【スポーツ回顧録】ファンの度肝を抜き続けた野茂英雄のメジャー100勝達成

野茂英雄(ロサンゼルス・ドジャーズ、1996年4月8日) (C)Getty Images

2003年4月20日、ロサンゼルス・ドジャーズ野茂英雄投手は、メジャーリーグ通算100勝を達成した。「通過点」と発言する野茂のメジャー生活、野球生活はそう平坦なものではなかった。日本人メジャーのパイオニアの9年間を、少しだけ振り返る。

MSNスポーツ 2003年4月21日掲載分に加筆・転載

■26年前の5月3日、「NOMO」メジャー初登板

野茂の記念すべき100勝は、3度も足踏みした、難産だったとの報道も多い。しかし、野茂の記念すべきメジャー1勝目は、その例えにならうなら逆子のように難産だった。なにしろメジャー入りしたものの、ワールドシリーズ開催さえ見送られたシーズンの翌年、変則的な開幕に加え、先発ローテーションにかろうじて引っかかるような登板間隔、初登板すら5月2日だった。そう日本のゴールデンウィーク真っ只中、日本時間5月3日だった。

そして好投を続けていたわりに、初勝利はさらにひと月後の6月2日だった。

メジャーで野茂のピッチングを初めてみたのは1995年5月23日ニューヨーク、まだ野茂が1勝も上げることができずにいた、そして今はもうなきシェイスタジアムでの出来事だった。

今でこそ松井秀喜を始め、多くの日本人メジャーリーガーが日夜スポーツ番組をにぎわしているが、1995年当時は「日本人がメジャーで通用するのか」という疑問符がついて回った。

日本人の多いニューヨークでメッツ相手の先発でも、まだ未勝利だった野茂はひどく孤立してみえた。レフトスタンドに「NOMO」の垂れ幕がかかる以外、敵地であっただけに声援はすべてメッツに送られた。野茂が投げる、すなわちメッツの攻撃機会。それだけに余計に野茂が孤独に見えた。

■「日本人はメジャーで通用するか」という疑問は、雲散した

普段、熱烈にメッツを応援していた私はネット裏から思わず日本語で「のもー!がんばれー!」と声を張り上げさえしたものだ。ビールを片手に観戦していたアメリカ人のファンが、「なんだ、なんだ」とわざわざ寄ってきては、その意味を問いただしに来たほどだった。95年シーズン当初の日本人メジュー選手のステータスは、まだ「その程度」に過ぎなかった。

それが6月2日、今度はドジャースタジアムでメッツを相手に8回を投げ、1失点で初勝利を挙げると、あれよあれよと勝ち星を積み重ね、この年のオールスターの先発投手に選出されてしまう。オールスターでは、当時シアトル・マリナーズに在籍していたランディ・ジョンソンと投げあった。

これには驚いたというよりも、度肝を抜かれた。それとともに、「日本人はメジャーで通用するか」という疑問は、雲散した。日本で4年連続最多勝投手に輝いた野茂は、メジャーで十二分に存在感を示した。

その後も野茂の活躍には、度肝を抜かれっぱなしだ。翌96年には、空気が薄く、ボールがばかすか飛ぶロッキーズクアーズ・フィールズノーヒットノーランを記録したかと思えば、ボストン・レッドソックスに移籍した2001年には、エースのペドロ・マルティネスを差し置いて、シーズンスタート時にまたもノーヒットノーランを達成。ふたつの世紀にまたがりノーヒットノーランを達成した選手は、メジャーの長い歴史の中でも、野茂ただひとりだ。

■ランディ・ジョンソンと投げあい完封勝利

100勝達成よりもまた度肝を抜かれたのは、今年(2003年)の開幕戦だ。3月31日、9年前のオールスターと同じ組み合わせの投げ合い。相手は、またも「泣く子も黙る」ランディ・ジョンソンだった。

せっかく開幕投手だというのに「また野茂は運が悪い。相手が悪い」と、私は試合前に嘆いた。ところがどうだろう。4年連続サイ・ヤング賞の豪腕と投げあい、挙句に完封勝ちを収めてしまったのは、野茂のほうだった。ジョンソンは、一昨年(2001年)のワールドシリーズで、チームメートのカート・シリングとほとんど2人で投げぬき、2人の投手だけで優勝してしまった……それほどの怪腕だ。その投手と投げあっての完封勝利だ。

日本の各メディアのメジャーニュースといえば、松井秀喜の動向一色だったが、メジャーでのニュース価値から考えれば、海外からの一新人のデビューよりも、エース同士の投げあいの末の完封劇が数段上だった。その証拠にアメリカのケーブルTVニュースでは、松井の名さえ挙がらなかったが、野茂の完封劇がこの日のヘッドラインを飾った。

1995年、野茂の5連勝初完封を伝えるサンケイスポーツ一面

100勝を機に、野茂の9年間の足跡がにわかに脚光を浴びている。各スポーツ紙ともに「曲折」「栄光と挫折」「生きさま凝縮」など波乱のメジャーを書き立てた。日本球界でもデビュー以来、4年連続最多勝に輝いた所属球団の近鉄バファローズも今はなく、時の流れさえ感じさせる。

メジャーでの100勝と日本での78勝…野茂は日米通算200勝を射程内に収めている。こうなると日本名球界入りの条件「日本で200勝」がかすんで見えてきた。

※メジャーにおいて、野茂は123勝を挙げ、日本人として最多となる白星を記録。100勝以上を挙げているのは、野茂のみ。2位は黒田博樹の79勝、続いて田中将大の78勝、ダルビッシュ有の74勝(2021年5月1日現在)。

※野茂が日米通算200勝を達成して以来、日本人で200勝を達成したのは山本昌、黒田(日米通算)の2人。田中やダルビッシュに日米通算の可能性はあるものの、日本球界単独ではヤクルト・石川雅規の手が果たして届くのか。単独での200勝達成者の可能性は極めて低い。

もちろん、日本の野球ファンなら誰もが野茂に声援を送っていることだろう。野茂がこれからも怪我もなく、できるだけ長く野球ファンを興奮させ、楽しませてくれるピッチングを披露し続けてくれることを願って止まない。

野茂のメジャー100勝を伝える2003年4月22日付日刊スポーツの一面

■野球ファンとして忘れてはならない野茂の功績

もう2つだけ、野茂のメジャーでの成績を付け加えておく。日本人メジャー選手の初のホームランは、新庄剛志でもイチローでもなく、野茂であること。そして、メジャーに渡って以来、それほど完投の多くない野茂の成績は(もちろん先発投手は、100球前後でマウンドをセットアッパーに譲るという不文律によるためだが)、9年でたった8完封(引退までに9完封)。しかし、うち2つがノーヒットノーランだという事実。野茂はこれからも、野球ファンの度肝を抜いてくれるに違いない。

野茂英雄、ありがとう。

【追記】日本人メジャーリーガー野茂英雄の足跡を知る若い野球ファンも少なくなったことだろう。本日5月3日(現地2日)は、野茂のメジャー初登板以来、ちょうど26年となる。大谷翔平ダルビッシュ有の大活躍を見守ることができるのも、野茂の功績である点、日本の野球ファンとしては忘れてはならない。

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著者プロフィール

たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー

『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨークで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。

MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。

推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。

リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、クイーンズ区住民だったこともあり、ニューヨーク・メッツ推し。

著書に『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』、『麗しきバーテンダーたち


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