日本にダンスのプロリーグ「D.LEAGUE」(Dリーグ)が誕生した。
今、これを過去完了形で書ける嬉しさを思うと、まるで夢のような出来事だ。一生のうちで、こんなに素晴らしい瞬間に立ち会えるとは思わなかった。日本におけるダンスの躍進について、今までどこかで諦めていた節があったのだ。
しかしとうとうダンスにも、サッカーや野球のようなプロリーグが発足された。それによって、ダンスで食べていける。ダンスでプロフェッショナルを目指していい。そんな希望が湧きあがるだろう。そのうえ、ダンサーがダンスを踊るという行為自体に、作曲家や小説家のように「権利」が付与されるようになることをDリーグは目指すのだという。
そう書いているだけでも、そこに内包するであろう大いなる希望が眩しすぎて泣けてくる。ここで語るにはおこがましいが、筆者も幼少時からダンスに魅了されて相当期間打ち込み、またあきらかに何度かは「ダンスを踊ることで魂が救われた」と自覚し、踊れることに感謝しながら人生を生きた時期があるからだ。
目次
■道なき道を歩んできた日本のダンサー達
どんな分野でもプロフェッショナルとして一本立ちするためには、相応に自分の持てる有効なすべての能力を総動員しなくては到底叶わないのが世の中だ。特に肉体を駆使するものは、自分の持てるすべてを捧げる気持ちで打ち込んでも、その見返りを得られるかどうかは誰にも分からない。確固としたプロリーグを有する野球やサッカーの世界でも、当然プロフェッショナルとなる道の険しさや厳しさはある。
しかし、その競争に勝てば活躍できる場所が約束されていれば、そこへ到達することを最初のゴールとして迷わず照準を定めることが出来る。努力を重ねる際に、その先のビジョンの明確さがいかに重要かということは、何かしら目標をもって生きたことがある人なら想像がつくだろう。
そういう意味で、今まで日本のダンス界においてほとんどのダンサー達は道なき道を歩んできた。才能と、必要な努力を続けられる環境、そして運やチャンスに恵まれた、ごくごくひと握りの幸運な人々が、プロのダンサーとして、日本における「ダンスの居場所」を守ってきてくれた。
しかしまたその陰で、どれだけ多くの才能や努力、そして、ただただ純粋に踊り続けたいという願いが、日の目を見ず、自分たちの力を正当に競うチャンスもないままに過ぎ去り、忘れさられてしまったことだろう。
■Dリーグ誕生で開かれたプロフェッショナルへの扉
草木が、春夏秋冬で種から実となり枯れゆくように、人間であるダンサーの一生にも四季がある。肉体が出来上がりスキルと実力を付ける時期が春から夏ならば、そこから内面を磨き表現力に深みが増す頃が実りの秋。そして避けようもなく、肉体が衰え冬枯れの時がやってくる。
今までの日本のダンス界では、ダンサーはもっとも元気な夏の時期に勢いと実力をつけることはできても、実りの秋の収穫風景をリアルにイメージすることは難しかった。だから、どんなに極めても趣味の範疇か、良くてインストラクターが関の山で、ダンス一本で生きることは現実的にはなかなか儘ならなかったのだ。
でも、これからはもう大丈夫だ。期は熟したのだ。Dリーグの誕生によって、日本のダンス界は大きく進化するに違いない。道なき道を進む不安は取り払われ、ダンサー達には確固としたプロフェッショナルへの道に向かって迷わず邁進することが出来る幸せが約束されるだろう。
もちろんそこは、勝者と敗者が生まれる華麗なる残酷さに彩られた厳しき世界ではある。しかしそれこそが、観客にとっては真剣勝負の醍醐味を感じることが出来る最高のエンターテイメントとなり、またそこに「チームで競う」という、多分にスポーツ的かつゲーム的な要素が加味され、おそらくこれまで存在し得なかった最高のスポーツ・エンターテイメントショーとして、Dリーグは燦然と輝く存在になるのではないだろうか。
■ダンスは総合芸術、そして修練
作品としてのダンスは総合芸術だ。一つの世界を表現するために、ディレクターや振付師の綿密な策略と配慮があり、それを理解し表現するダンサーは表現力とパッション、そしてその世界観の空気をきっぱりと迷うことなく纏わなくてはならない。そしてそれ以前に、ダンサーには圧倒的にやらなくてはいけないことがある。踊るための肉体を丹念に作り上げるのだ。
ダンスは修練、といわれる所以はそこにある。そこには、ただがむしゃらに筋肉を強く大きくしていくトレーニングでは叶わない繊細さがあり、同時に日々の積み重ねも必須だ。俗にいう「ダンス筋」を自身の身体に宿すためには、骨や筋肉の特性を深く理解し、ダンスに必要な柔らかくてしなやかな、しかし鋼のように強い筋肉になるよう、入念な仕上げをストイックに自身の肉体に施さなくてはならない。その過程は修練、つまり修行に等しいと言えるだろう。
■2024年からオリンピック競技に。ダンスの新しい愉しみ方とは?
