デシャン監督はナポレオンを超えた?W杯優勝のフランスに「ロシア遠征成功」と歴史ファン

FIFAロシア・ワールドカップ(W杯)決勝が7月15日に行われ、フランスがクロアチアに4-2で勝利して20年ぶり2度目の王座に就いた。

フランスがロシアの地で勝利を手にしたとなれば、歴史ファンの間で連想されるのが206年前に起こったロシア遠征である。

時の皇帝ナポレオン・ボナパルトが大敗北を喫し、その支配体制が終焉に向かっていった因縁の地で栄冠を掴んだことに、歴史ファンから多くの祝福が集まっている。

(c)Getty Images

歴史的な大失敗に終わったロシア遠征

フランス皇帝ナポレオンは宿敵イギリスを経済的に困窮させ、ヨーロッパでの覇権をより確かなものにするべく1806年に大陸封鎖令を発し、同盟関係にあったヨーロッパ諸国にイギリスとの貿易を禁止した。

島国であるイギリスの孤立を狙ったものだったが、産業革命で世界に先駆け機械化が進み『世界の工場』と呼ばれていたイギリスからの物資が入ってこないことに同盟国からの反発も強く、大陸封鎖令に参加した国の経済も混乱させた。

1810年にロシアが大陸封鎖令を破りイギリスとの貿易を再開すると、これを看過できないナポレオンは1812年に総勢60万人の大軍を引き連れてロシアに攻め入ったこれがナポレオンのロシア遠征である。

軍人として数々の武勲をたて出世したナポレオンに対し、ロシア側は正面から戦わず、広大な領土を活かした焦土戦術に出る。

60万もの大軍を維持する糧食を持ち運ぶのは困難であり、本国から遠く離れた土地への進軍となれば補給支援も望めない。

道中で攻め落とした街や砦の物資を補給に充てる腹積もりだったが、ロシア兵が火を放って退却していくため目論見は外れてしまう。

モスクワ入りしても十分な食料を手に入れられなかったフランスは、ロシアの厳しい冬を前にナポレオンがようやく撤退を決意したものの、ロシア兵の追撃を受けその数を大きく減らす。

飢えと寒さに苦しめられたフランス軍は60万人のうち生存者5000名という歴史的大敗を喫した。

フランスが206年越しの悲願成就

(c)Getty Images

他国と地続きに国境を接しているヨーロッパ諸国では常に対外的な争いや駆け引きが繰り広げられてきた。

そのためW杯のような国際大会では因縁のある国同士が対戦すると歴史的な視点から盛り上がりを見せる。

本気で政治を持ち込まない限り、これもスポーツの楽しみ方のひとつだ。

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