五輪は政治の道具……それでも東京五輪無観客開催を推したい理由

五輪は政治の道具である。

もっとも顕著にそれが現れたのが1936年、ヒトラー率いるナチス・ドイツの国威掲揚に利用されたベルリン五輪。ナチス・ドイツはスポーツの祭典のホスト国となることで平和国家としてアピール、一方ではユダヤ系を排除、ドイツ代表選手はアーリア人のみの構成となり、以降ユダヤ人迫害を表層化させていった。

ナチス・ドイツ国威掲揚の演出として、初めて取り入れられたのが聖火リレー。アテネからベルリンまで五輪の火がリレーされ、聖火ランナーの到着にメインスタジアムが沸き立つ開会式は、ヒトラーを主賓とし、初めて取り仕切られた。ナチスが導入した祭典の儀式を、国際オリンピック委員会(IOC)が継承している点、なぜか疑問視されないのかは時折、首をかしげる。

ナチス・ドイツは平和の祭典のわずか3年後、ポーランドへ侵攻し、第二次世界大戦が勃発。人類暗黒史への階段のひとつが五輪とは、なんたる皮肉か。

1980年のモスクワ五輪は、ソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻への抗議として、アメリカ日本西ドイツ韓国などおよそ50カ国近くがボイコット。日本では「西側諸国がボイコット」と報道されるが、実際にはイギリスフランスイタリアスペインポルトガルベルギーオーストラリアなどは参加しており、現在に至っても日本の報道がいかに政治にひたっているかを物語る。

1984年のロサンゼルス五輪では、アメリカのグレナダ侵攻を口実にソ連をはじめとした共産国家がボイコット。オールドファンなら、このあたりの経緯をご記憶の方も多いだろう。稀代の名ランナー、瀬古利彦が五輪メダルに届かなかったのはなぜだったか……。

実は1976年に開催されたモントリオール五輪は、南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策への抗議として多くのアフリカ諸国がボイコットしている点、日本ではあまり知られていない。こうして振り返ると1988年のソウル五輪は、正しい意味合いで「平和の祭典」として開催された久々の大会だった。

■五輪からの政治排除は相反する命題

IOCのジョン・コーツ副会長(中央)、隣は組織委員会の森喜朗会長

古代ローマ帝国においても「パンとサーカス」という言葉で表される通り、コロッセオを舞台とした競技大会は古来、為政者の支持確保のために取り仕切られてきた。

ロス以降、大規模な商業化により、国を挙げての一大イベントとなった五輪について、政治介在を否定するほうが不可能だ。中国は2008年の北京五輪で国威を誇り、2022年の冬季大会では、大国としての完成形を世界に誇示する。

東京五輪開催決定の際も、時の首相・安倍晋三が東日本大震災からの復興五輪であると、提灯をぶら下げ招致に成功。リオデジャネイロ五輪の閉会式に、マリオのコスチュームで登場してみせたのは、政治的打算以外にない。現状では「延期」となっている2021年についても、菅首相が東京五輪を「人類がコロナに打ち勝った証に」と発言し、支持率の回復に当て込もうと考えるのも、致し方がない。肯定でも賛同でもない事実だ。

IOCを始め、各関係者は政治色の排除について執拗に訴えるものの、国別のメダル数を競い、国の助成金を得て国の代表として送り込まれている限り、五輪からの政治排除は相反する命題である点も明らかだ。

五輪は政治の道具である。

■あえて提言したい、東京五輪の無観客開催

さて、いささか長く、やや語弊を招く表現だが、上記の点をまず前提としてご理解願いたい。

新型コロナウイルスが世界中でその猛威を振るい、2020年に予定されていた東京五輪は2021年に延期。しかし、日本政府の愚策とも思われる「Go To」により、比較的大都市圏に限定されていた国内の感染は、2021年に入り全国で大爆発。第二次世界大戦での戦死者数とならぶ死者を数えるアメリカほどではないにしても、医療崩壊も叫ばれる中、五輪のような国際的イベント開催は、より難易度が高まっているのが実情だ。

