【スポーツビジネスを読む】アマチュアを支援するメディア「スポーツブル」黒飛功二朗・運動通信社社長 前編 「Sk8er Boi」が代表取締役になるまで

運動通信社 代表取締役の黒飛功二朗さん

アマチュアスポーツをテーマに据えたメディア「スポーツブル」を運営する運動通信社、その代表取締役社長・黒飛功二朗さんは、電通出身。体育会系として名高い広告代理店だけに、黒飛さんもさぞかし体育会系ばりばりな領域からスポーツビジネスへと飛び込んだのだろうと勝手に思い込んでいた。

「全然違いますよ。実は部活もやっていなくて、食わず嫌いもなんですけど、部活も正直嫌いでした。あの青春っぽい感じがその当時すごく苦手で、スポーツにも興味はなく、ちょっとクセのある少年でしたね」と意外な第一声だった。

なにしろ電通と言えば、体育会枠が新卒採用に用意されていると実しやか囁かれる企業。その組織出身でスポーツのソリューションを手掛けるとなると、やはりバリバリの体育会系かと…。

「中学高校ではスケボーやっていました」。今年の東京五輪では、男子のストリート部門で堀米雄斗が金メダル、女子は西矢椛(にしや・もみじ)が金、中山楓奈(なかやま・ふうな)が銅、パーク部門では女子の四十住さくら(よそずみ・さくら)が金、開心那(ひらき・ここな)が銀と、いまや立派な五輪競技。しかし、黒飛さんの時代は、まだストリートカルチャーの一種に過ぎなかった。

スケボーには、自分の好きな感性を伸ばす特徴がありますし、それが自分に向いていると思っていました。スケボーだけではなく、それを取り囲むカルチャー、そしてライフスタイルに傾倒していった感じです。ライフスタイルだけにファッションにも、音楽にも影響を与える。それゆえ高校も大学もDJ、音楽活動にのめり込んで行きました。スポーツブルは『日本の部活を支えて行く』をキャッチにしていますが、自分自身が部活どっぷりではないんですよ、すみません」と明るく苦笑する。

しかし、こうした活動がその後のキャリアにつながって行く。DJだけに終始するのではなく、音楽イベントの開催に至り、使われていない倉庫を活用しイベントを企画、ここに飲食出店をからめるなど、コンテンツをモチーフにプロジェクトを打ち立てた。結果、プロデューサーとして、イベント開催を主導していった……。

新橋のオフィスに併設されるスケボーパークにて

黒飛功二朗(くろとび・こうじろう)

●株式会社運動通信社・代表取締役社長
神戸大学経営学部卒業。株式会社電通に入社。同社の「テレビ局」にてCMセールスなどを担当、その後デジタル関連部署に退社まで在籍。
ナショナルクライアントのデジタルマーケティングプロデューサーを経験したのち、多数のインターネットサービスのコンサルタントに従事し、事業の成長戦略立案、実施運営をワンストップで行うリムレット株式会社を設立。
その後、夏の高校野球のライブ配信事業「バーチャル高校野球」のプロデュースを筆頭に、数多くのスポーツインターネットサービスの立ち上げに携わり、スポーツインターネットメディア事業に特化した株式会社運動通信社を設立、代表取締役社長に就任。

◆【インタビュー後編】「アマチュアは儲からない」だからこそチャンス

■電通に入社後、TBSを担当

そんなバックグラウンドから、プロデュース業を志し、新卒で電通へ。入社後、配属されたのは「テレビ局ネットワーク2部」、ここでTBSを担当、テレビのタイム・ビジネスの世界へ飛び込むことに。

テレビの広告には大きく2つに分けられる「タイム」と「スポット」と言われるテレビ・コマーシャルだ。大雑把に分類すると番組スポンサーが「タイム」、空き枠の時間帯のみを指定するのが「スポット」。「タイム」を担当するとなると、広告代理店においては「ゴリゴリのマスコミ」の世界に放り込まれたような状況だ。

「それまでマスコミにまったく興味がなかったですし、東京在住でもなかったので、東京ローカルの番組もわからない。観たこともなかったテレビ番組表を頭に叩き込み、確固たるセールスロジックも身に付いてない中、CM枠を案内して走り回る……そんな忙しくも充実した新入社員時代でした」。

「スポンサーとタイム」と言えば、まさに王道の「メディア・ビジネス」。この巨大ビジネスのおかげで、電通は世界一の広告代理店に上り詰めたとしてもいい。

広告代理店から眺めると、テレビはビジネスの王道、もう少し編集を意識すると出版、報道を主眼とすると新聞、かゆいところに手が届くラジオという感覚だろうか。「4マス」と呼ばれる4つのメディアにはそれぞれの特性、個性があった。

そこにインターネットの時代がやって来る。電通でも「これからはデジタル広告を売ろう」と方針が打ち出され、黒飛さんも当時の「インタラクティブ・コミュニケーション局(通称、IC局)」へと異動となる。現在でこそ「電通デジタル」など、それらしい子会社などを抱えるが、当時はIC局こそが電通のデジタル・ソリューションの中心であり、おそらく唯一の部署だった。

だが、「テレビ局」の者として、衝撃を受ける。「当時、ニュース・ポータルのバナー広告を広告主に売るんですが、これが(今思えば当たり前なのですが)競合排除されていないんですよ」。

テレビにおいて、番組スポンサーがトヨタであれば、その番組の広告枠に日産が入る……などはご禁制、ご法度。競合排除は常識中の常識で、呉越同舟などもってのほか。しかし、デジタル・メディアにはそんなルールが適応されておらず、ポータルサイトのTOPページには、競合のバナーが表示されるなど、特に問題とされなかった。既存の広告業に携わる者は、たまげたに違いない。

インタビューを受ける黒飛功二朗さん

デジタルメディアの広告は当初、それぞれのサイトならではの、固有の広告セールスがなされていた。その後、クッキーの活用、リスティング広告などと変遷を重ね、現在のようにネットワーク広告へと進化する。

「僕がデジタルセクションに在籍したのは、2007年〜2013年。ちょうどデジタル広告が加速度的に進化し、マーケットが大きく成長するそのタイミングを学べたのが現在につながっています。今は幅が広すぎ、突然飛び込んでも全体像を理解するのが難しいかもしれませんが、こうした変遷を目の当たりにできたのは大きかった」。

また、自動車会社の担当となったことで、そのデジタル・メディア戦略を「がっつり」やらされた。「ブランディングをどう具現化するか。(バナーの)枠売りから、いかにタッチポイントを設け、エンゲージメントさせるか……こうした宿題を抱えた中、既存インターネットメディアも変わろうとしていたので、徐々にそうしたメディアコンサルのチームに担当領域が移って行きました」。

こうしてデジタル・メディアに馴染んだ頃、世の中にSNSが台頭、Facebookへ出向という異動があった。これもまた目から鱗……という体験だった。


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