015年3月8日のホッフェンハイム戦、内田選手は前半35分から途中出場した。結局、この試合で右膝の状態をさらに悪くすることに。
右膝の状態が悪かったが、3月は国際親善試合が組まれていた。27日のチュニジア戦、31日のウズベキスタン戦に向けた日本代表メンバーに招集され、2試合とも出場。しかし、この試合をもって2014-2015年シーズンが終了してしまい、大きな代償を払うことになる。
6月に手術を決行
2015年6月10日、シャルケから、内田選手が日本で右膝の手術を受けたことが発表された。手術を受けるまでの経緯について内田選手は「靭帯が骨化して切れるリスクが一番高く、その場合1年休まないといけない。それを感じながら1年ほどプレーしていたのが1番怖かった」と語っている。
リハビリを乗り越え復帰を果たした2016年
右膝の状態は一進一退だった。しかし、2016年にはついに復帰が叶う。
3月、今季の全欠場が決まる
手術を受けてから9か月が経った3月1日、シャルケのアンドレ・ブライテンライター監督が内田選手の術後について言及。今季はプレーできないことを明かした。膝蓋腱の怪我は症例が少なく、治療法の選択が難しいため、慎重に経過を見守る必要があるという。
結局、内田選手は2015-2016年シーズンに一試合も出場できなかった。
12月、ついに復帰を果たし、1年9か月の苦しみにピリオドを打つ
12月8日、ヨーロッパリーグ・グループステージ最終節ザルツブルク戦で、ついに内田選手はメンバー入りを果たす。後半39分から途中出場し、約10分という短いプレー時間だったが、その間に南野拓実選手のシュートをブロックするところも見られた。こうして長くて険しい約1年9か月にピリオドが打たれた。
内田選手はその後、ウニオン・ベルリンに移籍し、2018年には鹿島アントラーズへ復帰。未だに怪我との戦いは続いているが、出場機会を求め必死にもがいている。
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