各種の世論調査でも「五輪中止」が大半を占め、「ジャパンタイムズ」の記者がTwitter上で募ったアンケートでも下記の通りの結果となっている。


「ジャパンタイムズ」のMagdalena Osumi記者が募ったアンケート。五輪中止が半数近い支持を集めている(出典:@jt_mag_os

だが、こうした状況の中、あえて提言したい。東京五輪を無観客で決行してはいかがか。

なぜ日本国民は五輪開催に反対するのか。これ以上の感染拡大を防ぐため……、五輪経費が医療予算を圧迫するから……、スポーツより医療が優先……。しかし、プロ野球Jリーグ大相撲甲子園……五輪反対を唱えても、スポーツイベント開催に異を唱える方はそう多くない。

みなが五輪を嫌悪するのは、延々と説明した通り、それが政治だからだ。

■プロ野球やJリーグは医療関係者の監督下で開催

多くのファンがすっかり忘れ去ってしまった言葉に「アスリート・ファースト」がある。小池百合子都知事のお得意の横文字キャッチフレーズだったと記憶している。なんでもカタカナにすればカッコいい……そんな“老害世代”の遺物かもしれないが、この発想だけは支持したい。また、当時「アスリート・ファースト」に異を唱えた方はどれほどいただろう。

もし、その言葉が政治的なプロパガンダだけではなかったのであれば、平和の祭典として、アスリート・ファーストを前面に東京五輪を本当に開催したらどうだろう。無観客という条件付きで。

いや、巨額追加予算が必要……もはや箱物インフラは国立競技場のように完成済、もしくは完成の域にあり、追加予算はすでに投入済。今更戻って来ない。費やしてしまった巨額予算を逆に無駄にすべきではない。

多数の外国人選手が来日し感染が拡大する……いやいや、昨年だけで最初の感染源となった中国から100万人を超える方々が入国済。過去最大となったリオ五輪の代表選手1万1237人など、それと比較すれば微々たる人数だ。このご時世だ、参加人数は激減する。ましてや、渡航前に選手団派遣元各国で責任を持って管理、入国も完全管理可能であり、選手村に限定滞在というシナリオであれば、変異種ウイルスに罹患しながら街中で食事会に参加している一般人よりも遥かに安全だ。

アメリカのプロバスケットボールリーグ・NBAがフロリダで選手を完全管理下におき、プレーオフをすべて完遂した例を見れば、それが可能だと理解できる。

医療従事者への負担……ここはまったくの専門外なのでしっかり議論を重ねて頂きたい。しかし、プロ野球開催についても医療担当者がおり、Jリーグも同様に開催実績を重ねている。先日も白血病から復帰した(つまり一般の方よりも罹患の危険性が高い)池江璃花子が出場した水泳大会「北島康介杯」のように各種競技は医療関係者の監督下において、無事開催されている。

五輪……とは呼ぶものの、実はたった2週間、その期間のみ、各種大会に関与している医療関係者が、担当競技をそのまま担当するだけで、開催は叶わないだろうか。五輪とは呼ぶもののその実、各種競技はそれぞれまったく個別に運営される。1シーズンにおよぶ各リーグの運営から比べても、それほどの重責とは思われない。もちろん、この点は医療関係者から異論もあると思われる。

■アスリートの思いや涙を「無」にはできない

「外野は気楽でいい、運営側も大変なんだ」という意見もあろう。ただし、先日も某競技運営担当と会話したところ、「現場は粛々と準備を進めてますよ。中止、延期とか我々が関与するレベルではないので……」といつも通りだった。逆に中止の噂に、就職活動に出回るメンバーが出ているほどとか。また、かつて危惧されたスポンサー問題も、全スポンサーとも無事延長契約は締結済。感染症対策を例外とすれば、現場は計画通り推移している。