パリで開催される2024年のオリンピックから、ダンスは「ブレイキン」として正式種目となる。一部で長いこと、ダンスはスポーツか否かという「不毛」な議論がなされてきたようだが、もうそれはやめにしよう。
肉体をこれほど駆使して、高度で精妙な技術を真摯に宿していく行為がほかにあるだろうか。少しでも本気で踊ってみればわかる。もしくは、プロのダンサーと身近で交流を持てばわかる。ダンスはスポーツに、さらに美や芸術を加味したものだ。一流のダンサーが発するオーラは、神に愛されているとしか言いようのない圧倒的な輝きを放っているものなのだ。
1月10日に有明アリーナで開催されたDリーグ開幕戦では、まさにその「修練」を積み重ねた8人のダンサーで編成された9チームが参戦し、制限時間2分~2分15秒という短いパフォーマンスタイムの中で、それぞれが息をのむような素晴らしい妙技を魅せてくれた。各チームのパフォーマンスは時の感覚を忘れさせ、約2分が数倍の長さに感じるほどの見応えであった。
また、「withコロナ」にも適応した、各種の配信サービスをフル活用してのリモート観戦も実施され、視聴者は専用サイトにアクセスし、会場の各所に配されたカメラを自由に選ぶことによって、遠近や角度を自在に変えてダンサーのパフォーマンスに迫ることが出来る仕組みが確立されていた。
さらに、まったく新しい試みとして、計4人の公式ジャッジに加えて、誰でも参加できるオフィシャルアプリ会員(※有料登録が必要)による視聴者投票が可能で、その結果が“オーディエンスジャッジ”による「オーディエンスポイント」として加算される方法が採用された。オーディエンスジャッジの持つポイントは、公式ジャッジ1人分の持ち点と同じ20点。「オーディエンスポイント」がいわば5人目のジャッジポイントとして合計され、順位争いに如実に影響するという点も、これまでのプロスポーツとは一線を画する「Dリーグ」ならではのユニークなポイントだ。それは、ダンスという競技では、人気も一つの重要なバロメーターであるという真実を価値化することへの挑戦でもあるという。
いずれにせよ、さまざまに時代を映しだしながらDリーグの記念すべきファーストシーズンは開幕した。ここからさらに熱い戦いが1年にわたって繰り広げられてゆく。その華麗なる闘いを観戦する歓びは、現役ダンサーやダンスファンのみならず、かつてダンサーだった者達の魂までも踊らせ、想定以上に深く大きなグルーヴと感動を生み出すことになるだろう。
この日本に、Dリーグが誕生してくれたことを心から感謝し、祝福を捧げたい。
著者プロフィール
Naomi Ogawa Ross●クリエイティブ・ディレクター、ライター
『CREA Traveller』『週刊文春』のファッション&ライフスタイル・ディレクター、『文學界』の文藝編集者など、長年多岐に亘る雑誌メディア業に従事。宮古島ハイビスカス産業や再生可能エネルギー業界のクリエイティブ・ディレクターとしても活躍中。齢3歳で、松竹で歌舞伎プロデューサーをしていた亡父の導きのもと尾上流家元に日舞を習い始めた時からサルサに嵌る現在まで、心の本業はダンサー。