2019年の1月2~3日に、新春恒例の第95回箱根駅伝が開催される。
その中で耳目を集める選手の1人が、留学生として拓殖大学陸上競技部のキャプテンを務めるワークナー・デレセ選手だ。
箱根駅伝では3年連続で花の2区を担当。1年次は区間11位だったが、2年次は区間2位の記録で10人抜き。3年次は区間5位の記録で8人抜きを演じた。
10月の出雲駅伝では3区を走り、2位までチームを順位を押し上げる。初めての学生駅伝区間賞獲得だった。
日本にきて4年。はじめは言葉も分からず、孤独だった。それが、いまでは仲間・監督からの信頼を勝ち取り、キャプテンに抜擢されている。
チームメイトの前ではおどけ、箸のあつかいも手馴れたもの。納豆が好物だという。
決して順調な道のりだったわけではない。どういった学生生活を送ってきたのだろうか。
言葉も話せず、走りでアピールすることもできなかった
これまでの箱根駅伝において、留学生は数々の歴史をつくってきた。
日本大学のギダウ・ダニエル選手が20人抜きを達成したり、山梨学院大学のM・J・モグス選手が2区で瀬古利彦(早稲田大学)以来29年ぶりとなる2年連続区間記録更新を達成したり……。
一方、2015年に単身エチオピアからやってきたデレセ選手は、結果の出ない苦しい時間が続いた。
1年次に挑んだ全日本大学駅伝選考会では、ケニア人留学生に1分近くも引き離され、日本人選手にも勝てず13位に終わった。
言葉も話せず、走りでアピールすることもできない環境で、陸上を辞めたいとさえ思ったこともあったという。
そんなデレセ選手を救ったのは、亜細亜大学を初優勝へと導いた名将、岡田正裕監督だった。
岡田監督は、一つ一つ成長していくデレセ選手を見守ったという。監督の細やかな心遣いは食事や生活の些細なことまで及び、デレセ選手曰く「部屋にご飯を作って持って来てくれたこと」もあったそうだ。
監督への恩返しは、結果を出すこと
監督に恩返しするには、結果を出すしかない。テレビ番組『箱根駅伝 絆の物語』では、箱根駅伝への意気込みをこう語っている。
「私は日本人じゃない。家族とか兄弟とかは、私が箱根を走る時、誰も見ない。けれど、私頑張ったら、岡田監督は嬉しい。今年も最後。本当に命引き出して、区間賞とりたいです」
ここで、「命引き出して」と言い切れるところに、デレセ選手の性格を垣間見ることができる。しばし、海外選手と日本人選手の根本的な違いは「ハングリー精神」と言われることがある。
命を削っても、結果を出す。スポーツの世界で、そこまで思える選手が、はたしてどれだけいるだろうか。
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