米同時多発テロから20年を迎えた11日(日本時間12日)、ニューヨーク・メッツの本拠地シティ・フィールドでニューヨーク・ヤンキースとの特別な「サブウェイ・シリーズ」が開催された。
■「真のサブウェイ・シリーズ」を考える
メッツとヤンキース、両チームの本拠地を地下鉄で行き来することができることから、この呼称となっている点はあまりにも有名だ。しかしテロの日、9月11日に本シリーズが開催されるのは、史上初めてのこと。
1994年、ストライキによりワールドシリーズさえ開催されず、MLB人気は著しく低迷。この打開策として、歴史的に頑なに開かれなかったアメリカン・リーグとナショナル・リーグという異なるリーグの交流戦が97年にスタートした。これによりア・リーグのヤンキースとナ・リーグのメッツの対戦は日常の出来事となってしまった。
Advertisement
これと同様にドジャーズ対エンゼルスのフリーウェイ・シリーズ、サンフランシスコ・ジャイアンツ対オークランド・アスレチックスのベイブリッジ・シリーズ、カブス対ホワイトソックスのウインディシティ・シリーズなども珍しい光景ではなくなってしまった。
だが筆者としては、単なるレギュラーシーズンにおけるインターリーグの試合を軽々しく「サブウェイ・シリーズ」と呼ぶべきではないと考えている。元来、同シリーズはニューヨークに本拠地をおく球団同士が頂点を争う「ワールド・シリーズ」の別称であり、名称そのものにも伝統が息づいている。上記に挙げた他「シリーズ」も同様だ。
「サブウェイ・シリーズ」に至っては、その歴史を19世紀にまで遡ることができる。ニューヨーク・ジャイアンツ(現在のサンフランシスコ・ジャイアンツ)対ブルックリン・ブライドグルームス(現ロサンゼルス・ドジャーズ)により1889年に行われた「トロリー・シリーズ」が最初とされる。
当時はまだニューヨークに地下鉄がなく、公共機関がトロリーだったための名称だ。このトロリー、実は意外な形で現在のチーム名にも影響を及ぼしている。ブライドグルームスは幾多の変遷がありつつ1910年、「トロリー・ドジャース」と名称を変更。当時、路面を走るトロリーの前に立ちはだかり、直前でこれを避ける(ドッジする)遊びが流行ったとか……。その結果、直訳すると「トロリー避け遊びをする者たち」というのがチーム名となった。これが短縮され現在の「ドジャース」となった。
1904年、ニューヨークに地下鉄が登場。以降、常に「ア」と「ナ」に分かれていたチーム同士が対戦するワールドシリーズが「サブウェイ・シリーズ」と呼ばれるにようになった。
「真の」サブウェイ・シリーズは、これまでに14度しかない。
1921年 ジャイアンツ対ヤンキース(太字は優勝チーム)
1922年 ジャイアンツ対ヤンキース
1923年 ヤンキース対ジャイアンツ
1936年 ヤンキース対ジャイアンツ
1937年 ヤンキース対ジャイアンツ
1941年 ヤンキース対ドジャース
1947年 ヤンキース対ドジャース
1949年 ヤンキース対ドジャース
1951年 ヤンキース対ジャイアンツ
1952年 ヤンキース対ドジャース
1953年 ヤンキース対ドジャース
1955年 ドジャース対ヤンキース
1956年 ヤンキース対ドジャース
以降、ジャイアンツもドジャーズも西海岸へと移ってしまい、2000年に初めてヤンキース対メッツの「サブウェイ・シリーズ」が行われるまで実に44年が経っていた。当時、私はアトランタに移り住んでいたが、それでもこのシリーズの報道に関わることができ元ニューヨーカーとしては感無量だった覚えがある。
しかし、つまり21世紀においては、いまだ「真のサブウェイ・シリーズ」は実現されていないというのが、私の持論だ。ちなみに1923年のヤンキースの優勝は、名門チームにとって初の世界制覇であり、それがサブウェイシリーズを制しての勝利だけにより趣き深い。
こうした持論がありながらも、2021年9月11日に行われたこの対戦には、平常心ではいられなかった。