ロシアW杯グループリーグ最終節で日本代表と対戦し、ベドナレク選手のゴールで1-0で勝利したポーランド代表。
また、この試合が長く代表チームを支えてきたベテラン選手たちにとって、最初で最後のW杯になると考えられ、長く代表を支えてきた33歳のピシュチェク選手もその1人であった。
ポーランドメディア『SPORT.PL』は、ウカシュ・ピシュチェク選手ら数名のプレーヤーが、ロシアW杯限りで代表のユニフォームを脱ぐだろうと予想した。
今回はそんなピシュチェク選手のプレースタイルや経歴、香川真司選手との関係などに迫ることとする。
ドイツでディフェンダーに転向して大成功
ピシュチェク選手は1985年6月3日にポーランドのチェホビツェ=ジェジツェで生まれた。ピシュチェク選手には両親のほかに3人の兄弟がおり、長兄と次兄もサッカー選手だった。
父親はサッカーの指導者で、幼少期のピシュチェク選手は父がコーチを務めるゴツァウコヴィツェのアカデミーでフォワードとしてプレーしていた。2001年に入団したグワレク・ザブジェではポーランドのユース選手権を制し、2004年に行われたU-19欧州選手権では得点王にも輝いた。
2004年にドイツ・ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンに引き抜かれるが、最初の3シーズンはポーランドのザグウェンビェ・ルビンに期限付き移籍して母国で経験を積むことになる。この時期にはセンターフォワードやウイングで出場を重ねルビンのリーグ優勝にも貢献した。
(c)Getty Images
2007年にヘルタに呼び戻されたピシュチェク選手だが、ドイツでは度重なるケガに苦しめられ定位置を確保できない時期もあった。そうしたなかで2009年、転機が訪れる。チーム事情から右サイドバックでの出場を求められたのだ。
10代のころはフォワードで活躍し、ヘルタでも中盤で出場したことはあるがディフェンダーは専門外。ところが、このコンバートが奏功してピシュチェク選手は右サイドバックに目覚め、以降このポジションでキャリアを送っている。
新境地も開拓しドイツでプロ生活を過ごしていたピシュチェク選手だが、ヘルタは2009-10シーズンで最下位になり2部降格が決定してしまう。そのためシーズン後に自由契約で同リーグのボルシア・ドルトムントに移籍した。
2010年 ドルトムント (c)Getty Images
香川真司とドルトムントの黄金期を作る
ドルトムントに移籍したピシュチェク選手は、この年から加入した香川真司選手とともにチームの黄金期を作り、ユルゲン・クロップ監督の下でブンデスリーガ2連覇とドイツ杯優勝を成し遂げる。
右サイドからオーバーラップしてきたピシュチェク選手に香川選手がパスを通す、逆にピシュチェク選手からのパスを香川選手が受けてチャンスを作る。ピッチ上での2人はいいコンビを見せる。
ピッチ外でもピシュチェク選手と香川選手は仲がよく、ピシュチェク選手のインスタグラムには何度か香川選手が登場している。
日本対ポーランド戦は、公私ともに互いをよく知る2人の対決になった。
ゴールもアシストもできるサイドバッグ
もともと将来を嘱望されたストライカーだったピシュチェク選手は、守備でチームを助けるのはもちろん攻撃参加でも決定的な働きをする。
2017年2月のヴォルフスブルク戦では、ディフェンスの選手でありながら1ゴール、2アシストをマークした。ポーランド代表でも右サイドからレヴァンドフスキ選手のチャンスを作り出す。
2017年にブンデスリーガが制作した動画でも、ピシュチェク選手が果たした攻撃面の貢献が見られる。クロスだけではなくエリア外からのボレーシュート、長身を活かしたヘディングでもゴールを奪う。
労を惜しまず走るハードワーカーでもあり、彼がケガで抜けたときは一時的にドルトムントが勝てなくなり、復帰すると調子を取り戻すなどチームへの影響も大きい。
家族仲は良好で将来は父親の下でプレーしたい
私生活では数年の交際後にエヴァさんと結婚して2011年、2016年に2人の娘が生まれた。
2018年4月にはドルトムントの公式ツイッターが、第3子となる男の子の誕生を祝福している。
ポーランドの家族との仲も良好で、ドルトムントでのキャリアを終えたあとは、父親のカジミエシュさんが副会長を務める古巣ゴツァウコヴィツェでサッカーを楽しみたいと話す。
🎉 Herzlichen Glückwunsch, Familie #Piszczek! Lukasz ist heute Morgen Vater des kleinen Patryk geworden, die ganze Familie ist wohlauf. 🍼 pic.twitter.com/inUXsL9hx1
— Borussia Dortmund (@BVB) April 11, 2018
2007年に代表デビューしてから10年以上、ポーランドを支えてきたピシュチェク選手だが、今年で33歳になった。クラブでもまだ活躍を見せるがこのベテランがドルトムントとの契約満了を迎える2020年に現役を退くのではと『SPORT.PL』は考えている。
W杯最終戦となった日本との試合でピシュチェク選手に出番は訪れなかったが、並々ならぬ思いで試合を見守っていたに違いない。
参考:http://sportgraphy.com/lukasz-piszczek-biography/、https://www.completesportsnigeria.com/dortmund-star-piszczek-to-miss-poland-super-eagles-friendly-for-new-baby/、https://playerswiki.com/lukasz-piszczek
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