【パリダカ回想録】第3回 華やかなセレモニアル・スタート、そしてパリとの長い長いお別れ

スタートするブルーノ・サビー、ドミニク・セリエス組(パジェロプロト) (C)Yoshihiko Nakada

■各車が続々とスタート 冒険者たちの長い旅が始まる

12月28日、パリダカはスタートの日を迎えた。

早起きは苦手ではないが、午前3時起きは長旅の疲れの抜けきっていない身にはこたえた。

朝食はパンだけ。バゲット、クロワッサン……数種はある。眠そうな若い給仕が「パンのみ!」とテーブルの中央に山盛りのパンを置いていく。「パンしか出ないのは分かっているさ」と心の中でつぶやく。だが、彼が「パンドミ」と言ったのだと遅れて分かった。食パンのことだ。目をさませオレ……。

食事を終わらせ、徒歩でスタート会場のトロカデロ広場に向かう。氷点下の冷たい空気が目ざまし。応援ツアーの参加者たちも一緒だ。3時起床という、普通の観光ツアーでは有り得ないスケジュールに文句を言うメンバーもいない。夜も明けぬというのにすでに多くの人たちがスタート会場に向かっている。我々の一団を見つけて、「ミツビシ!」「ケンジロー!」と声をかけてくれるパリっ子たちも多かった。

私は通常のユニフォームとは違うコートを着ていた。背中には「Kenjiro」と大きくプリントされていた。ラリーアート社が新素材で製作したウェアの防水・防寒のテストを兼ねて着用していたのだ。既に市販されてはいたが酷寒のパリは実証にうってつけと、スポンサーワッペンも装着して託された。

スタート会場には数千の人たち集まっていた(主催者発表は4000人)。チーム関係者、各国報道陣、そして市民は老若男女を問わず。場内にアナウンスが響く。いよいよ「94パリ~ダカール~パリ」のスタートだ。

スタートに向かう篠塚車 (C)Yoshihiko Nakada

ご存知かもしれないが「スタート」とは呼ぶものの、大爆音で全車がいっせいにスタートするF1などととは異なる。WRC(世界ラリー選手権)も同様だが「セレモニアル・スタート」と呼ばれ、出場車両がポディウム(スタート台)から一台一台順番にゆっくりと出発し観客から声援を浴びるスタイル。これはこれで、過酷なラリーの中で数少ない華やかなワンシーンだ。

94年のパリダカでは大きな規則変更もあった。

カミオン(トラック)は、今までどおり競技コースを走行して順位認定を受けるレーシングカミオンと、キャンプ地からキャンプ地を移動(先回り)して確実に予備パーツを届けるサポートカミオンに分けられた。

サポートカミオンのリタイヤが主力のリタイヤとならないよう、完走率向上のための規則変更だ。モト(バイク)部門ではプロトタイプが禁止されワークスチームが姿を消した。その分アマチュアライダーが多くなり、後に三菱チームに加入し女性で初めてパリダカ優勝を果たすユタ・クラインシュミットも新人ライダーとして出場。彼女はポディウムに駆け上ったとたん、なんと盛大に転倒した。これは今でも鮮明に記憶している。

オート(4輪)のスタートはプロトタイプから。完全自作のプロトバギーで挑むジャン・ルイ・シュレッサーに始まり、三菱、シトロエンと有力チームが続く。ブルーノ・サビー篠塚建次郎市販車改造クラス増岡浩、タイのトップドライバー・ポンサワンらのスタートには応援団の声援もひときわ高まった。

前年T2クラス優勝のポンサワンは母国タイで高い人気を誇っており、タイから取材のテレビクルーも来ていた。スタートしたポンサワンがスタートのポディウムを下る際、テレビクルーがトラブルを装って突如進路をふさぎ、乗車のままのインタビューを長引かせるという荒技を見せてくれた。余りのわざとらしさに笑うしかなかったが、こんな余興(?)もセレモニアル・スタートならではのハプニングだろう。

三菱にとっての脅威は、やはりシトロエンだ。

ドライバーは三菱で長く活躍したピエール・ラルティーグ、そして92年の「パリ~ケープタウン」で三菱に85年以来の総合優勝をもたらしたユベール・オリオール

シトロエンZXラリーは前年までのZX市販車の面影はすっかり失せ、マークとロゴが無ければどこの車両かも分からないだろう。最低地上高は300ミリを超え、長大なサスペンションストロークは高い走破性が容易に想像できた。もちろんパジェロ新型「プロト4」も空力性能の向上、スペアタイヤのフロア下格納による低重心化など大幅改良。こちらもパジェロというより砂漠専用スポーツカー。今の時代でたとえるなら、高級スポーツカーブランドが作るSUVのようなシルエット。どちらが正解を得たのか、それはアフリカステージで明らかになるはずだ。

スタートするユベール・オリオール、ジル・ピカール組(シトロエンZXラリー) (C)Yoshihiko Nakada

午前8時、ようやく白み始めたトロカデロ広場から最後のカミオンがスタートしていった。悲しいわけでもないのに、なぜだか涙がこぼれた。感情を超越した涙だったと思う。去年より暖かいというパリでは、涙は凍らなかった。

ラリーカーの一団はパリ近郊に設けられた全長5kmほどのスペシャルステージ(以降、SS)タイムトライアル(競技走行)に挑む。その後、約800キロ先のボルドーへと自走移動(リエゾン)。我々一行もボルドーへの移動の準備にかかった。

ラリーカーの一団はパリとはしばしの……いや全車が戻ってこられるとは限らない。そして長い長いお別れだ。

車検場のシトロエン。真っ赤なボディカラーが印象的だ (C)Yoshihiko Nakada

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著者プロフィール

中田由彦●広告プランナー、コピーライター

1963年茨城県生まれ。1986年三菱自動車に入社。2003年輸入車業界に転じ、それぞれで得たセールスプロモーションの知見を活かし広告・SPプランナー、CM(映像・音声メディア)ディレクター、コピーライターとして現在に至る。

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