クロアチア代表マンジュキッチってどんな人?生い立ちや人柄に迫る

グループステージで優勝候補のアルゼンチンを破り、決勝トーナメントでは全試合を延長戦の末に苦しみながら勝利して決勝へと駒を進めたクロアチア。

準決勝ではイングランド有利と言われたなかで、延長戦後半にマリオ・マンジュキッチ選手による値千金の逆転ゴールで勝利を収めた。

フランスとの決勝戦では、W杯決勝史上初めてとなるオウンゴールを献上してしまったマンジュキッチ選手だが、後半にはフランス代表GKロリス選手のミスを突いてゴールをあげ、一矢報いた。

今回はクロアチアを準優勝へ導く立役者となったマンジュキッチ選手の経歴、人柄に迫る。

戦争から身を守るため国外へ逃れる

マンジュキッチ選手は1986年5月21日、ユーゴスラビアのクロアチア都市スラヴォンスキ・ブロドで生まれる。

紛争中ということもあり、彼の家族にとって重要なことは生活の安全の確保であった。

スラヴォンスキ・ブロドはボスニアとの国境近くに位置しているため、ボスニア戦争の発生後すぐに攻撃を受けて危険にさらされたことから、マンジュキッチ選手の父親は家族で国を逃れることを決心した。

その時に父はこんな言葉を残している。

「私にとって重要なことは、家族の安全を確保することだけでした。家のすぐ外で人が殺され、もうそこにはとどまることはできませんでした」

(c)Getty Images

ドイツで見つけた真の”幸福”

ユーゴスラビアを逃れ、一家はドイツのシュツットガルト近くのディチンゲンという都市に移住。

新たな友人関係を築き、真の”幸福”を見つけることのできたディチンゲンはマンジュキッチ選手にとって重要な場所となり、戦争で苦しんだ祖国の現実から逃れたことに対する慰めともなった。

移住したことにより精神的にも安定したマンジュキッチ選手は地元のユースチームに入団し、そこでサッカー選手としての熱意や才能がより磨かれていくこととなった。

(c)Getty Images

サッカー選手として成長し続ける

1996年、マンジュキッチ一家はドイツでの滞在延長が拒否されてしまい、戦争が終了したばかりのユーゴスラビアへと戻ることになった。10歳の時の出来事だった。

しかし、マンジュキッチ選手はその後もサッカー選手として成長し続け、功績が認められて19歳でクロアチア首都のクラブ・NKザグレブ、そして21歳で国内きっての強豪ディナモ・ザグレブへと移籍した。

ディナモ・ザグレブのエースストライカーとして国内リーグ3連覇に貢献し、2010年には幼少期に暮らしていたドイツのヴォルフスブルグへ移籍。

ヴォルフスブルグ時代 (c)Getty Images

その後は、バイエルン・ミュンヘンアトレティコ・マドリード、そして現在所属するユベントスへと移籍し、ビッグクラブを渡り歩いたストライカーとして各クラブでトロフィーを手にしている。

ナショナルチームとしては2007年、21歳の時にクロアチア代表デビュー。

これまで88試合で32ゴールをマークしており、32歳となった今でも代表屈指のセンターフォワードとしてチームメイトから信頼を寄せられている。

プライベートに関しては秘密主義

マンジュキッチ選手はサッカー以外の多くを、ガールフレンドであるイバナさんと共に過ごしている。

彼らはカップルであるのにもかかわらず、一緒に写真をあまり撮らない。

イバナさんのSNSアカウントは公開されておらず、マンジュキッチ選手のインスタグラムにタグ付けもされていない。

プライベートをほぼ公開していないフットボーラーといえるだろう。

ガールフレンドと同じ名の姉

“Ivana(イバナ)”というガールフレンドと同じ名前の姉は、ドイツでベーカリーショップを経営している。よく弟の試合を見に様々な国を訪れているそうで、姉弟間の仲は良い。

また、姉は2013年に女の子を出産しており、マンジュキッチ選手はその姪っ子を溺愛しているそうだ。

性格は短気?名将たちと衝突してきた過去

数々のクラブを渡り歩いてきたマンジュキッチ選手だが、バイエルン・ミュンヘン時代には名将・グアルディオラ監督と、アトレティコ・マドリード時代にはこれまた名将・シメオネ監督と衝突を起こしてきた過去がある。

しかし、ピッチの上では自分の労を惜しまずにハードワークをする姿、味方を生かすプレーができる点が、衝突しながらも様々なクラブで重宝されてきた所以だろう。

(c)Getty Images

クロアチア代表として悲願の初タイトルを

2016年に行われたヨーロッパのNo. 1代表チームを決めるEUROでは、同大会で優勝することとなるポルトガルに敗れ、ベスト16にとどまったクロアチア代表だが、今回のロシアワールドカップでは決勝に進出した。

「私たちはロシアで何か大きなことを成し遂げたい。私はこれまでクラブで様々なトロフィーを手にしてきたが、クロアチア代表として結果を残したい」

ロシアワールドカップ第1戦のナイジェリア戦を終えた後にこう語ったマンジュキッチ選手。

惜しくも優勝を逃してしまったが、クロアチア代表のエースストライカーとして400万人ほどの小国を盛り上げた功績は国民にとって忘れられない出来事だろう。

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アトレティコ退団発表のグリーズマンってどんな人?生い立ちから今までに迫る…「第2の祖国」ウルグアイとの関係性とは?

