NFLで史上最高のクォーターバック(QB)、トム・ブレイディが1日(日本時間2日)の朝、SNS上で引退を表明する動画を上げ、きらびやかなキャリアに終止符を打った。昨年も引退表明をし40日後に撤回しているが、45歳という年齢もあって、今回はさすがに同じことはしないのではないだろうか。
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■ドラフト199番目指名からの大躍進
アメリカンフットボールが日本ではマイナーな存在であるだけに大きく報じられてはいないが、この競技の人気が他競技に比肩しないアメリカにおいては「ついにこのときが来たか」という反応とともに、大きく報じられている。
23年の長いキャリアのなかでスーパーボウル出場10回、うち7回の優勝は史上最多。スーパーボウルMVPは5度受賞。そのほか通算パス獲得ヤード数(8万9214)、パスタッチダウン数(649回)なども史上最多を記録しており、レギュラーシーズンMVPにも3度選ばれている。個人的な記録や偉業に触れ始めたら到底、スペースが足りない。
日本での知名度は高くないが、北米でのそれは圧倒的だ。米4大ネットワークのひとつ『CBS』1日付けの電子記事では、北米4大スポーツのGOAT(Greatest Of All Time、史上最高の意味)のランキングが掲載され、1位のマイケル・ジョーダン(元NBAシカゴ・ブルズなど)、2位のベーブ・ルース(元MLBニューヨーク・ヤンキースなど)というレジェンド選手に次ぐ第3位に挙げられている。

第46回スーパーボウルでインタビューを受けるブレイディ @インディアナポリス 撮影:永塚和志
優勝回数や記録も見事であるが、スターダムにのぼりつめるまでの映画のような成功譚もまた有名だ。カリフォルニア州・サンフランシスコの近郊にあるサンマテオ市出身のブレイディは名門ミシガン大学へ進学するが、先発QBにはなかなかなれなかった。2000年にはNFLドラフトにかかるも、6巡(全体199番目)という、のちの成功を考えると恐ろしく評価の低い順位でニューイングランド・ペイトリオッツに入団している。
しかし、プロ2年目の2001年シーズン。まだ控えだったブレイディに唐突にチャンスが訪れる。元ドラフト全体1位のエリートで当時のペイトリオッツの不動の先発QBだったドリュー・ブレッドソーがレギュラーシーズンの3戦目で故障しこの年、4番手から2番手QBへと序列を上げていたブレイディが先発に指名される。
その後、ブレイディが正QBの座を譲ることはなかった。この年、ブレイディはペイトリオッツを初のスーパーボウル優勝に導き、同MVPを獲得している。彼の史上最高のQBへの道はここから始まったと言っていい。2007年シーズンには史上2例目のレギュラーシーズン全勝(16試合制では初。現在は17試合制)を達成。2017年の第51回スーパーボウル(相手はアトランタ・ファルコンズ)では、3-28という劣勢から劇的な逆転勝利。2020年シーズンにはタンパベイ・バッカニアーズに移籍、2つのチームでスーパーボウルの王座に戴冠した史上2人目のQBとなった。このように記憶にも残る形で多くの偉業を成し遂げてきた。
■競争心と徹底した自己管理を維持
ハンサムで、フィールド外では紳士。昨秋、離婚してしまったが、妻はブラジル人スーパーモデルのジゼル・ブンチェンと、フィールド上での成功と合わせて完璧なまでの人物だと思われたが、少なくともプレーの上では常に品行方正だったわけではない。

2017年来日時のブレイディ 撮影:永塚和志
2014年シーズン、スーパーボウル進出をかけたAFCチャンピオンシップ(相手はインディアナポリス・コルツ)で掴みやすくするためにボールの空気圧を不当に減らしたという嫌疑で2016年シーズンの開幕から4試合で出場停止を受けている。また、自身のプレーがうまくいかないときには作戦等が記されたタブレッド端末を叩きつける、相手チーム選手との言い争いもしばしばあった。
こうしたことは勝利への渇望が強く、競争心が高いからこそであり、歴代の偉大な選手たちも少なからず見せてきた行動だ。だが、ブレイディの場合それを40歳台半ばまで持ち続けたことが特筆されるべき点だ。
年齢にともなって必然的に衰えが来る。しかしブレイディは生活習慣から自身を独特な形で律することで、抗ってきた。私は2017年に来日した際の彼にインタビューする機会を得たが、21時という早い時間に就寝すること、その際の部屋の温度が20度ほどであること、食事に関してもグルテンやその他、体を冷やすという理由でトマトやナス、コーヒーなどは口に入れないなど、徹底した管理をしていると聞いた。
誰しも肉体的なピークは若いときに来るものだが、それを遅らせ年齢と経験を重ねることでもっとあとで来る精神的ピークに、肉体的ピークを重ね合わせることは可能だと思っている……この取材で当時40歳だった彼が発したこうした言葉が印象に残る。