【スポーツ回顧録】長嶋茂雄、松井秀喜、国民栄誉賞W受賞 昭和と平成のスラッガーを振り返る

長嶋茂雄と松井秀喜(2003年4月29日、ヤンキースタジアム) (C)Getty Images

もっとも鮮明に記憶している長嶋茂雄の出場試合は、1974年10月14日中日戦だ。

オールドファンならご存知だろう。

第一試合での444号ホームラン(なんと覚えやすい。昭和40年男にとって、東京タワーの333mに匹敵する象徴的な数字だ。東京タワー竣工も同じ10月14日)が最後の「ONアベックホームランとなり、第二試合後のセレモニーで「巨人軍は永久に不滅です」の名言を残したダブルヘッダーだ。

世代的に巨人ファン、いや、長嶋ファンだった父が、喰い入るようにブラウン管に見入っており、筆者もつられて眺めていた。この日は月曜日で、父が平日に会社を休むというのは、体調不良などを除き「後にも先にもない」と母も記憶している。最後の打席は第二試合の8回裏、遊ゴロ併殺打だった。マウンド上、ゲームでは使用しなかったカクテル光線に映し出されたスピーチシーンは、殊の外、印象的だ。

それまでも何度か後楽園球場に連れられて行ったものだ。ミスターの6歳年下にあたる父は、長嶋に打席が回る度、熱狂的に声援を送った。観戦中、残念ながらミスターの打棒が爆発したという記憶はない。

◆【スポーツ回顧録】記憶に残る平成のスラッガー、松井秀喜の国民栄誉賞

■実際に目にした長嶋茂雄は、大きかった

もう少し「野球」というものが判るようになるにつれ、私が目撃した試合はミスターの「晩年」であると理解した。打率の変遷を取っても1972年は.266、73年が.269、巨人が10連覇を逃し引退した74年は.244である。最後のシーズン、この日飛び出したホームランで15本だ。当時、巨人戦と言えば、今とは比べ物にならないプラチナチケット。野球界と縁もゆかりもない我が家で、後楽園球場に足を運ぶなど、年に1度か2度、「快打洗心」になかなかお目にかかれなかったのも無理は無い。

ただ、サードからのラインニングスロー、そして、そこからの独特の右手の「ウエイビング」は目に焼き付いている。当時、野球を始めたばかりの私は、かなり小柄だったせいもあり、ショート・セカンドを任されていた。やはり、子供にとっても鮮烈なスローイング・フォームだったのだろう。特に意識せずして、ウエイビングをマネしては、コーチにどやされたものである。

あろうことか、小学校3年生頃の私の写真を見ると、常に「YG」マークのベースボールキャップを被らされている(ご存じの方もいるだろうが、筆者はヤクルトファンである)。

筆者が初めて長嶋茂雄に会う機会に恵まれたのは、すでに病に倒れた後。それでも、ミスタープロ野球の大きさに驚いた。現役時代の数値では身長178センチ体重77キロ。筆者と同じ、もしくは筆者よりもやや小さめである。ところが実際に目にした長嶋茂雄は、大きかった。いや、大きく見えた。これが世に言う「存在感」かと悟った。これで病に倒れた後なら、現役時代、人々の目にどれほど大きく映ったことだろうか。

「栄光の背番号3 長島茂雄」報知新聞社(1974年12月1日発売)

■「長嶋、大鵬、卵焼き」でも違和感はない

長嶋監督となっていた1977年、筆者は王貞治756号の当時の本塁打世界記録樹立に狂喜乱舞した一少年だった。この年、王は「初の」国民栄誉賞を受賞。国民栄誉賞は、福田赳夫総理が当時、ハンク・アーロンが保持していた本塁打世界記録(755本)を破った台湾国籍だった王を称えるために作られたと、筆者は記憶している。いまや、26人と1団体が授与されている(2021年5月現在)。

しかしながら、受賞の基準が「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった者について、その栄誉を讃えること」と規定されている点を振り返ると、長嶋茂雄よりも相応しい受賞者はいないだろう。監督を解任されただけで、大新聞社の不買運動が起こるほどの野球選手が今後登場するとは、想像できない。1980年以降、「長嶋ファン」の我が家でも購読紙は朝日新聞に変わり、スポーツ報知が家に届けられることは二度となかった。

筆者は、長嶋ジュニアと同い年。偶然にも立教大学に進む。愚父は感慨深そうにこう言い放った。「これで息子も長嶋さんの後輩か…」と。一茂は立教大学を卒業すると、我がヤクルト・スワローズに入団する。巨人ファンだった父まで、「今日からヤクルト・ファンになる」と宣言する始末だった。あの世代にとって、長嶋茂雄はそれほどまでに強烈なヒーローだった。

父と筆者の世代にとって、こうした逸話はゴクありふれ、どこのウチにも長嶋茂雄にまつわるエピソードが残っているのだろう。そんな市井の家庭に影響を及ぼすほど。「巨人、大鵬、卵焼き」と称されたが、「長嶋、大鵬、卵焼き」と置き換えても違和感はない。大鵬が没後受賞となってしまった事実を振り返ると、不世出の選手・長嶋茂雄の国民栄誉賞は「無事受賞」と安堵しても良いだろう。

■チームの枠を超え、声援を送り続けたい巨人のプレーヤー

愛弟子・松井秀喜の引退が、そのトリガーとなったのも相応しいと言って構わないだろう。長嶋を最大のライバルと目していた野村克也語録にこんな言葉がある。「財を残すは下、仕事を残すは中、人を残すは上」。その言葉通り、長嶋茂雄は、松井秀喜という稀代のスラッガーを生み出した。その功績をもっても十二分に受賞に値する。

ミスターが活躍した高度成長期と異なり、現在の日本は成長期をとうに過ぎ、病を抱えている。そんな病の時代に、こうした明るい話題は、歓迎すべきだ。おめでとう、ミスター。

我々が、日々愉しみしているプロ野球をここまで育てあげたのは、長嶋だ。亡き父が、このニュースを耳にしたら、どんなコメントを残しただろうか…。

個人的に、チームという枠を超え、声援を送り続けたい巨人のプレーヤーは3人、長嶋茂雄、王貞治、松井秀喜…。そう考えると、やはり3人とも国民栄誉賞に相応しい。

それにしても「長嶋ジャパン」で活躍する松井を観たかった。返す返すも…。

国民栄誉賞については、「贈る側の、政治家のための賞」という批判については、実にその通りだとせざるを得ない。安倍元首相からの受賞も、真摯に二人の功績を讃えて…というよりも政権の人気取り、そのあざとさがやたら目につく。政策とは別に国民の歓心を買うだけの方針には、毅然と批判の視点を持っておきたい。安倍元首相は、実に7人にこの賞を贈っている。次点の中曽根康弘が4人であることを振り返ると、いかに国民の歓心を買うことに執着したか、勘ぐりたくもなる。

Yahoo!ニュース個人 2013年5月5日掲載分に加筆・転載

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著者プロフィール

たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー

『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨークで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。

MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。

推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。

リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、クイーンズ区住民だったこともあり、ニューヨーク・メッツ推し。

著書に『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』、『麗しきバーテンダーたち』など。


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