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【プロ野球】村上宗隆の2年連続トリプル・クラウンはあるか… 歴代三冠王たちから読み解く

【プロ野球】村上宗隆の2年連続トリプル・クラウンはあるか… 歴代三冠王たちから読み解く
日本の主砲としてワールド・ベースボール・クラシックでの活躍にも期待がかかる (C) Getty Images

2022年のプロ野球を振り返った際、多くのファンが間違いなく“この男”の活躍を思い出すだろう。東京ヤクルト・スワローズの背番号55、村上宗隆。高卒5年目の22歳は、開幕から豪打爆発、快音を超える爆音連発でヒット、本塁打を積み重ね、最終的に打率.318、56本塁打、134打点を記録。18年ぶり史上8人目(12度目)の三冠王に輝いた。

9日には、球団事務所で契約更改、3億8千万円増の年俸6億円プラス出来高払いでサイン。プロ6年目の年俸としては球界最高額。3年契約で25年シーズン終了後にポスティングシステムを利用してのメジャー挑戦も認められた。

◆村上、6年目球界最高の6億円 25年シーズン後に米挑戦

■2年連続三冠王は3選手

ここで気になるのがその間、どこまで記録を積み重ねるかだ。まずは来季はどうか。

その前に、参考として過去の三冠王と翌シーズンの成績を振り返りたい。2022年の村上を除いて、三冠王は過去7人によって計11度誕生。そのうち2年連続で三冠王を獲得したのは、王貞治(巨人、1973、74年)、落合博満(ロッテ、1985年、86年)、ランディ・バース(阪神、1985年、86年)の3例。その他、二冠に終わったが2例、一冠が2例、そして無冠が4例ある。

直近では松中信彦(当時ダイエー)が、2004年に打率.358、44本、120打点で三冠王に輝き、翌2005年も打率.315、46本塁打、121打点の好成績。打率こそ前年よりも4分以上落とし、首位打者争いで和田一浩(西武、打率.322)、ズレータ(ソフトバンク、打率.319)に次ぐ3位に終わったが、本塁打、打点は前年上回る数字を残して二冠を獲得した。

同じ年に2年連続で三冠王を獲得したのが、落合博満(ロッテ)とバース(阪神)の2人だ。落合は、1985年の打率.367、52本塁打、146打点から、翌1986年は打率.360、50本塁打、116打点。若手に出番を譲るという名目でシーズン終盤は試合出場を控えた中で、現在唯一となる3度目の三冠王を獲得。当時すでに30歳を超えていたが、パワーではなく技術と読みで、並み居る各球団のエースたちの得意ボールを打ち崩していった。だが、同年のオフに1対4の“世紀のトレード”でセ・リーグの中日に移籍した後の1987年は無冠。それでも打率.331、28本塁打、85打点は、その他多くの選手ならば好成績と言える。

◆プロ野球歴代三冠王と翌年の成績

そしてバースは、1985年に打率.350、54本塁打、134打点でチームを日本一に導いて三冠王・リーグMVP・日本シリーズMVP を獲得した後、翌1986年も快音を響かせ続け打率.389、47本塁打、109打点で2年連続の三冠王。この際の打率はイチローも越えられなかったプロ野球記録として現在も残っている。だが、1987年は自身の不振に加えて監督との確執もエスカレートして無冠。それでも数字自体は打率.320、37本塁打、79打点と優れたものだった。

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そして王貞治(巨人)だ。V9最終年となる1973年に打率.355、51本塁打、114打点の成績を残して、12年連続12度目の本塁打王に加え、3年ぶり4度目の首位打者、3年連続8度目の打点王で自身初の三冠王を獲得。さらに翌1974年も打率.332、49本塁打、107打点と成績を維持して2年連続での三冠王に輝いた。この1974 年のシーズン45敬遠158四球は日本記録であり、出塁率.532もNPBの公式記録採用以前ながら歴代最高の数字になっている。

■最年少三冠王にかかるさらなる期待

その他、中島治康(巨人)こそ打率.361から打率.278と大きく数字を下げたが、野村克也(南海)は打率.320、42本塁打、110打点から打率.312、34本塁打、97打点。ブーマー(阪急)も打率.355、37本塁打、130打点から打率.327、34本塁打、122打点と“誤差”の範囲で、三冠王直後のシーズンも非常に優れた成績を残している。相手投手から警戒されて四球が増える場合はあるが、それで調子を崩すことはなく、重圧に押し潰されるようなこともなかった。いずれの選手も三冠王獲得までにすでに実績を残して多くの経験を積んでおり、選手として技術、メンタルの両面で完成されたものがあった。逆に言えば、そうでなければ三冠王は獲得できないと言える。

さて、村上である。過去の三冠王獲得者と比べて大きく異なるのが、年齢だ。王にしろ、野村、落合、松中にしろ、すべての選手が30歳前後とキャリアの全盛期と言える年齢で三冠王を獲得したのに対して、村上はプロ5年目の22歳で三冠王の称号を得た。肉体的なピークはまだまだ数年先と言える年齢で、その意味では今後のさらなる成長と進化が大いに期待できる。

もちろん、勝負の世界はそう簡単なものではない。ライバル球団から研究と徹底マークは継続必至で、周囲および自分自身へのプレッシャーも大きくなるはず。長いシーズンの中で好不調の波は必ず訪れるが、そこをどう乗り切るか。不調の期間をいかに短くするかが大事になる。

メジャー行きが規定路線となった今、その打棒にはますます注目が集まる (C) Getty Images

今季の村上を振り返っても、9月に月間打率.207と大きく調子を崩した。9月13日にシーズン55号本塁打を放ったところまでは良かったが、翌日以降は直球に振り遅れるとともに変化球に体勢を崩され、以前ならばスタンドに放り込んでいた甘い球をミスショットする場面が散見。55号超え、さらには60本という「本塁打」を期待され続けた中で、10月3日のシーズン最終打席で56号を放つまで60打席ノーアーチが続いた。その後の日本シリーズでも7試合で打率.192、1本塁打、5打点と不完全燃焼。疲労があったことは確かだが、この「終盤の不振」が来季へ向けての不安材料であることは間違いない。

◆2022年村上宗隆の月別打撃成績

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