神田勘太朗が語る『DANCE ALIVE HERO’S』 赤字から世界最大級イベントへ 「ダンスは世界を獲れる」

 

神田勘太朗が語る『DANCE ALIVE HERO'S』 赤字から世界最大級イベントへ 「ダンスは世界を獲れる」

カリスマカンタロー」こと神田勘太朗氏は、日本発祥であり世界でも類を見ないほどの大規模ダンスバトルイベント「マイナビDANCE ALIVE HERO’S」を主催し、最近ではダンスのプロリーグ「第一生命 D.LEAGUE」(Dリーグ)を発足するなど、ダンス界を牽引してきた。

今回、神田氏には自身が主催する「マイナビDANCE ALIVE HERO’S」を含めたダンス界のこれまで、そしてこれからのビジョンについて語ってもらった。

■これまでのダンス界の課題点

現在に至るまでプレイヤーとして、また「マイナビDANCE ALIVE HERO’S」や「第一生命 D.LEAGUE」などダンサーが活躍する場所、ひいてはその市場を生み出し活躍の場を広げてきた神田氏。

その活躍の背景にはダンス界が抱える課題があるという。

神田:ダンス界に人は多いんですよ。ダンスプレイヤーも年々増えているんですけど、それをマーケットにするっていう視点を持った人が、他のビジネスに比べると圧倒的に少ないんです。

結局、「ダンス流行ってるよね」っていうのを、どうやって仕事にすればいいのかなっていうのがずっと回答がないまま、今に至るんですよ。ダンサーだけではなくて、ビジネスマンやマーケターが入ってきて初めてビジネスになるんですが、ずっとプレイヤーしかいなかった。

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例えば絵を書く人で言うと、画商が出てきて、次にギャラリーが出てきて、いろいろなものが整ってきたから、アートがビジネスになってきてると思うんです。だけど、ダンスをマーケットに持っていく、いわゆる「翻訳者」のポジションがいなかったし、全員が全員「踊りたい」というのが第一にくるので、今までは難しかった。

―その課題を一番感じたのはいつでしたか?

僕がダンサーとして成功したかった時ですね。22、3歳くらいの時、「ダンスで食っていく」と決めたのに、どうやって食っていけばいいかわからなかったんですよ。インストラクターになるのか、それこそ「EXILE」のようなパフォーマーになることを目指す、つまり芸能界でチャレンジするのかなど。

でも自分はダンサーとして活躍したい、世界をまわってみたいと考えたときに、そもそもダンサーって市場がないなと。どうやってダンサーとして生活していくのがいいのかなって思っていたんです。

まずはダンサーとしての認知を上げなければいけない。自分というダンサーと自分のダンスチームがどうやったら有名になれるのか、っていう視点で考え始めました。そうすると有名になる「箱」を作らないといけないなと。

―そこから「マイナビDANCE ALIVE HERO’S」につながるわけですね。

日本で一番大きな「箱」、つまりイベントを主催すれば、その中でいつでも目立ちたいところを自分で作れるよねって思ったんです。

その視点でもってダンスイベントを一番大きくするために何があるかなって考えた時に、ちょうどテレビで「K-1」が流れてたんですよ。格闘家が「K-1」のような舞台に上がることで、一般の方も見る。その現象を目の当たりにしたんですよ。

そしてそれをダンスに置き換えてみたんです。それが「マイナビDANCE ALIVE HERO’S」のきっかけなんです。DJがいて即興で踊るという、バトルの部分はもともとカルチャーの方であったので、それをエンターテイメント化していこうと。そうすれば一般の方も見に来てくれるかもしれないなと思い始めました。

それが日本一のイベントになる頃には、自分たちも日本で一番有名になっているだろうと思って始めたのがスタートでした。

■イベントは赤字続き その中でも感じた確かな手ごたえ

―「マイナビDANCE ALIVE HERO’S」の立ち上げ当初はいかがでしたか?