2018年6月14日から約1ヶ月の日程で開催されたロシアW杯は、フランスの20年ぶりの優勝で幕を閉じた。日本代表の活躍もあり、まだ記憶に残っている方も多いのではないだろか。

フランスのW杯での戦いぶりを振り返ると、グループリーグこそ3試合3得点とややスロースタートではあったものの、決勝トーナメントではアルゼンチン、ウルグアイ、ベルギーに勝利し、決勝でもクロアチアを4-2で破り自国開催以外では初となるW杯制覇を果たした。

そんなフランス代表の攻撃陣を牽引したのが今大会4ゴール2アシストの活躍を見せたアントワーヌ・グリーズマン選手。

今大会で注目された神童・エムバペ選手の良さを引き出しながら自らも結果を残し、まさに”エース”としてチームを優勝へ導いた。

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Elle brille tellement 😍😍😍

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そんなグリーズマン選手にとってターニングポイントとなった試合が準々決勝のウルグアイ戦。

グリーズマン選手とヴァラン選手のゴールでフランス代表が2−0で勝利し、3大会ぶりとなる準決勝進出を決めた試合だ。

(c)Getty Images

この試合で話題となったのはグリーズマン選手が決めた2点目のゴール。

ペナルティエリアの外から放ったブレ球シュートは、ウルグアイ代表GKムスレラ選手の手を弾いてそのままゴールへと吸い込まれた。

準々決勝という舞台でチームを勢いづかせる2点目に、通常なら喜びを爆発させるところだがグリーズマン選手は喜びを表さずどこか浮かない表情。

グリーズマン選手は「ウルグアイは第2の祖国」と試合前から明かしており、相手への敬意を表すために得点を喜ばなかったという。

(c)Getty Images

この行動には彼の人間性の良さが如実に表れているが、その理由は彼のキャリアに大きく関わっていた。

一体どのような思いでウルグアイ代表との一戦に臨み、どのような思いでサッカーという競技に向き合っているか。

今回は、そんなグリーズマン選手の現在とこれまでについて詳しく紹介していきたいと思う。

アトレティコ・マドリード退団発表

まず始めに、同選手の近況について紹介する。

現在、スペイン1部の名門アトレティコ・マドリードに所属するグリーズマン選手だが、2019年5月14日、クラブの公式SNSで今シーズン限りでの退団が発表された。

本人も動画でコメントしており、「新たな経験、新しい挑戦をするため、クラブを離れることを決めました」と述べている。

来期の移籍先はまだ公表されていないが、バルセロナの加入が噂されている状況だ。

2018年のW杯の活躍もあり、その注目度をより一層加速させているグリーズマン選手。来期も当然新たな移籍先での活躍が期待されるが、ここからは、同選手がどのようにこれほどまでの選手に成長を遂げたのか、その生い立ちや人柄に迫っていきたいと思う。

政治家の子として裕福な家庭に生まれる

グリーズマン選手は1991年3月21日、フランスの中央部に位置するマコンで誕生。

父親は元々町の評議員を務めた政治家で、文字通り裕福な家庭で生まれ育った。

母方の祖父であるアマロ・ロペスさんはかつてポルトガルのサッカー選手で、グリーズマン選手は母方のフットボーラーとしての血を受け継いだと考えられる。

(c)Getty Images

そんな祖父の影響を受けてか、マコンから約70キロ離れたリヨンのサポーターになったことからサッカーにのめり込むようになり、1998年に行われたフランスW杯でフランス代表の中心だったジダン選手とアンリ選手に夢中になった。

当時はその2人のスーパースターのシャツを着て、一生懸命応援していたという。

憧れのクラブのユース入りは叶わずも、才能を見出されスペインへ

少年時代から才能を持ち合わせていたグリーズマン選手は、憧れのリヨンのアカデミー入りを目指していたが、体格があまりに虚弱と評価され落とされてしまう。

地元へ戻り、故郷のマコンのクラブのユースチームでプレイヤーとしてのキャリアをスタートさせた。

2005年、フランスのクラブ・モンペリエのトライアル中に好プレーを見せ、いくつかのクラブのスカウトの目に止まる。

そのなかでスペインのレアル・ソシエダがグリーズマン選手に対してもっとも興味を示し、ユース契約を申し出た。

グリーズマン選手の両親は息子がスペインへ移住することに否定的であったが、クラブの熱意を理解し息子をスペインへ送り出した。

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L – DemBrook ! 😍😎

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トップチームデビューとウルグアイとの関係

下部組織で着実に力をつけていったグリーズマン選手は、18歳を迎えた2009年にレアル・ソシエダでトップチームデビューを果たす。

当時はウルグアイ人監督のマルティン・ラサルテ氏を父親のように慕い、同じくウルグアイ人のチームメイトのカルロス・ブエノ選手を兄のような存在として見ていた。

グリーズマン選手はマテ茶好きとして知られているが、その魅力はブエノ選手から教わったという。

レアル・ソシエダ時代 (c)Getty Images

2014年夏、レアル・ソシエダでの活躍に注目した国内きっての強豪アトレティコ・マドリードがグリーズマン選手を獲得。

アトレティコ・マドリードには、グリーズマン選手に大きな影響を与えることになるウルグアイ代表DFディエゴ・ゴディン選手、同じくウルグアイ代表DFホセ・ヒメネス選手が在籍していた。

左:ディエゴ・ゴディン選手 右:グリーズマン選手

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La sonrisa es el idioma universal de los hombres inteligentes ! #😏 #UruguayNoma ! Le sourire est le language universel des hommes intelligents.

