Advertisement

スポーツは平和をもたらすのか… 2023年に持ち越されたロシアのウクライナ侵攻、東京五輪汚職事件とともに考える

 

スポーツは平和をもたらすのか… 2023年に持ち越されたロシアのウクライナ侵攻、東京五輪汚職事件とともに考える
スポーツは果たして平和に寄与できるのか (C) Getty Images

2023年は『The Day The Earth Stood Still』というSF映画がキアヌ・リーブス主演にてリメイクされてから15年を迎える。

本作は『地球が静止する日』という、いささかセンスを疑う邦題により日本でも公開され、その年の「最低映画賞」とされるラジー賞(ゴールデンラズベリー賞)のリメイク部門にもノミネートされた。私自身も「佳作だ」とはとてもお薦めしないが世界で2億3300万ドルの興行を記録したというからには、ご覧になった映画ファンも多いのだろう。オリジナルは1951年公開の『地球の静止する日』。1970年代には何度か『地球最後の日』のタイトルで地上波オンエアされたと記憶しており、両作品を視聴した同年代の方も少なくないのではなかろうか。

◆あらためて考えたいスポーツの存在意義 東京五輪開会式に思う

■「人類の進歩」は単なるおとぎ話

ストーリーは単純。地球上における「死活問題」を解決できない地球人に業を煮やし、宇宙人が人類を滅ぼしにやって来る。だが、地球人にわずかな希望を見いだし翻意、人類は生き永らえるというプロットだ。

Copyright 1951 by Twentieth Century-Fox Film Corp

両作品ではその「死活問題」の設定が異なる。オリジナルにおいては冷戦・核軍拡競争だったが、リメイクでは地球環境破壊へと置き換えられている。2022年、第15回生物多様性条約締約国会議(COP15)では約100万種の生物が絶滅の危機に瀕しているとされるため、その設定にも納得がいく。

私は上記のテーマの置き換えを、朧ろげながらこの57年間における「人類の進歩」として捉えていた。人類同士が敵対し滅亡への道を歩む20世紀から、“宇宙船地球号”をその滅亡から救う意識の芽生えであったと思えたからだ。

だが、それは単なるおとぎ話にすぎなかった。

Advertisement


ロシアはウクライナに侵攻し、北朝鮮までもが核軍拡に乗り出し、グレタ・トゥーンベリさんが国連で何を叫ぼうが、自己顕示欲が最優先、地球環境などどこ吹く風というのが現実の世界だ。

■ベルリンの壁崩壊による衝撃と光明、そして幻想

今の40代未満にとって、「ベルリンの壁崩壊」の衝撃は理解し得ないだろう。

東西ベルリンを遮断していた「ベルリンの壁」が開かれた瞬間 1989年11月11日 (C) Getty Images

世界は第二次世界大戦以降、大局的には民主主義(資本主義)と共産主義という極めて単純な構図で仕切られており、アメリカ合衆国対ソビエト連邦という東西対立における冷戦が永遠に続くかと思われた。「永遠」と記したが、振り返ってみれば実はたかだか45年程度の期間。しかしそれでも、そのイデオロギーの対立は、朝鮮戦争、ベトナム戦争、キューバ危機、プラハの春、アフガニスタン侵攻と歴史的な紛争を生み出しては、繰り返していた。

冷戦が「世界の常識」だった時代にティーンを過ごした世代にとって、1989年の「ベルリンの壁崩壊」は、真っ暗な対立の時代に、光明が差し込んだかのようにさえ思えたものだ。その大転換は「世界はこれから平和に向かうのだ」と思わせるに十分だった。

イタリアの理論物理学者カルロ・ロヴェッリの著書『時間は存在しないL’ordine del tempo)』に代表されるような物理学的考察はさておき、我々の日常生活に限定するのであれば、時間は不可逆性を備えている。よって時間の流れ、時代の流れとともに、世界は平和に向かっていると錯覚できたし、「極めて聡明」であるはずの人類による、平和への歩みもまた「不可逆性」を備えていると盲信していた。

