【ラリーアート】篠塚建次郎さん、自動車殿堂入り 前編 「50年以上ラリーを続けてよかった」

1997年に日本人としてパリダカ初の総合優勝を果たした篠塚建次郎 (C)GettyImages

日本自動車殿堂は18日、2022ー23日本自動車殿堂表彰式を行い、ラリードライバーの篠塚建次郎さんほか4人の殿堂入りを発表の上、表彰した。

篠塚さんは、モータースポーツの発展に寄与、パリ・ダカールラリー(「パリダカ」、現在のダカール・ラリー)と世界ラリー選手権WRC)で日本人ドライバーとして初の総合優勝を成し遂げ、ラリー競技への認知度を高め、さらにアフリカでの教育環境向上に尽力する社会貢献活動を積極に進めたことがその理由だ。

篠塚建次郎、自動車殿堂入り受賞盾 撮影: Mitchy Asai

◆1997年1月19日「篠塚建次郎がパリダカ日本人初優勝」

■三菱自動車「最強の営業マン」

文字を連ねることを生業の一つとするようになった現在でも、自動車業界時代の先輩の教え(人づてではあるが)で大切にしていることがある。

撮影: Mitchy Asai

「誤字脱字や間違いを探すときに、文章を普通に読んではダメだ。文章は逆から読むんだよ」。

確かに理にかなっている。人間の脳は勢いで文章を正しく(都合良く)変換してしまうことが少なからずあるからだ。その教えの元は誰あろう、ラリードライバーとして知られる篠塚さんだ。篠塚さんが三菱自動車でカタログ製作業務にあたっていた時期につかんだコツだそうだ。

12年ぶりに日本開催となったラリージャパンを前に8日、篠塚さんの日本自動車殿堂入りが発表された。我が国におけるモータースポーツの発展への貢献が評価された。特に1991年のWRCの日本人初優勝(アイボリーコーストラリー 92年連覇)、97年のダカールラリーでの日本人初優勝など、「ラリー」というモータースポーツを広く一般にまで浸透させたことは特筆に価するだろう。

「WRCやパリダカを走ったりダカールに学校を作ったりといったことが評価されたことはありがたく思います。何よりもラリーという競技にスポットが当てられたことがうれしいですね」。

◆プロローグ:世界一過酷なモーターレース「パリダカールラリー」を振り返る

篠塚さん自身からも、そうコメントがあった。

足元にも及ばない雲の上の大先輩の篠塚さんと同じ時代を三菱自動車とモータースポーツで過ごし、恐縮ではあるが同じ集団に属していればこそ知りうることも含め、私が篠塚さんの人物像を語ることをお許し願いたい。以下、親しみをこめて「篠塚さん」と表記させていただく。

意外と知られていないのが、篠塚さんが三菱自動車の社員だったということ。あるいは社員であってもラリーのために特別待遇だったのだろうという誤解は今でもあるようだ。

私が三菱自動車に入社した1986年、篠塚さんはドライバーとしてパリダカールに出場している。三菱自動車が国内のモータースポーツ活動をほぼ停止していた時期のそれまで、「ライトニング・ケンジロー」と呼ばれた篠塚さんも純粋にサラリーマンとして三菱自動車に勤務していた。最初に紹介した文字校正のコツも、そんな時期のことだろう。

三菱は1983年からパリダカに出場し85年には総合優勝しているが、パジェロの販売促進には日本人ドライバーの出場での話題喚起が必要だと考えた「パリダカの仕掛け人」近藤昭さん(後のラリーアート社長)によって、白羽の矢を立てられたのが篠塚さんだ。

1986年「パリダカ」初出場 写真提供: 篠塚ひろ子

初出場は市販車無改造クラスのパジェロで完走がやっとだったが、翌87年には型落ちながらワークスチームのプロトタイプを得ての総合3位に日本中が沸いた。以降、パリダカを絡めたパブリシティでは篠塚建次郎の名前に「三菱自動車乗用車営業部主任」という所属・役職まで記載された。

もちろんそれでパジェロの販売台数も大きく伸ばしているのだから、「最強の営業マン」だ。私の記憶では、乗用車営業部、宣伝部、海外企画部、そしてラリーアートと4部門を兼務していたはずだ。

1987年、パリダカ総合3位表彰台 提供: 篠塚ひろ子

面白いのは三菱のサラリーマン・ドライバーであるがゆえのラリー出場の段取りだ。プロのラリードライバーならチームと契約して走ることに専念すればよいが、篠塚さんの場合「販売促進の企画として自らラリー出場を立案し、会社の承認を得て出場」だった。ラリーのための特別な手当もなく社員としての通常の出張扱い。そうして出場した1988年のFIAアジア・パシフィックラリー選手権(APRC)では初代チャンピオンとなっているのだから驚きだ。

商品の充実に加え篠塚さんの活躍で販売実績も上向き、当時の三菱自動車の社長・舘豊夫さんは「そろそろ課長にしてはどうか」と、主任から主席(課長級)への昇進を自ら働きかけたのも並外れたサラリーマンならではのエピソードだろう。

「世界中の人たちと知り合え、いろいろな経験ができたこと、人の輪が作れたことが50年以上ラリーを続けてきて良かったと思うことですね」。

サラリーマン・ドライバーからプロのドライバーという立場の変化こそあったが、その点においては変えようのない実感だと思う。

◆篠塚建次郎さん、自動車殿堂入り 後編 「古希から喜寿へ、まだまだサハラを」

◆【三菱ラリーアート正史】第1回 ブランドの復活宣言から、その黎明期を振り返る

著者プロフィール

中田由彦●広告プランナー、コピーライター

1963年茨城県生まれ。1986年三菱自動車に入社。2003年輸入車業界に転じ、それぞれで得たセールスプロモーションの知見を活かし広告・SPプランナー、CM(映像・音声メディア)ディレクター、コピーライターとして現在に至る。


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