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2014年に加入して以降すぐに中心選手として活躍を見せ、2015-16シーズンのチャンピオンズリーグ準優勝、2017-2018シーズンのヨーロッパリーグ優勝などチームの栄光に貢献し続けている。

また、グリーズマン選手個人としても、2016年に世界最高のサッカー選手に送られる「バロンドール」でC.ロナウド選手、メッシ選手に次いで3位にランクインするなど、アトレティコ・マドリードに移籍してから一気にスターの階段を駆け上がった。

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🏆🏆 Plus motivé que jamais. Mas motivado que nunca #PremiosLaLiga

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注目を集める特徴的なゴールパフォーマンス

グリーズマン選手はゴールしたときに見せるパフォーマンスも特徴的で、人気ゲーム『フォートナイト』のエモートダンスを披露するのが定番となっている。

ロシアW杯では、決勝のクロアチア戦で得点を決めた際にも披露している。

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Quand tu fais un Top1 en section 😜 #VictoireRoyale

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長期の交際を経て、2017年6月に結婚

また、グリーズマン選手は長く付き合っていたエリカ・ショペレナさんと2017年6月に結婚。

2017年3月、エリカさんの誕生日を祝福するメッセージを記したシャツをユニフォームの下に着用し、当日行われていたバレンシアとの試合でゴールを決めたのち、ユニフォームをめくってピッチ上で祝福した。

ただ、ユニフォームを脱ぐ行為は違反とされているため、スペインのサッカー協会から罰金と警告を受けた。グリーズマン選手はすぐに罰金を支払い自分の愛を自分のスタイルで貫いた。

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Un camino lleno de felicidad 👣⭐️ #GriziCoro

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Tout est dit 😍🤙🏽

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娘の名づけ親はゴディン

第一子となる娘・ミアちゃんは結婚前に授かった。

ミアちゃんの名付け親はチームメイトのディエゴ・ゴディン選手で、このエピソードからも2人の関係の深さがわかる。

「ディエゴは素晴らしい友人です。彼とはピッチの中でも外でもいつも一緒にいます。私の娘の“ゴッドファーザー”です。私がアトレティコとの契約を結ぶ気にさせてくれたのも彼です」

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Allez les bleus 🇫🇷👸🏼

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一方で、ゴディン選手はグリーズマン選手について「彼はウルグアイ人に対する大きな愛について語ってくれました。私たちの国の習慣や音楽を愛し、彼は私よりもマテを飲んでいます」と、ウルグアイ人の文化に馴染んでいることを明かしている。

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Bon week-end à tous ! 💪

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ウルグアイの”想い”も背負って優勝という恩返しに成功

グリーズマン選手はウルグアイのプレースタイルを高く評価し、なかでもカバーニ選手に対しては絶賛している。

「彼らのプレースタイルとスピリットは、私のクラブを思い出させるものです。安定したバックラインと素晴らしい攻撃陣が強みだと思います」

「特にエディソン・カバーニは最高のストライカーだと思います。彼はチームのために働き、そしていつもボールを要求している。彼は決して何かをあきらめることはありません。彼はペナルティエリアに入っているとき、1度や2度のチャンスでしっかりとシュートを決めます」

(c)Getty Images

ウルグアイとの試合前にはアトレティコ・マドリードでチームメイトであるゴディン選手、ヒメネス選手と抱き合い、お互いの健闘を祈っていたグリーズマン選手。

だからこそ、親友らの思いを汲んで貴重なゴールを挙げたにもかかわらず喜びを表さなかった。

レアル・ソシエダで出会ったラサルテ監督、ブエノ選手、そして現チームメイトであるゴディン選手、ヒメネス選手。

グリーズマン選手は多くのウルグアイの友人たちに支えられて、これまでのキャリアを歩んできたのだ。

決勝終了後に見せた男泣きには、“第2の祖国”ウルグアイへの想いと、優勝を果たして恩返しできた喜びが表れていたのかもしれない。

今シーズンで5年間滞在したアトレティコ・マドリードを去り、来期から新天地に身を置くグリーズマン選手。しかし、どんな状況に立たされても常に結果を残し続けてきた彼なら、きっと新たな移籍先でも今まで通りの活躍を見せるのではないだろうか。

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Uruguay Nomaaaaa ! Vamo @pablocuevas86 ! 🇺🇾🇺🇾 #Papote

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参考:https://www.fifa.com/worldcup/news/griezmann-the-uruguayan-2981179https://lifebogger.com/antoine-griezmann-childhood-story/、https://www.transfermarkt.com/antoine-griezmann/leistungsdatendetails/spieler/125781

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ハリー・ケインってどんな人?生い立ちや人柄、私生活に迫る

準々決勝でスウェーデンを破り、3大会ぶりにベスト4へ進出したイングランド代表。

準決勝でクロアチアに敗れ、3位決定戦でもベルギーに敗れて4位に終わってしまったが、相手を恐怖に陥れる“必殺”セットプレーは迫力満点で、新たな可能性を示してくれた。

ロシアW杯では代表メンバーの平均年齢が25.9歳と出場国32チームのうち3番目に若く、若手主体のフレッシュなメンバーで臨んでいたため、年齢的にも4年後のカタールW杯を目指せる選手も多く、次に繋がる結果となった。

