【スポーツビジネスを読む】日本ラグビーフットボール協会谷口真由美・元理事 “起” 聖地・花園ラグビー場で育った娘

父・龍平さんの教え子に囲まれた谷口さん 本人提供

日本のスポーツビジネス界は、真っ黒である。

これは東京五輪の汚職問題などを揶揄する言葉ではない。日夜、さまざまな案件でスポーツ界の各会に顔を出すものの、どこもおっさん、おっさん、そしておっさん。年末の歌合戦では、男女を「紅白」と置き換えるが、おっさんともなると決して白ではない。黒だ。

紺色、灰色と暗い色のスーツに身を包んだおっさんばかりが闊歩している。私自身も十二分におっさんの代表的サンプルのひとりでありながら、辟易するものだ。ひょっとすると、この傾向そのものが、日本スポーツ界の弊害でありはしまいか……。

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■『おっさんの掟 「大阪のおばちゃん」が見た日本ラグビー協会「失敗の本質」』

うすうす、そう感じていたところ、こんな著作に出くわした。谷口真由美さんの『おっさんの掟 「大阪のおばちゃん」が見た日本ラグビー協会「失敗の本質」』(小学館)である。谷口さんが日本ラグビーフットボール協会JRFU)を退いた話は小耳に挟んでいた。

かつては私自身トップリーグ「マイクロソフト・カップ」の担当であり、2015年に行われた国際統括団体ワールドラグビー総会後、その開催地アイルランドの首都ダブリンより、ワールドカップ日本開催12都市決定の報を、東京・明治記念館へとオンエアする立場にいた。そして、W杯日本開催ではスポンサーとして、またもワールドラグビーと対話し、ラグビー・コンテンツをどう新しく見せるかに苦心した。そんな立場から本書に目を通すと、出るわ出るわラグビー界あるある話。もはや振りかぶって、うんうんとうなずくページの連続。そして、その登場人物たるや、知人の羅列。もはや、ぐうの音も出ない。

これは「スポーツビジネスを読む」と銘打っているからには直接、話を聞かねばと使命感に駆られ時間をもらった。

谷口真由美(たにぐち・まゆみ)

法学者、大阪芸術大学客員准教授

1975年3月6日、大阪府出身。日本ラグビーフットボール協会・元理事。「全日本おばちゃん党」を立ち上げ、テレビやラジオのコメンテーターとして活躍。2019年6月、JRFU理事に就任。20年1月にはラグビー新リーグ法人準備室長に就任。その後、新リーグ審査委員長も兼任。21年2月に同室長を退任。6月には協会理事、同委員長も退任。『おっさんの掟 「大阪のおばちゃん」が見た日本ラグビー協会「失敗の本質」』上梓に至る。

■近鉄花園ラグビー場で育つ

谷口さんは、父・谷口龍平さんが近鉄ラグビー部のコーチをしていた兼ね合いから6歳から16歳までを「近鉄花園ラグビー場」(現・東大阪市花園ラグビー場)で育ったという特異な幼少体験の持ち主。それというのも花園に同部の合宿所があり、家族でそこに住んでいたからだ。まずは、その幼少期から話を聞いた。書き連ねつつ、以降ほぼ谷口さんの独白形式になってしまう予感がする。そして、文には表し難いのではあるが、本編のかぎかっこ内はぜひ大阪弁のイントネーションで読んでもらいたい。

「実はラグビー・ワールドカップ前に『ラグビー場で育った娘』みたいなエッセーを出そうかと思ってたんです。それでいろいろと書き溜めてはじめていたんです。小学校の頃の日記がまだあって、1年生の時に『初めてラグビーを見た、近鉄が負けた』から書きつづってあった。4年生の頃かな『ラグビー場で育ってるから、ラグビー好きと思われがちだけども、ラグビーは好きではありません』って書いてあるんですよ。なにしろラグビー・ファーストな生活。父は運動会にも来れないし、子どもなりに両親をラグビーにとられたみたいな感覚があったんでしょう。自分でやったこともなかったので、良いスポーツだとは思えなかったです。みんなすごい苦しい練習をしているからでしょう。練習も『絶対に見にきちゃダメ』と父親から強く言われてました」。

女の子が男性ばかりの合宿所に住むというだけで、子ども心に苦労も多かった。

「ラグビー場に住んでて『楽しかったですか』と聞かれても『楽しかった? あれが生活だったんで…』としか言えない。『良い思い出ですから戻りたいですか』と言われたら『絶対にいや』」と今だから笑い飛ばせるそうだ。

「昭和50年代は土曜日でも授業があってランドセル背負って学校に行く。でも土日は試合があるじゃないですか。家に帰ったら見知らぬ人たちがワラワラいる、中継車も来てる。ランドセル背負ったまま家(ラグビー場の建物)入ろうとすると、その時しか来ないガードマンのお兄ちゃんに『ラグビー好きなのわかるけどウチに帰ってランドセル置いて、お父ちゃん、お母ちゃんと来なさい。そっちは関係者だから入っちゃダメ』と言われ(自分を指差し)『だって関係者。お父ちゃんとお母ちゃん中にいる』と説明しても『何言ってんの? 入っちゃダメ』と言われ、そこを強行突破すると『話がわからん、かわいそうな子や』みたいに言われ(笑)。秘密の扉がひとつだけあったんですけども、誰かがいらん気を利かせて鍵をかけていることもあって、その時は家なのにチケットを買って入らなあかんかったんです」。

幼少期の谷口さん 「近鉄ラグビー部合宿所」の看板が見える 本人提供

当時、花園にはメインスタンドの下にしか、人が出入りする建物がない。合宿所はバックスタンド(生駒山側)から向かって右に位置していた。

「観客席のほうに行っても『家』に帰れない。建物の中に入って、ロッカールームのほうに行かなあかんのです。試合前のロッカールームで選手たちが集中力を高めているところを、ランドセル背負った黄色い帽子かぶった女の子がぴゅーっと走っていくわけです。普段から来ていた大阪府警のおまわりさん(谷口注※当時、近鉄と大阪府警は週に一度練習試合をしていた)は『ああ、あそこに住んでる子やな』とわかってくれてるんですけど、知らん人は『この子、どうしたん?』と『そこ私の家やねん、入れて!』みたいな押し問答ばっかりでした」。


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