2016年東京五輪、つまりリオに敗れ去った際の東京招致活動におけるデジタルコンテンツの担当だった者として、またロゲ前IOC会長の「トキオ」という発表を、松岡修造さんらが集う真夜中の日比谷・東商会館で耳にした者として、東京五輪に対する個人的思い入れはないでもない。

しかしそれよりも、各アスリートが東京五輪出場を夢見て積み重ねた鍛錬の数々、犠牲の数々を「無」にしてしまうのは、あまりにも忍びない。

体操の内村航平は昨年、国際親善試合において「できない……ではなく、どうやったらできるか……をみなさんで考えて、どうにかできるように」と東京五輪開催を提言している。

男子柔道最後の東京五輪代表決定戦が東京・講道館で行われた12月13日、24分の死闘を制した阿部一二三と破れた丸山城志郎が流した涙をすべて無に葬る選択肢はあるのだろうか。

リオ五輪で女子バドミントン・ダブルスの金メダリストとなった高橋礼華は、五輪開催延期にモチベーションを保てず、すでに引退を選択。昨年31歳で東京五輪に挑むはずだったスポーツクライミングの野口啓代は、キャリアの集大成と位置づけているが、2021年も流れてしまう事態となれば、彼女はどんな決断を下すのだろう。前述の内村もNHKでの北島康介によるインタビューで「東京でなければ、引退していた」と明言している。

■多くのメダル候補やアスリートがいる事実

(C)Getty Images

「アンダーコントロール」という安倍前総理の虚言癖をフォローするためでもない、五輪組織委員会会長である森喜朗の冥途への手土産のためでもない、ましてや新型コロナ対策に空手で挑み支持率低下で悩む菅政権に花を持たすためでもない。

「アスリート・ファースト」、その一点のみにおいて、東京五輪の開催を後押ししたい。そしてこの世界的苦難の時代に東京五輪(もちろんパラリンピックも含む)を実現できる、そんな国民こそが日本人であり、日本人の寛容と底力を世界に示す、そんな大会を作り出せないものだろうかと考える。

近代五輪の父とされるピエール・ド・クーベルタン男爵のあまりにも有名な言葉を今一度思い起こそう。「L’important, c’est de participer (参加することに意義がある)」。政治的な嫌悪感、火事場の感情論を理由に、その舞台を歴史から消し去ってしまってよいだろうか(※最初にこの言葉を発したのは、アメリカのエゼルバート・タルボット大司教である点はさておき)。

IOCは米3大ネットワーク・NBCと放映権について巨額の契約を締結。実は2020年の東京大会がその最終年度。新規契約は2022年の北京大会を降り出しにこれも締結済。よってIOCとして東京大会をキャンセルすることはできない。つまり日本が中止を提言してもIOCは受け入れない。これが政治的かつ経済的なたてつけだ。無観客での東京五輪開催は、この契約に相反する条件ではなく、問題なく承認されるはずだ。

誤解してほしくないのは、本五輪開催における日本政府の巨額予算消費を肯定する意見ではない点。この際、5Gなどの最新テクノロジーによるインタラクティブな東京五輪を届け、アフターコロナの経済的起爆剤とするのも一案だ。あくまで、アスリートのため、競技人生のピークを棒に振らずに済む方法を提言したい。

五輪中止の意見もあって当然。ただし、東京五輪に向け、多くのメダル候補が、ひとりひとりのアスリートがいることを忘れないでもらいたい。

ここにあらためて新型コロナウイルスによる犠牲者の冥福を祈り、医療従事者の労苦に感謝の念を残したい。

著者プロフィール

松永裕司●Neo Sports General Manager

NTTドコモ ビジネス戦略担当部長/ 電通スポーツ 企画開発部長/ 東京マラソン事務局広報ディレクター/ マイクロソフトと毎日新聞の協業ニュースサイト「MSN毎日インタラクティブ」プロデューサー/ CNN Chief Director of Sportsなどを歴任。出版社、ラジオ、テレビ、新聞、デジタルメディア、広告代理店、通信会社での勤務経験を持つ。1990年代をニューヨークとアトランタで過ごし2001年に帰国。

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