そんなフレッシュなメンバーをまとめたキャプテンが、トッテナムに所属するエースFWハリー・ケイン選手だ。

ケイン選手自身も24歳とまだまだ若く、将来有望な選手である。

今大会ではW杯初出場ながら6得点をマークし、2位に2ゴール差をつけて得点王のタイトルを獲得した。

所属するトッテナムでも2015-16、2016-17シーズンで2季連続プレミアリーグ得点王に輝いており、まさに現代最高のストライカーの1人である。

今回はそんなハリー・ケイン選手の人柄や経歴等に迫った。

トッテナムのホームスタジアムのすぐ近くで生まれる

ケイン選手は1993年7月28日、トッテナムのホームスタジアムであった「ホワイト・ハート・レーン」からわずか5マイルのロンドン北東部で生まれた。

両親はアイルランド西海岸の出身ということもあり、ケイン一家はアイルランドの生活様式で生活していた。

「私のスポーツ遺伝子は母親の方から来ていると思う。父は私がそう言うのは好ましくないだろうが、母方の祖父のエリックは非常に良いフットボーラーで、相当なレベルでプレーしていた」と、ケイン選手は自身の才能が母方譲りであることを明かしている。

また、兄のチャールズとはとても仲が良く、母親は以前こう語っている。

「チャールズとハリーはどちらも同じ魂を持った兄弟で、2人で繋がって4本の脚で歩いているようなものだ」

家族をもっとも重要視していて、愛の力を信じている

ケイン選手は幼少期からの恋人、ケイティ・グッドランドさんと長期的な関係を続けている。

2人は同じ学校に通っていたこともあり、付き合いの長さからお互いのことは何でも知っているようだ。

2017年1月に第一子となる娘、アイヴィーちゃんが生まれてまさに幸せ絶頂といったところ。

ケイン選手は家族が最も重要だと考えており、形成される愛の強さで自身も強くなれると信じている。

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❤️ #thebest #fifaawards

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トッテナム最大のライバルクラブ・アーセナルのユースに在籍

ユース時代(当時8歳)にケイン選手は、同じロンドンをホームとし、トッテナム最大のライバルクラブであるアーセナルの下部組織に在籍していた。

しかし、わずか1シーズンで放出されてしまい、ワトフォードのユースを経てトッテナムのユースへ移り、2011年8月にトップデビュー。

その後は2部のクラブなどにレンタル移籍を繰り返したが、2014-15シーズンにリーグ戦34試合21ゴールをマークし本格ブレイク。

翌年、翌々年には2年連続でプレミアリーグ得点王に輝き、瞬く間にスター選手の仲間入りを果たした。

2017-18シーズンには自己最多となるリーグ戦30ゴールを達成するも、この年覚醒したリヴァプールFWモハメド・サラー選手に及ばず3年連続得点王とはならなかった。

しかし、2017年の年間公式戦ゴール数では56ゴールをマークし、メッシ選手やC.ロナウド選手らを抑えて欧州5大リーグ1位に輝いた。

アイルランド代表入りの可能性もあった?

両親がアイルランド出身だったため、アイルランド代表を選ぶ権利もあったケイン選手。

2014年8月には、当時のアイルランド代表監督がケインに対して関心を持っていたが、イングランドのトップチームでデビューしたいことを理由にアイルランド代表入りを断った。

4年後カタールの地でイングランド代表を栄冠へ導けるか

10歳の時にはイングランドの英雄・ベッカムさんのアカデミーに参加した過去も持っている。

英雄でも成し遂げられなかったW杯優勝を果たすためには、キャプテンでありエースストライカーであるケイン選手の活躍が必要不可欠。

今回ロシアW杯では成し遂げられなかったが、若いチームにとって4位という結果は自信となり、また大きな悔しさを感じたことだろう。

ケイン選手自身も4年後は28歳とまさにキャリアの絶頂期。

脂の乗ったエースストライカーとして、ベッカム氏、ランパード氏、ジェラード氏といった英雄でも成し遂げられなかった優勝へ導けるか。

 

参考:https://lifebogger.com/harry-kane-childhood-story-plus-untold-biography-facts/、https://www.transfermarkt.com/harry-kane/leistungsdatendetails/spieler/132098

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モドリッチってどんな人?生い立ちや人柄に迫る…貧しかった少年が世界最高のMFに成長するまで

サッカー解説者の松木安太郎さんも今大会のダークホースとして注目し、史上初めて決勝へ進出したクロアチア。

決勝で惜しくもフランスに敗れてしまったが、準決勝までの3試合すべてを延長戦まで戦い、決勝でも最後まで諦めない姿を見せたクロアチアのタフさに感動を覚えた人も多いだろう。

キャプテンと背番号10を託されたルカ・モドリッチ選手は大会MVPである「ゴールデン・ボール賞」に輝き、人口400万人ほどの小国の人々を熱狂させた。

グループステージのナイジェリア戦、アルゼンチン戦で2試合連続ゴールをあげ、マンオブザマッチにも2試合連続で選出。

決勝トーナメントでも延長後半まで決して足を止めずに走り続け、大会通算2ゴール1アシストという数字以上の貢献を見せた。

所属するレアル・マドリードでは今シーズン欧州制覇を成し遂げており、クラブと代表での2冠には惜しくも届かなかったが、これだけクラブと代表の両方で好成績を残すのは容易なことではない。

難民の家族として生を受ける

モドリッチ選手は1985年9月9日、クロアチアのザダルという場所で生まれる。

ボスニア戦争中にセルビアの侵略者から逃れた難民の元に生まれ、父はクロアチア軍の車の整備士、母は織物労働者であった。

地元のサッカークラブ・NKザダルの会長は、幼少期のモドリッチ選手を見てこう語ったという。

「1日中ホテルの駐車場の周りでボールを蹴っている少年がいた。彼はとても痩せていて同年代の子供と比べても本当に小さかったが、すぐに彼が特別な何かを持っていることを見ることができた」

