【パリダカ回想録】第2回 「私が冒険の扉を示す 開くのは君だ 望むなら連れて行こう」

車両保管中の市販車改造クラス車両。パジェロとシトロエンが並んでいる (C)Yoshihiko Nakada

■仲間と合流、壮行会など いよいよ明日、冒険の扉が開く

 「私が冒険の扉を示す。開くのは君だ。望むなら連れて行こう」 。

パリダカールラリー創始者ティエリー・サビーヌの言葉だ。

彼は1986年パリダカにおいて、オーガナイザーとして搭乗したヘリコプターが墜落、帰らぬ人となった。跡を受け継いだのは父ジルべーヌ。しかし彼もすでに高齢で、運営組織TSO(ティエリー・サビーヌ・オルガニザシオン)をメディア総合企業傘下のASO (アモリ・スポル・オルガニザシオン=自転車競技のツール・ド・フランスなども主催) に譲渡するに至った。運営組織が変わり最初のパリダカが1994年の「パリ~ダカール~パリ」だった。

政情不安によりもともとのルートであったアルジェリアの通過が不可能になり、そのためパリからダカールへと大西洋寄りのルートをたどり、それまでと異なり再びパリへと戻る、走行距離約13,000kmの新しいルートだ。

ラリーアート社長の命を受け成田を発った私は、ローマを経由しパリに向かった。サッカー世界選抜試合に出場するため同乗していた三浦知良りさ子夫妻とローマで別れ、こちらは中型機に乗り換えパリのシャルル・ド・ゴール空港に到着。

三菱自動車が募集した10名ほどの応援ツアーの一行とともにモンパルナスのホテルに到着したのは12月27日に日付の変わった深夜だった。出迎えてくれたのは先発してパリに入っていたラリーアートの社員二人。一人は三菱自動車の専属プロモーションスタッフだったゆえに旧知の間柄の石川博恵氏。もう一人はラリーアート入社2年目で抜擢された味戸厚二氏。そこに私を含めた3名がフランスで初めての後方業務を分担する。砂漠に出ずとも我々のパリダカだ。夜明けとともに、冒険の扉が開く。

まだ薄暗い朝を迎え、日本からの応援団の最初のスケジュールは国際会議場パレ・デ・コングレで行われる出場車両の車検の見学。

会場に到着するとさっそくパリダカの主役ともいえるT3(プロトタイプクラス)車両の車検に出会った。92年、93年と連覇している三菱と、王座奪還を狙うシトロエンとの実質一騎打ちとなるクラスだ。

車検に臨むプロトタイプパジェロ (C)Yoshihiko Nakada

篠塚建次郎選手(当時、三菱自動車の社員ドライバー。97年に日本人として初めて総合優勝を果たす)も会場におり、ツアー参加者との記念撮影にも気軽に応じてくれた。

スタート会場ともなるトロカデロ広場パルクフェルメも見学。パルクフェルメ(Parc fermé)とはフランス語で「閉鎖された広場、駐車場、庭園」などの意。モータースポーツでは参加車両が車検でレギュレーション(競技規則)に合致していることが確認された後の不正を防止するため、オーガナイザーの管理下に置かれる車両保管場を指す。

パリダカの場合はその特殊性もあって、量販車にパジェロのようなタフなオフロード車を持たないシトロエンが、他社製4WDを競技エントリーのアシスタンス車に採用している点をパルクフェルメで確認できたりと、意外な面白さに気づくこともある。

この後、ツアー参加者はパリ観光を堪能するために散っていった。私もつかの間の休息……と、前年はラリーに帯同したメカニック氏とタクシーをチャーターし「パリの休日」を気取った。どこもかしこもパリダカ歓迎ムードの街では、カフェに入ると「オー、ミツビシー!」と、ロゴ入りウェアを着用しているだけで私までも握手攻勢に遭った。もっとも、地元フランスのシトロエン・スタッフが来店するまで、つかの間の人気ではあったが……。

1994年のパリダカに三菱が3連覇を狙って投入したパジェロ・プロトタイプは社内呼称「プロト4」新型2台と、前年改良型2台。これにT2クラス(外観は市販のパジェロそのものの改造車) 2台が加わり、計6台の陣容。プロトタイプには91年からWRC(世界ラリー選手権)ギャランランサーエボリューションで実績のある4G6DOHCターボエンジンを2.2リッターに排気量アップして搭載。94年は最高出力350ps、最大トルク51kg/mを誇った。

ラリーアート社員ドライバーの増岡浩選手(のちにパリダカを2連覇)らに託されたT2クラスの市販車改造パジェロにも、実績ある同じ4G63型2リッターDOHCターボを搭載、同クラスのプライベーターよりもはるかに高いパフォーマンスを発揮する(規定で同一メーカーのエンジンの変更が認められている)。

パリの夜の帳は早い。冬のヨーロッパだけに当然だ。街のイルミネーションも映える。

フランス・パリのエッフェル塔 (C)Yoshihiko Nakada

ホテルに戻り、三菱ラリーアートチームの壮行パーティに出席した。堅苦しいドレスコードはない。私もユニフォームのまま、ツアー参加者も支給された赤い三菱カラーのブルゾンで出席。三菱石油も同様に応援団を編成しており、パーティで合流。驚いたのはその参加人数だ。30、いや40名はいただろう。新型プロトタイプ2台、市販車改造2台を送り込むメインスポンサーだけに、その意気込みがここにも現れていた。三菱石油は業界の再編を受け、現在は「ENEOS」として知られている。

プロモーションスタッフ時代からMCには慣れたラリーアート石川氏の司会でパーティは進んだ。三菱石油、三菱自動車それぞれのVIPの挨拶で始まり、チーム総監督のウーリッヒ・ブレーマー氏が各選手を紹介。三菱石油、三菱自動車の応援団ともチームとの記念撮影があり、シャンパーニュとフレンチキュイジーヌで夜は更けて行った。

明日はいよいよ「パリダカ」のスタート。午前3時起床だ。

決戦前夜に行われた三菱チーム壮行会・パーティーの様子 (C)Yoshihiko Nakada

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著者プロフィール

中田由彦●広告プランナー、コピーライター

1963年茨城県生まれ。1986年三菱自動車に入社。2003年輸入車業界に転じ、それぞれで得たセールスプロモーションの知見を活かし広告・SPプランナー、CM(映像・音声メディア)ディレクター、コピーライターとして現在に至る。


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