8月5日から第100回全国高校野球選手権大会が開幕し全国の予選を勝ち抜いた56校の戦いが始まった。優勝校が決まる21日の決勝まで連日の熱戦が期待される。
ところで高校球児といえば何を思い浮かべるだろうか。元気のいい挨拶、黒く日焼けした肌、それらも確かにそうだが、やはり坊主頭の印象が強いのではないだろうか。
実際に今大会の出場校を見まわしてみても大半の学校で部員は坊主にしている。部の規則で坊主と決められている学校があれば選手が自主的に丸めている場合もあるだろうが、2018年においても依然として高校球児の髪型は坊主が多い。
そんななかで大会初日の第3試合に出場した慶應(北神奈川)の選手たちは頭髪が長く、坊主が義務ではない学校として注目を集めた。
ただし、やはり高校野球の選手たち、特に甲子園に出てくるような強豪校は坊主が当たり前という風潮が根強いようで、SNS上では賛否両論というかたちで様々な声が挙がっていた。
慶應が坊主頭を強制しないのは以前から
賛否両論を呼んでいる慶應の髪型問題だが、そもそも慶應は以前から部員に坊主を強制しない自由な校風で知られている。そこには部のスローガンである『エンジョイ・ベースボール』も関係している。
早稲田の『野球道』に対して『エンジョイ(楽しむ)』という言葉を使っているが、決して勝ち負けを気にせず楽しい野球をやろうと言っているのではない。そのように浅薄な言葉なら受け継がれてこなかっただろう。
むしろ「どんなときでも勝ちにこだわる」ことを強く教えている。
勝利するためにはつらく苦しいことにも耐えねばならず、なかなか楽しい時間にはたどり着けないが、だからといって始終しかめっ面でやる必要はない。修行僧みたいな顔をしてやるのがスポーツではない。練習中に笑いが起きても良い。それは不真面目なことではない、と1991年から2015年まで野球部を率いた上田誠監督は過去のインタビューで語っている。
その教えは慶應高校野球部部訓にも見て取れる。
- 日本一になろう。日本一になりたいと思わないものはなれない
- Enjoy Baseball(スポーツは明るいもの、楽しいもの)
- 自分がどんなに頑張っててもダメという相手でも、絶対に負けるのを嫌え。勝ち負けの勝負にはとことんこだわれ。負けても淡々としている奴は勝てない。早すぎるんだよ切り替えが。30対0で負けていても逆転すれば世間はそれを奇跡というんだ。自分で自分の逃げ道を作るんじゃねえ
- 男は危機に立って初めて真価が問われるものだ。チームもここぞで点をやらなきゃいいんだろ。最後は勝てばいいんだろ
- 雨と風と延長とナイトゲーム、そして決勝戦には勝つ
- エンドレス(いつまででもやってやろうじゃないか)※慶應高校野球部部訓より一部抜粋
その真価を発揮したのが2008年の北神奈川大会決勝で東海大相模を破り、46年ぶりに夏の甲子園出場を決めた試合だ。
延長十三回までもつれる激闘にも弱気を見せず、逆境だからこそ楽しみ、強豪から勝ち星を奪った姿はまさに「いつまででもやってやろうじゃないか」のエンジョイ精神だった。
古い体質の日本の高校野球に新風を吹き込む
米国のカリフォルニア大学ロサンゼルス校でもコーチ経験がある上田監督は、アメリカ野球をベースにしながら日本野球の利点を活かした新しい野球を模索してきた人物でもある。
そのため古い伝統が支配する旧態依然とした高校野球界に風穴を開けてやろうとする意識も強く、慶應の野球部部員訓には「日本一を目標とし、古い体質の日本の高校野球に新風を吹き込む」の文言がある。
自著『エンジョイ・ベースボール』の中で、試合に勝つこととは「チーム全体で作品を作るようなもの」と説いた上田監督。勝利に必要なのは「個々の選手がどういったアクションを起こし、それが機能したかどうか。自分たちのすべきことをきちんと自分で考え、一生懸命努力し、野球を愛してチームが勝つための役割を全うできたか」が重要だと記した。
上田監督が就任してから慶應では下級生の仕事だった練習の準備、片付けを上級生も含めた全員で行い時間を短縮し、効率化で生まれた時間を自主練習や勉強に充てさせた。同じ作業をすることで上級生と下級生の間にコミュニケーションが生まれることも期待した。
自身も高校、大学で軍隊式の上下関係を叩き込まれたがものすごく嫌だったと語る上田監督は、全員で行えば早く終わるものを「伝統だから」で下級生だけにやらせるのを嫌う合理性の持ち主だった。
だからこそ強いチーム作りと坊主の強制は無関係という結論に達したのかもしれない。
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