(c)Getty Images

当時モドリッチ選手は、クロアチアの人気クラブであるハイデュク・スプリトのセレクションを受けるも、フットボーラーに必要なフィジカルを備えていないと拒否される。

しかし、その後クロアチアきっての名門ディナモ・ザグレブのスカウトの目に止まり、キャリアに光が差すこととなる。入団後すぐにクオリティーの高さを見せつけ、クラブはすぐに契約を10年延長。

クラブ職員によって多くの成長補助食品も与えられ、コンプレックスであった身長もゆっくりとしっかり成長していった。

さらなる成長を求めたモドリッチ選手は試合経験を積むため、他の国内クラブへ2年間レンタル移籍。

経験を積み成熟した後で2005年にディナモ・ザグレブで本格ブレイクを果たし、3連覇と国内カップの獲得に貢献し、2007年にはリーグ年間最優秀選手に選出された。

ディナモ・ザグレブ時代 (c)Getty Images

トッテナムを経て白い巨人・レアルへ

ディナモ・ザグレブでの活躍を経たのち、2008年にトッテナム(イングランド)へ移籍。

当時のチームメイトには同じクロアチア代表のDFチョルルカ選手、のちにレアル・マドリードでもチームメイトとなるギャレス・ベイル選手が在籍していた。

2009-10シーズンにはクラブ史上初のチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献し、翌年のチャンピオンズリーグでベスト8に進出した。

そこでの活躍が認められ、白い巨人・レアル・マドリードがモドリッチ選手の獲得に興味を示したが、トッテナムはこれを拒否。

しかしレアル加入を夢見ていたモドリッチ選手は、練習をボイコットするなどトッテナムに対して強硬な姿勢をとり、クラブも罰金を課すなど両者の関係が崩れ始め、レアル・マドリード移籍が決定した。

(c)Getty Images

2012年の加入以降、最初は順応に苦しんだものの、今ではレアルを影で支える中盤の絶対的存在として君臨。

2017年にハメス・ロドリゲス選手が退団してからは背番号10を託され、攻撃のかじ取り役としてのチームを支えている。

史上初のチャンピオンズリーグ3連覇にも大きく貢献し、世界最優秀選手に贈られるバロンドール受賞の期待も高まっている。

悲劇の連続だった少年時代

前述の通り、モドリッチ選手の家族はボスニア戦争の影響を受けた難民。当時は衣服すら不足していたり、非常に貧しく不自由な生活を強いられていた。

祖父は戦争によって命を落とし、親戚の家が燃やされるなど悲劇が続いた少年時代だった。

しかし、モドリッチ選手の父親がもともと機械に関するエキスパートであったことから仕事が見つかり、貧困から抜け出すことに成功。そのおかげでモドリッチ選手はフットボーラーの夢を追いかけることができた。

今ではモドリッチ選手の活躍で家族も裕福な暮らしを送っており、十分すぎるほどの親孝行を果たしている。

また、難民出身のフットボーラーとして、スイス代表のグラニット・シャカ選手、元ベルギー代表のクリスティアン・ベンテケ選手、元ポルトガル代表のナニ選手らとともに国連が定める「世界難民の日」にも積極的に参加している。

(c)Getty Images

「Football」と「Family」

2006年ディナモ・ザグレブへ復帰した年に現在の妻となるヴァンニャさんと交際をスタート。

2010年トッテナム在籍時に結婚し、現在は3人の子供にも恵まれ、幸せ溢れる生活を送っている。

「私はサッカーの試合でできるだけベストを尽くそうとしている。私はモデルや何かではない。私はサッカー選手だ。心の中にあるのは2つの“F”だけだ。(Football and Family)」

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8 years! 💍🙏🏻❤️ #anniversary

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Merry Christmas!🎄❤️😍🙏🏻

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アイドルは元ブラジル代表・ロナウド

自身が憧れる選手として、モドリッチ選手は元ブラジル代表の”怪物”ロナウドさんの名前を挙げ、こう語っている。

「成長してから、私の最初のすね当てにはロナウドの写真がプリントされていた。私はナイキ製品が大好きで、ロナウドが大好きだった。だからそのすね当てをプロとしてプレーしてから何年もつけていたんだ」

元ブラジル代表の”怪物” ロナウドさん (c)Getty Images

世界最高のMFとしてバロンドール受賞なるか

フットボールを愛し、家族を愛してトッププレイヤーとして活躍するモドリッチ選手。

今年、史上初のUEFAチャンピオンズリーグ(CL)3連覇を達成したレアル・マドリードでもチームの“心臓”として活躍し、モドリッチ選手をCL3連覇の立役者として名前を挙げるファンも少なくない。

そのうえ、ロシアW杯のMVPを受賞したことによって、世界最高の選手に贈られる「バロンドール」受賞の期待もさらに高まっている。

史上最多の受賞回数を誇るC.ロナウド選手とメッシ選手が再び獲るのか、クラブと代表で素晴らしい成績を残したモドリッチ選手が初受賞するのか、はたまた他の選手の名が挙がるのか、バロンドールの行方にも目が離せない。

参考:https://www.transfermarkt.com/luka-modric/leistungsdatenverein/spieler/27992、https://lifebogger.com/luka-modric-childhood-story-plus-untold-biography-facts/

