山本昌の太く長い野球人生…戦力外寸前の劣等生が200勝投手へ

(c)Getty Images

野球解説者の山本昌さんが5月20日にツイッターを更新して、始球式に向かう直前の様子をアップした。

「これからナゴヤドームで始球式やります!」とユニフォーム姿を披露した山本さんに対し、「やっぱりドラゴンズのユニフォームが一番似合う!」「まだまだ風格十分ですねえ」「昌さんがドラゴンズのユニフォームを着ているのが、とても嬉しいです」「本番でも投げて下さい」などの声が寄せられた。

戦力外寸前の劣等生が米国留学で一変

山本さんは1983年にドラフト5位で中日ドラゴンズに入団し、2016年の引退試合まで一貫して中日で投げ続けた。2015年には日本プロ野球史上初の50歳で出場・登板を果たしている。

現役時代には219個の勝ち星を挙げ、1993年と1994年、1997年に最多勝を獲得した。1994年には先発投手として最高の栄誉と言われる沢村賞も受賞し、球界を代表するエースピッチャーとなった。

こうした輝かしい経歴を並べていくと、さぞや入団当初から期待された選手だったのだろうと思われるかもしれないが、実際は戦力外通告の危機がつきまとう劣等生だった。

当時、野球解説者だった星野仙一さんは、初年度の山本さんを見て「大きいだけで不格好な、球も遅い投手」と評価した。

1987年から中日の監督に就任した星野さんは、一軍未勝利だった山本さんを翌年に米国へ野球留学に行かせているが、実態は戦力にならない選手の追い出しに近いものだった。

米国でも当初は結果を残せず苦しんだ山本さんだが、現地で会得した変化球、スクリューボールとの出会いが選手人生を一変させた。

自分の代名詞ともなる決め球を得たことで、山本さんは先発投手としての才能を開花させ、50歳までプロのマウンドで投げ続ける。

40歳を過ぎてから2度の二桁勝利、そしてノーヒットノーランを達成した山本さん。その野球人生は太く長いものだった。


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