「残念ながら…」という形容がもっともふさわしいだろう。それは幻想だった。

Advertisement


実際には局地的な紛争も踏まえ、1989年以降も湾岸戦争やユーゴスラビア内戦を含め、世界から戦争が姿を消した事実はなかった。しかも第二次世界大戦終結以降、少なくとも欧米における国家間戦争は、もはや起こり得ないだろうという幻想は2022年2月24日、ロシアによるウクライナ侵攻により容易に打ち砕かれた。欧州で国家間による戦争が勃発、しかも世界はそれを止める術を持たない事態を我々は目の当たりにした。

平和の祭典であるはずの冬季北京五輪閉幕からわずか4日後の侵攻。また侵攻から8日後には、北京パラリンピックが開幕。その意義と平和の尊さが問われる大会となったが、ホスト中国は何ら声明を出さずじまい。国際パラリンピック委員会(IPC)は直前にロシア代表団の出場資格を停止。一方、戦時下ながらウクライナ選手の健闘が注目された。以降、ロシア選手はあまたの国際大会への参加が禁じられるが、そのロシア選手たちからの反戦の声は世界に届くことはなく、2023年を迎えた。

犠牲者を弔うウクライナ兵 (C) Getty Images

北京五輪開幕からもうすぐ1年が経とうとしている中、振り返って考えるにソチ五輪ロシアW杯はロシアの国威発揚、そして北京五輪は中国のそれにすぎず、スポーツはかくも容易に政治利用されていたにすぎないと落胆せざるを得ない。その構図が、1936年ベルリン五輪の二番煎じではないと直截することすらままならない。この時、ドイツ・ナチス政権のプロパガンダの一貫として“発明された”聖火リレーがいまなお、何の疑義もなく毎大会取り仕切られている五輪は、個人的には不可思議でしかない。

■資本主義国家では私利私欲のためのスポーツ

こうした隣国のスポーツ政治利用を日本は他山の石としているかと問われれば、それもまた心もとない。

新型コロナウイルス禍、延期の後2021年に東京五輪開催を決行した理由は、東日本大震災からの復興のためであり、アスリート・ファーストに徹したからだったはずだ。だが2022年6月30日、東京五輪パラリンピック組織委員会が正式に解散すると、それからひと月も経たぬ7月中旬、同委員会の高橋治之・元理事と同大会スポンサーAOKIホールディングスの贈収賄事件にメスが入り、五輪決行は関係者がそれぞれの立場で私腹を肥やす目的だったのではないかという嫌疑が噴出する始末だ。

歓喜に湧いた東京五輪決定の瞬間 (C)Getty Images

詳細については各種報道機関の特集などを参照願いたい。だが元電通関係者として、諸先輩方が電通の専務・顧問だった高橋元理事を「治(はる)ちゃん」と親しげに呼びつつ「治ちゃんに言われたからには、やらんわけいかんだろう」と口にしていた事実を何度も耳にしている。今回、事情聴取も受けている組織委員会の元マーケティング局長はかつての同僚であり、彼をもってしても元理事からの指示を拒むのは難しかったに違いない。そして私自身、その立場に置かれていたと仮定すると、果たして拒否することはできただろうか。こうした目に見えぬ「おっさんの掟」は、日本のスポーツ界から払拭せねばならぬ負の遺産でしかない。まずはこの贈収賄事件を教訓とし、日本ラグビー協会元理事・谷口真由美大阪芸術大学客員准教授の言葉を借りるのであれば、「おっさんの掟」「昭和のICチップ」からの脱却を早急に図らなければならない。

もし札幌五輪招致の意思が残るのであれば、まずは負の遺産払拭からのスタートだろう。贈収賄問題は、電通とAOKIに限定されていなかった点、ご存じの通りだ。

国際的スポーツイベントには利点も多い。アスリート育成、競技力向上、スポーツ施設を含めた都市インフラの整備、ロンドン五輪に見られるような施設の有効活用による地域活性化、観光客来日による経済効果、雇用増加など、どれも2019年のラグビーW杯では機能し、東京五輪では実現されなかったように思える。