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ベルギー代表エデン・アザールってどんな人?生い立ちや人柄、私生活に迫る

FIFAロシア・ワールドカップ(W杯)で過去最高成績となる3位に輝いたベルギー代表。

大会前のFIFAランキングではドイツ、ブラジルに次ぐ3位につけていたタレント軍団はそのFIFAランキング通りの強さを見せつけた。

そんなベルギー代表の中でも3ゴール2アシストという活躍を見せ、注目を集めたのがベルギー代表主将のエデン・アザール選手だ。

1991年1月7日にベルギーのラ・ルヴィエールで生まれたアザール選手は、幼いころから才能を高く評価され、フランスのリールでプレーした後にイングランドのチェルシーへ移籍した。

(c)Getty Images

身長173センチと小柄なアザール選手だが当たりの激しさで知られるプレミアリーグにも適応を見せ、倒されるときは子供のころ習っていた柔道の受け身が役に立っていると話す。

選手として最大の特徴は世界屈指のドリブル。ボールと相手選手との間に身体を入れる技術も高く、2017年2月のアーセナル戦ではハーフウェーラインからドリブルを開始して、約50メートルを単独で走りきりゴールも決めた。

今回はそんなアザール選手の経歴や私生活についてまとめた。

サッカー一家の長男、弟・トルガンもベルギー代表

アザール選手の両親はともにプロサッカー選手で、父親のティエリさんはベルギー2部やセミプロチームでプレーし、母親のカリーヌさんはベルギーの女子1部リーグでプレーした。

両親の影響と教育を受けたアザール家の4兄弟は長男のエデンを筆頭に全員がサッカーをしており、次男のトルガンもボルシア・メンヘングラードバッハに所属するプロ選手で、今回のロシアW杯ではグループステージのパナマ戦とイングランド戦に出場している。

プレースタイルは高速ドリブルでサイドからのカットインを得意とする兄に対し、弟のトルガン選手はより中央でのプレーを好む。

右がトルガン・アザール選手  (c)Getty Images

ティエリさんもカリーヌさんも決してサッカーを無理強いしなかったというが、「練習場から3メートルの距離に住んでいた」という環境や、週末ともなれば兄弟の試合をはしごする両親の応援を受けて自然に子供たちもサッカーをするようになった。

このころを振り返ってティエリさんは「カリーヌが一番熱心で献身的だった」と、兄弟の進路に果たした母親の働きを語る。

天才と呼ばれた幼少期からリーグ・アン

アザール選手の才能は幼いころから周囲を圧倒していた。4歳でロイヤル・スタッド・ブレーヌというクラブの加入するが、ここでは当時のコーチが「彼はすべてを知っていた」と驚き、周りからは「才能ある選手」と賞賛されていた。

12歳のときにテュビズのユースチームに移籍したあと、アザール選手はリールからのスカウトを受けフランスでプレーすることになる。

14歳でリールの下部組織に入団したアザール選手は2年間ここで鍛えられ、16歳でフランス1部リーグ(リーグ・アン)にデビューしている。翌2008-09シーズンには、ベルギー人として初めてリーグ・アンの最優秀若手選手賞を受賞した。

リールに5シーズン在籍し、最後の2シーズンはリーグMVPを連続受賞する活躍を見せ、2010-11シーズンにはチームを優勝させている。

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チェルシーで世界トップクラスの選手に成長

リーグ・アン最高の選手に成長したアザール選手にステップアップの時期がやってくる。

彼の才能に目を着けたイングランド・プレミアリーグの強豪クラブから複数のオファーが舞い込み、アザール選手は次の所属先を決めることになった。

マンチェスターの両クラブも参加した争奪戦を制したのは、昔から追いかけ続けてきたというチェルシーだった。

2012-13シーズンにデビューすると加入当初から主力として活躍し、初年度から期待に違わぬプレーを見せ続けた。

そして2014-15シーズンにはリーグMVPを獲得する活躍で、チェルシーに5年ぶりのリーグ優勝をもたらした。

プレミアリーグでは6シーズンで208試合に出場して69ゴールを挙げ、ベストイレブンに4度選出される活躍でトッププレイヤーの仲間入りを果たした。

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名監督たちからも称賛を受ける

サッカー界で大成功を収めた名監督たちもアザール選手を称賛している。

チェルシーを率いてともにプレミアリーグを制したジョゼ・モウリーニョ監督は、2015年に「アザールはイングランドでも最高の選手だ。プレミアリーグは世界最高レベルの競争が行われているリーグだが、そこでも私は彼がトップの選手だと思う」と高い評価を与えた。

また、その能力は「リオネル・メッシ、クリスティアーノ・ロナウドとともにTOP3を形成する域にある」とも話している。

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アザール選手が少年時代に憧れたと話すジネディーヌ・ジダン監督も、「彼の振る舞いや試合を決める力など、フィールドで見せるすべてのことが好きだ」と絶賛した。

14歳で出会った女性と結婚、夜遊びより家族で行くディズニーランドを好む

私生活では2012年に21歳でナターシャさんと結婚している。2人の出会いは同じ学校に通っていた14歳のときで、2010年には長男も生まれていた。

この年はアザール選手がフランスを離れイングランドでの挑戦を開始した年でもあり、キャリア上の大きな変化がきっかけになったのかもしれない。

2015年に英国のタブロイド紙『The Sun』は、少年時代からの恋人と結婚したアザール選手について、「ほかのプレミアリーグの選手のように彼をナイトクラブで発見することはできない。週給17万5000ポンド(約2550万円)を得て女性ファンの人気も高いが、彼は妻や子供たちとディズニーランドに行くことのほうを好む」と紹介した。