神田:僕の想像ではパーンと軌道に乗ってたんですよ(笑)。最初から「これは成功したわ~」って思ってて。成功するのはわかってたんですけど、それがビジネス的にスケールするかおぼろげだったんですよね。

立ち上げて一年目は、お金のことは特に気にしませんでした。もちろん赤字からスタートなので。たしかクラブイベントで赤字70万くらいだったのかな?これはやばいと。当時、ガソリンスタンドでバイトしてたので、これバイト何カ月で返せるんだと(笑)。友人からもお金を借りたりして開催したので、合計110万くらいは赤字でした。

正直、どうしようって感じだったんですが、一回やったなら二回目もやんないとねって感じで、我慢して二回目を開催したら、次の赤字が70万くらいまで下がったんですよ。

赤字が減ったってことはいけるなと(笑)。そこから3回目をやり、4回目に「STUDIO COAST」という場所でやったんですけど、その当時会場のキャパが1500人以上の場所でダンスイベントを開催するというのは、ダンス界では珍しいというか初めてくらいのことだったんですよ。

今みたいにSNSがない時代だったので、宣伝もフライヤーとか口コミしかなくて、「それで人が本当に集まるのか」、「無謀だ」ってみんなに言われてました。

でもいざ開催してみたら、新木場の駅まで行列ができるくらい人が来たんですよ。会場もパンパンで2500人くらい来場して。ただそのイベントも700万くらいの赤字だったのかな(笑)。赤字が続いてたところに、大赤字になったんですよ。

―手ごたえはあったにしても、そこまで赤字が続くと心が折れそうになりますよね(笑)。

神田:いやー終わったなと思いましたね(笑)。もう笑っちゃってましたね、どうしようみたいな。ただ僕の中で確信があったのは、これだけ反響を作ることができたんだから、きっとスポンサーを獲得できるだろうと。そしたらそのイベントを見に来てくださっていた代理店の方が目をつけてくれて、イベントの協賛の営業をしてみたいと言ってくれたんです。

そこでスポンサーがついて、やっとお金が返せて周りのみんなにも給料を払えたんですよ。ただお金って不思議なもんで、入ってきたらすぐなくなっちゃうんですよ(笑)。PCだったり必要な物を買ったりしたらもう無くなってて。

そこでひとつ気づいたんですよ。今までダンサーはCtoCでビジネスをやってきていたんです。個人が個人にダンスを教えるっていうことしかやってきてなかった。

でも、このイベントをベースに協賛を取りに行ったんですよ。2500人が見に来るイベントを、年間3回予選をやります。そこでアンケートを取って、そのデータをお渡しするので協賛しませんか?という形で。

そこで初めてBtoCをちゃんとやったというか。他のダンスイベントも協賛自体はあったんですけど、物品の協賛が多くて、ブランドの周知やマーケットデータを渡すっていうビジネスは作ってなかったんですよ。

それを「マイナビDANCE ALIVE HERO’S」で作ることができたんです。ただ、当時は一人あたりの単価はどれくらいでとかではなくて、あくまでイメージでなんとなく全体で2000万くらいになるだろうとか、すごくアバウトだったんですよ(笑)。

そこから逆に一人のデータの価値ってこのくらいなのかなとか、PDCAを回していったのが協賛ビジネスの始まりでした。

■「ダンスは絶対に世界を穫れる」

そこから多くのスポンサーを獲得しその規模を拡大してきた「マイナビDANCE ALIVE HERO’S」。その中でも変わらぬ信念が神田氏の中にはあったという。

―そこから軌道にのったタイミングは?

神田:2年目にナショナルクライアントがついた時です。ただその協賛で得たお金を、自分たちの会社を潤すわけでも、自分たちの給料に反映させるわけでもなく、全額会場を大きくするために使っちゃったんですよ。

それで3年目には会場を両国国技館に切り替えたんです。ただ2000人規模から1万人になったんで何もわからなかったんですけどとりあえずやってみようと。

そしたら赤字が4500万くらいあったんですよ。

一同:(笑)

神田:当然、お金がなくなりまして。700万とかのレベルじゃない。みんな苦しんでるのに給料があがってない、どうしよう。でもこれだけカマしたんだからイケるだろうと。そしたら3カ月以内に次の協賛も取れて。それで赤字の分を返してっていうことを、奇跡的に10年続けることができた。いわゆる自転車操業ですけど(笑)。でもそうやってマーケットを大きくしていったんですよ。

―でも何度も赤字を出して「次はやばいかも」と思ったりしたことはないんですか?