こうしたイベントは、元共産主義国家では国威のため、資本主義国家では私利私欲のため…という意図がまかり通るようでは、スポーツの未来はない。

「スポーツは不要不急」「スポーツは国威発揚」「五輪は汚職の温床」として記号論的に否定されないためにも…である。

■スポーツの無力さとそこに内在する「自己超越」

「紛争解決」「平和維持」などの大義を前にしては、時としてスポーツの無力さを思い知る。私自身、ウクライナ侵攻以降、あまりの衝撃と無力感に本稿を継続できなかった。しかし、スポーツの存在意義やその社会的価値を卑下することなく、スポーツには人間の可能性に気づきを与える価値もあれば、生き抜く糧となる力もあると思い起こさなければならない。

「欲求の5段階説」を唱えたアブラハム・マズロー (C) Getty Images

アメリカの心理学者アブラハム・マズローが著作『人間性の心理学』において「欲求の5段階説」を打ち出したのはあまりにも有名だ。マズローは後年、この「生理的欲求」「安全欲求」「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」の5つの上位に「自己超越」を唱えた。

スポーツには生理的欲求、安全欲求を叶える力は備わっていない。しかしスポーツそのものに取り組む行為は、社会的欲求、承認欲求さらには自己実現欲求を満たす要素が多分に含まれている。時としてラグビーのトライのように、自己超越の積み重ねの上に生まれる成果さえある。その力を目の当たりにしたからこそ、2019年には「にわかファン」が生まれ、日本ラグビーの醸成につながったのではないか。

マズローが唱えた「欲求の5段階説」 (C) Getty Images

また、スポーツに直接従事せぬ、スポーツビジネスを支える側は、自己実現というアスリートの活躍を支えるステージを具現化するために、自己超越を当然と捉えねばならない立場に置かれているはずだ。特にスポーツ関連組織のトップは、私利私欲に走るのではなく、自己超越の重責を自覚してもらいたいものだ。

ビジネスを度外視した偽善者になるべきだなどと提言するつもりは毛頭ない。日本におけるスポーツの社会的地位向上のため、またスポーツを通じた社会貢献や社会変革のために、自戒も込め、関係者はスポーツの存在意義と価値を重んじ、その純粋な熱狂を届けるためにもビジネスのエコシステムを模索し構築しつつ、次の未来の創造に向け身骨を砕くべきだ。

独立行政法人国際協力機構JICA)のサイトには「スポーツが世界を平和にするか」という命題が掲げられている。また、2000年の国連決議においては「スポーツは教育、健康、開発、平和を創造する手段」とされている。

政は正なり、医は仁術、スポーツは平和の創造…。

こうした理念を見いだし、引き出し、スポーツが平和を導き出す鍵となる可能性を探るために、関係者として個々に何を成すべきなのか。ある日、宇宙人が現れ「地球人に存在価値はない」と断罪されたとしても、独裁者や貪欲者とは異なり、何かを成し遂げようとしていたと訴え返すことができるか。今一度立ち止まり、深く考えたい。さらなる自戒を込めて。

◆開会式で気づかされた「日本」の凋落 ニッポンは「オワコン」となるのか

◆9・11米同時多発テロから20年、今スポーツにできること……

◆生かされていると命とスポーツの底力 東日本大震災から10年に寄せて

著者プロフィール

松永裕司●Stats Perform Vice President

NTTドコモ ビジネス戦略担当部長/ 電通スポーツ 企画開発部長/ 東京マラソン事務局広報ディレクター/ Microsoft毎日新聞の協業ニュースサイト「MSN毎日インタラクティブ」プロデューサー/ CNN Chief Directorなどを歴任。出版社、ラジオ、テレビ、新聞、デジタルメディア、広告代理店、通信会社での勤務経験を持つ。1990年代をニューヨークで2000年代初頭をアトランタで過ごし帰国。Forbes Official Columnist