夫妻の間には3人の子供も生まれ家族仲は良好だが、ナターシャさんと子供たちは一般人であるため、プライバシーに配慮してかSNSに登場させることはない。

サッカー以外ではNBAの熱狂的なファン

サッカー以外でアザール選手が愛するスポーツはバスケットボールだ。特にニューヨーク・ニックスのファンとして知られ、お気に入りの選手はカーメロ・アンソニー選手。

NBAの試合がロンドンで開催されたときは会場に足を運んで観戦した。

2018年1月には、ヒューストン・ロケッツのクリント・カペラ選手をオールスターゲームに出場させようと、インスタグラムでファンに投票を呼びかける行動も見せた。

岡田准一さん似?日本のファンからもイケメンとの声

ベルギー代表のキャプテンを務めるアザール選手には、日本のファンからもイケメン選手との声が多く寄せられている。

端整な顔立ちで海外でも人気の高いアザール選手だが、過去に日本のファンからはタレントの岡田准一さんに似ていると言われていた。

眉毛の形や何かを力強く見るときの目の鋭さが似た印象を与えるのかも知れない。

4年後のカタールW杯で悲願の初優勝を目指す

卓越した才能をチェルシーで伸ばし、世界トップクラスのアタッカーに成長したアザール選手は、大会を通じて長所である鋭いドリブルと加速力でアタックを仕掛け続けた。

惜しくも3位という結果に終わったが、ベルギー代表が見せた高速カウンターや試合展開に心を打たれた人も多い。

アザール選手自身も今夏にはかねてからファンだと公言していたスペインの名門レアル・マドリードへの移籍も噂され、ユベントスへ移籍したC.ロナウド選手の後釜として期待されている。

準決勝でフランスに敗れた悔しさをバネに、ケヴィン・デ・ブルイネ選手、ロメル・ルカク選手など4年後も楽しみなタレントが豊富なベルギー代表として、カタールの地で悲願の初優勝を目指す。

 

参考:https://lifebogger.com/eden-hazard-childhood-story-plus-untold-biography-facts/、https://www.bundesliga.com/jp/news/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8A%E3%81%8F%E3%81%B9%E3%81%8D10%E9%A0%85%E7%9B%AE.jsp

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コロンビア代表・ファルカオってどんな人?生い立ちや人柄、家族などについて迫る

ラダメル・ファルカオ選手は1986年2月10日に生まれたコロンビア出身のサッカー選手。

15歳の時にアルゼンチンの名門リーベル・プレートの下部組織に入団し、そこで名を上げるとポルトガルのポルトに移って欧州でのプレーを開始した。以降はアトレティコ・マドリード、モナコなどに所属する。

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一時は左ヒザ前十字靱帯損傷の重傷を負い深刻なスランプに陥ったが、見事な復活を遂げ、再び高い決定力を見せている。

ロシア・ワールドカップ(W杯)では日本とも対戦し、コロンビアのゴールにつながるFKを獲得。

日本にとって脅威になったストライカーだ。

今回は、そんなファルカオ選手の私生活や人柄について迫ってみた。

親子二代でサッカー選手

ファルカオ選手はサッカー選手だった父ラダメル・ガルシアさんと、母カルメンサ・サラテさんの間にコロンビアのサンタマルタで生まれた。

ファルカオ選手のフルネームはラダメル・ファルカオ・ガルシア・サラテ(Radamel Falcao Garcia Zarate)だが、実は彼の家族や親戚にファルカオという名前を持つ人物はいない。

この名前は父ガルシアさんが元ブラジル代表MFで、本当に一時的にだが日本代表監督も務めたパウロ・ロベルト・ファルカン(Paulo Roberto Falcao)さんから取り、息子のミドルネームにしたものである。

これが父として、サッカー選手として、未来の代表エースストライカーに贈る最初のプレゼントだった。

幼少期は優秀な野球選手でもあった

幼いころのファルカオ選手はベネズエラに住んでおり、当時は野球もプレーしていた。

幼いころを振り返ってファルカオ選手は、「ベネズエラで野球は最も人気のあるスポーツでした。私は野球でも非常に高いレベルでプレーしていたんです」と語っている。

そんな息子の姿を見て、父親は決断を促すためにコロンビアへ戻ることを決めた。サッカーに専念してほしかったのである。

「ベネズエラにいたら(息子は)野球に熱中していたかもしれないので、その決断はもっと難しいものになっていたでしょう」

コロンビア帰国でサッカーに専念したファルカオ選手だが、それがなくてもいずれはサッカーを選んでいただろうと話す。

「サッカーは私の血であり、本当にサッカーをしたいと思っていたんです」

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2007年に結婚し3人の娘がいるパパ

ファルカオ選手は2007年に歌手のローレライ・タロンさんと結婚している。ローレライさんとファルカオ選手の出会いは、まだファルカオ選手がリーベルにいたころまでさかのぼる。

きっかけは、教会でローレライさんを見かけたファルカオ選手のほうから声をかけたことだった。当初は相手にされない日々が続いたファルカオ選手だが、あきらめずアプローチを続け、この恋を実らせた。