神田:それはないんですよね。

―その理由はなんだったんですか?

神田:ダンスは絶対に世界を穫れると思っているからなんですよ。なんでこんなにダンスというものに自信を持ってるかと言うと、世界を見渡した時に、まだ誰も手をつけていないビジネスマーケットになり得るコンテンツで、言葉が要らなくて、さらに360度展開できるものってダンスしか残ってないんですよ。

しかも音楽・ファッションも含まれるし、リアルイベントもある。映像コンテンツとしての魅力もある。これらを掛け合わすことができるダンスが世界をとれないはずがないと。かつみんなが無料で楽しめる。今ここで音が流れたら踊れるじゃないですか。

だからどれだけ赤字だろうが、見てくれている人は絶対にいると思ってましたね。

―「マイナビDANCE ALIVE HERO’S」の今後の展開やビジョンは?

神田:むしろやっとここまでこれたって感覚なんですよ。2021年で会社が18年目になるんですけど、「18年目のスタートアップ」なんです。ダンスがくるってずっと言ってたんですよ。

2011年にダンスが学校教育になって、その先さらに広がっていくはずだと思ってたんで、僕は投資し続けていたんですよ。それがオリンピックや「D.LEAGUE」がきっかけになって、しかもTikTokInstagramもダンスばっかりじゃんってみんなが気づき始めたのが今なんですよ。

ただ、どの企業も「ダンスはすごい」というのをわかってきてはいると思うんですけど、実際に何をやったらいいかわからないって感じなんですよね。なのでその代弁者として僕は働き続けて、みなさんがやっといて良かったなと思えるまでは突っ走れるかなと。

■コロナ禍のダンス界

―このコロナ禍でのダンス界の状況はいかがですか?

神田:コロナでオフラインでのダンスレッスンができなくなってしまったりライブでのバックダンサーや振り付けの仕事もほとんど無くなりましたし、他の業界と同じように冬の時代を迎えてしまったというか。

コロナの影響で国際的な断絶にもなっているので、ワークショップで世界を回ることもできず、いろんな課題は多くありますよね。

―コロナの影響もあり「マイナビDANCE ALIVE HERO’S」のFINALも延期となり、来年度のFINALと合同で開催されるとの発表がありました。

神田:そうですね。国技館で踊りたいと夢を持ってる人たちがたくさんいるので、それを縮小させるのはどうなのかなっていうのはありました。

ただこのコロナ禍で何かスピーディに状況を変えなきゃいけないとも感じました。なのでオンラインでダンスバトルができる仕組みを整えないといけないなと。

ZOOMYouTubeなどでみんな取り組んでいこうとしたんですが、なかなかダンサーが望む形では難しいなと感じたんです。なのでダンスバトルのアプリ(VATOLIVE)を作ろうと動き出して、半年くらいでローンチまではこぎつけたんですけど、まだまだテスト版というか、いろいろ試しながらやっている段階です。

今後のためにも、ダンス界に色んな技術を取り入れていこうというチャレンジはしています。世界中のダンサーと交流をするためには、ネットの回線を通じて行うサービスっていうのはこの状況をチャンスと思って前向きに作っています。

■カリスマの目から見る今後のダンス界

―最後に今後のダンス界のビジョンは?

神田:ようやくダンスが市民権を得る土台ができてきたと思っています。そこからダンス界のスーパースターが勝手に出てくるようなプラットフォームを作っていきたいなと思っていて、ダンスが主役になるのが当たり前化する、ダンスがある人生を当たり前化するというのを目的に動いています。

今、皆さんが生きている人生の中でダンスというものが必要不可欠ではないと思うんです。それをダンスがないとつまらないなという世界にしたい。

ダンスは絶対に世界を穫れる
ダンスで世界を変える

その信念で走り続けるダンス界のカリスマ・神田勘太朗氏。神田氏が仕掛けた「マイナビDANCE ALIVE HERO’S」は、今や世界最大級のストリートダンスイベントへと成長していった。

次回は、2021年1月10日に開幕する「D.LEAGUE」について、神田氏が語るその可能性と未来像についてお届けする。

「マイナビDANCE ALIVE HERO’S」
公式サイト:https://dah.dancealive.tv/

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文・SPREAD編集部