三冠王の「まさかの」大不振にワールド・ベースボール・クラシック(WBC)による影響が取りざたされているが、ほかにも不調や故障の選手もいる一方で大谷翔平をはじめ、みごとな活躍をしている選手もいる。
■9月16日に始まった不振
プロ野球史上最年少三冠王・村上宗隆の不振は、昨年のクライマックス・シリーズ、日本シリーズ、昨秋と今春に行われた侍強化試合、そしてWBCと休む暇もなく野球を続けたことと、オフの間のCM撮影やテレビ番組出演などの疲労も直接間接に影響したことだろう。
しかし、一部の関係者もファンも気がついているとおり、昨年55号本塁打を打ってから、実は彼の不振は始まり、続いているのである。
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54号、55号を立て続けに放った2022年9月13日、この日も4打数3安打で文句のない三冠王に彼は驀進していた。この試合を終えた時点での村上の打率は.337、2位大島を1分9厘離して打率でも安全圏にいた。
◆首位打者争いと最終盤の出場試合問題 村上宗隆と大島洋平の決着はいかに…
彼の不振は翌9月16日に始まり今に至っている。
9月16日からレギュラーシーズン最終日の10月3日まで、出場した14試合だけを取った彼の打撃成績は48打数7安打で本塁打は最終打席の第56号1本のみ、三振も20に及び打率は.146であり、2023年4月終了時の打率(.157)に近いものである。
昨年9月30日の本欄に終盤の打率争いを描写したのだが、(執筆は9月23日)その日、2位大島洋平がさらに肉薄して村上は三冠王か56号の新記録かどちらかをあきらめなければならなくなるかもしれない状況に陥っていた。
村上は.31677、大島は.31481、2厘差である。結果としてめでたく三冠王も日本選手新記録も両方達成したものの、10月2日と3日のことは取り上げておきたい。ここで高津監督と本人は話し合った結果10月2日の最後から2試合目、村上は欠場した。この話の内容はもちろん明かされていないが、この日、最終戦を戦う大島は4打数1安打に終わり、ふたりの打率差が3厘という絶望的な差に開いてしまった。大島が最終戦に2打数2安打(.31797)か3打数2安打(.31724)なら村上の打率を上回り、村上はいやでも10月3日に出場して打率を抜き返さなくてはならない状況になるところだった。
「3厘の余裕」ができた村上だったが、実はことは単純ではなかったのである。運命の最終戦、村上は第2打席で安打を放ったからここで事実上三冠王は確定したが、もし4打数無安打だったら.31417となり、大島を下回ってしまう。村上が最初から3打数無安打だったら4打席目に彼は打席に立っただろうか。
4打席目に立たなければ日本選手新記録は樹立できない、しかし三冠王を取れなくなるかもしれない、どちらも一生に一度あるかないかの究極の選択であった。あの2打席目の安打にはそれだけの大きな意味があったのである。
さて、今年の村上の打撃に話を戻す。
WBCでも準決勝と決勝に彼は重要な働きをしたが、大会を通じての成績は7試合で26打数6安打、打率.231となり、格下の国との対戦が多く、大谷や吉田正尚が4割台、岡本和真も近藤健介も3割を大きく超えていたことを考えると物足りない数字が残ったといわざるをえない。
55号に並ぶまでの彼の打棒はすさまじく、安打も本塁打もコンスタントに出ており、何を投げても打たれる状態で相手バッテリーも手の打ちようがなかったと思う。
■修正できない始動の遅れ
直球など投げようものならどこまで飛ばされるかわからないということで変化球が多かったように思われるが、開き直ったのか裏をかいたのか、直球が増えていき、それを村上が空振りをするのが目立つようになった。それを相手バッテリーが「意外と直球で空振りが取れる」と気がついてもメディアにいうわけがなく、村上が少しずつ戸惑っていったのではないだろうか。
侍ジャパンの村上宗隆(C)Getty Images
これだけ直球がふえていたら、彼の本来の打棒からいえば不振の間くらいは変化球を捨てて直球だけ待っていれば安打を重ねるのは苦ではないはずなのだが、その直球に対する始動が遅れているのである。
これは「迷いがある」「本塁打を狙いすぎている」「WBCで大谷の影響を受けてしまった」などというコメントもあるのだが、そうは思えない。とにかく始動が遅い。
打撃コーチでもない私がその対策を提案などするなどはできないが、その始動が元に戻るまでこの状態は改善しないし、戻ればまた本来の打棒を取り戻すことだろう。
三冠王を四番から外すことを検討せざるをえなくなった高津監督も想定外のことだろう。四番が打てれば勝つ、打てなければ負ける。
四番打者はそういう存在である。この結果、いわゆる「村上と心中」という方針を現状監督は貫いている。「チームは勝たないといけないので、村上のためにやっているわけではない。これでは本人にも拷問のようだ」という声もあるだろうし、「三冠王を取った打者をなにがあろうと四番から外すべきではない」という考えもあるだろう。
しかし目をつぶるわけにいかないのが守備である。一塁手オスナがじょうずにワンバウンド送球を捕球するから村上に失策がつかずにすんだケースもあり、攻守でチームの足を引っ張っている状態になっている。
それにしても、何シーズンにもわたってこの座を堅持して監督を「四番から外すか外さないか」で迷わせることのなかった王貞治、落合博満、松井秀喜らの打者はほんとうに偉大だったということをあらためて思い知らされる。
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著者プロフィール
篠原一郎●順天堂大学スポーツ健康科学部特任教授
1959年生まれ、愛媛県出身。松山東高校(旧制・松山中)および東京大学野球部OB。新卒にて電通入社。東京六大学野球連盟公式記録員、東京大学野球部OB会前幹事長。現在順天堂大学スポーツ健康科学部特任教授。