その後ファルカオ選手は世界的なスーパースターになり、2人を取り巻く環境も大きく変わったが夫婦仲は良好なまま。

2017年には結婚10周年を迎えインスタグラム上に感謝のメッセージを綴っている。

「人生の素晴らしい記念日だ。彼女以上のパートナーは得られなかった。私は神様にあなたと同じくらい素晴らしい女性を与えてくれたことに感謝します。愛してるよ」

ファルカオ選手とローレライさんの間には3人の娘がおり、2017年8月には出産直前でお腹の大きく膨らんだローレライさんと、2人の娘とともに三女の出産を待ちわびる写真をインスタグラムに投稿していた。

新たに家族が増えたファルカオ家は大賑わい。インスタグラムでは元気な娘たちと遊ぶファルカオ選手の様子が見られる。

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自分が大ケガをしたときも相手選手のことを気づかう優しさ

10代のころから将来を嘱望され、その期待に応えるように成長を続けてきたファルカオ選手は、世界有数のストライカーと呼ばれた。

2013年にモナコに移籍した際には、6000万ユーロ(約77億円)の移籍金が支払われている。

そんなファルカオ選手のキャリアに暗い影を落としたのは、2014年1月に負った左ヒザ前十字靱帯断裂の大ケガだった。

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このケガにより期待されたブラジルW杯の出場が厳しいものとなり、負傷させたソナー・エルテク選手には、コロンビアのサポーターから脅迫も含めた抗議が殺到した。

しばらくW杯から遠ざかっていたコロンビアの出場は4大会ぶりであり、ファルカオ選手も母国を代表して戦えることを楽しみにしていたが、真摯に謝罪するエルテク選手に対して恨み言はいっさい言わなかった。

「これはフットボールには良くある出来事なんだよ」

互いに全力でプレーした結果だから仕方ないんだ、と憔悴するエルテク選手を逆に慰めた。

大学でジャーナリズムを学び、自チームにも的確なコメントを残す

ファルカオ選手はアルゼンチンに住んでいたころ、サッカーと並行して大学でジャーナリズムの勉強をしていた。

その経験が彼の分析力とコメント力には活かされており、自チームを客観的かつ冷静に見る目も養われた。

現在のコロンビア代表についても取り組むべき課題を挙げたことがある。

「コロンビアの選手は常に技術的に才能豊かですが、欧州のサッカーに適応するのが難しいと感じていました。しかし、我々はそのスタイルから学ぶ必要があります。私たちはもっとダイレクトにプレーし、中盤で速くボールを動かさなければなりません」

(c)Getty Images

欧州で長く活躍したベテラン選手として、そこで得た経験を若い選手たちに伝えていくのもファルカオ選手の役目になるだろう。

尊敬する選手はティエリ・アンリ

影響を受けた選手として元フランス代表FWティエリ・アンリさんの名前を挙げている。

アーセナルでゴールを量産し、フランス代表でも1998年W杯を制したアンリさんを「私のアイドル」とするファルカオ選手は、アンリさんもプレーしたモナコと契約する際に「彼がプレーしたときからモナコとは心が繋がっている」と話したという。

左がティエリ・アンリ選手 -1998年フランスW杯時  (c)Getty Images

世界の一流選手からも称賛されるファルカオ

大ケガによるスランプとイングランドでの不幸な2年間を乗り越えて、再びモナコで輝きを放つファルカオ選手には、世界の一流選手たちからも称賛が寄せられている。

モナコ時代にチームメイトだったキリアン・ムバッペ選手(フランス代表)は、ストライカーとしての能力だけではなく、リーダーシップもファルカオ選手の長所だと言う。

「彼はゴールを挙げるだけではなく、僕たちが必要とした本当のリーダーなんだ。彼のような選手がいてくれて、僕たちはラッキーだった」

キリアン・ムバッペ選手 (c)Getty Images

FCバルセロナのリオネル・メッシ選手(アルゼンチン代表)も、「ファルカオは偉大な選手だ。彼のボールを操る技術とシュートは印象的だ」とフォワードとしての能力を絶賛する。

リオネル・メッシ選手 (c)Getty Images

リーベルとアトレティコ・マドリードでファルカオ選手を指導したディエゴ・シメオネ監督は、彼は違いを生み出せる存在で決定的な仕事ができるとコメントした。

「私は彼のことを少年時代から知っています。リーベルでは彼と一緒にリーグ優勝も果たしました。彼は人間としても愛すべき人物です。非常に野心的で違いを生み出せる。彼がいいプレーをしていれば勝利のチャンスを掴めるでしょう」

キャリア初のW杯も不発…

左ヒザのケガが完治せず代表招集を見送られたファルカオ選手は、母国が躍進した4年前のW杯を遠く離れた場所から見ていることしかできなかった。その悔しさがあるだけに、キャリア初となる今回のW杯には、並々ならぬ決意とモチベーションで臨んだ。

しかし、初戦日本に敗れてその後は2連勝して決勝トーナメントに進出したものの、イングランドに敗れベスト16で敗退。2戦目のポーランド相手に挙げた1得点のみで大会を去ることとなってしまった。

主将として臨んだ初のW杯は失意のものとなったが、大怪我から復活した過去を持つだけに36歳となった4年後も代表として選ばれるのではないかと想像してしまう。

これまで培ってきた分析力や経験などをコロンビア代表に還元し、また4年後にカタールの地で悔しさを晴らすファルカオ選手の姿に期待したい。

参考:https://www.uefa.com/uefachampionsleague/news/newsid=2444018.html https://www.uefa.com/uefachampionsleague/news/newsid=2444049.html http://www.uefa.com/uefachampionsleague/news/newsid=2437397.html https://lifebogger.com/radamel-falcao-childhood-story-plus-biography-facts/

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