ドラフト会議「指名漏れ」選手の増加を読む、2021年大学生志願者のプロ指名にも注目

 

ドラフト会議「指名漏れ」選手の増加を読む、2021年大学生志願者のプロ指名にも注目

9月29日から10月1日にかけて、イースタン・リーグの北海道日本ハムファイターズ東京ヤクルトスワローズの3連戦が行われた。シーズン最終のシリーズである。千葉県の大学で教鞭をとる私は球団の厚意によりこの試合を実習の舞台にさせてもらって「管理職」として試合運営を手伝う機会を得た。

鎌ケ谷スタジアムは最終戦には入場券も完売、開門前から観客はゲート前で列に並んだり、球場入りする両軍の選手にサインを求めたりしていた。「これが最後のユニフォーム姿になる選手がこの中に必ずいるからよく見ておくように」と私は野球ファンとは限らない履修者たちに言い聞かせていた。

私の予想以上に早く、その翌日から、両軍とも戦力外通告が始まった。テーブルスコアと新聞報道をくらべてみると、ホームのファイターズでは井口和朋、姫野優也、ビジターのスワローズでは市川悠太、杉山晃基、鈴木裕太、松井聖、成田翔、久保拓真、大下佑馬の合計9選手がこの3連戦に出場し、最終日のセレモニーもないまま終了直後に戦力外となっていた。

本人たちはうすうす感じていたのか、すでに通告を受けていたのか、寝耳に水の通告だったのか、それはわからないけれども、いずれにしろ引退などで空いた支配下選手枠と同じか下回る数の選手を10月26日のプロ野球ドラフト会議で「補充」することになる。毎年のことながら、たけなわを迎えるポストシーズンと並行して進む切なさと興味の入り交じった季節である。

◆プロ野球ドラフト会議 2023 中継情報・開催要項

■ここ数年でプロ志願届の提出数が増加

さて、昨年の今ごろ(10月17日付)、意中の球団でないところに強行指名されて入団拒否を決断した例をいくつか挙げたけれども、近年は球団による情報収集が進んだせいか、そういうドラマが減っているように思う。

一方で増えてきたのがプロ志望届の提出者の数。支配下選手枠が拡大したわけではないので、「どの球団からも指名がなかった」という選手が増えている。仕方のないことである。

中には本人も周囲もすっかりその気になっていながら「まさかの指名漏れ」の目に遭い、悄然と社会人野球の会社に進んだ例がある。私が東京六大学野球連盟の公式記録員に就任したのは2021年の春である。つぶさに選手のプレーぶりを見たのはこの2年間の6チームなので、そこに限定した話にしておきたい。

表のとおり、2022年の秋、プロ志望届を提出した選手はこの連盟で24人もおり、指名されたのは育成のふたりをいれて7人である。

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同年ドラフト終了時、担当記者たちも私も意外に思った指名漏れの選手は立教大・山田健太主将(当時)だった。4年間8シーズンすべてで規定打席に達し、試合に出場しなかったのは1年の春のわずか1試合であった。100年近い連盟史でわずかしか達成していない4年間全試合出場に惜しくも1試合足りなかったことはかえすがえす残念なことであったが、最終シーズンで2割2分7厘という自己最低打率で終わったことがスカウトの評価を落としたのかもしれない。

1年前のドラフトで指名されなかった選手の中では高校、大学、社会人を通じていちばん指名漏れのインパクトが大きかったのではないだろうか。報道によればすぐさま8社からオファーがあり、名門日本生命に進み、2年後つまり2024年秋のドラフトを静かに待つことになる。

大卒の選手は2年間ドラフト指名を受けることができないというのは多くの野球ファンが知っていると思うが、2年後にそういう選手がめでたく指名を受ける例もある。多くの社会人野球出身のプロ野球選手は、学生時代に得られなかったプロの評価を働きながら獲得するまでに爪を研いだことになる。頭が下がることである。まもなく行われるドラフトでは2021年の4年生で志望届のうち何人が晴れてプロの指名を受けるか、それはそれで楽しみである。

だが、このときもやはり指名されないことのほうが多い。現役で大学に入学して4年で卒業した場合、24歳になる年の秋である。まだまだ遅すぎないプロ入りであるが、それがまた1年また1年過ぎて次第にプロは断念という切ない現実に直面することになる。

2021年秋のドラフトでは、志望届を出した16人のうち8人が指名を受けられなかったけれども、申し訳ないが立教大・山田選手ほどの驚きはなかった。ここ数年でもっとも大きな「まさかの指名漏れ」の反響を起こしたのは、時代も遡って2015年の慶応大・谷田成吾選手ではないだろうか。

通算15本塁打を誇る強打者で同僚の横尾俊建選手と山本泰寛選手がそれぞれ日本ハムと巨人の指名を受けたのに、目玉選手と言われた谷田選手は得られなかった。恐らく失意の彼は日本生命と並ぶ社会人の雄JX-ENEOS(現ENEOS)に入社したが2年後もドラフト指名を受けられず同社を退職、独立リーグで1年プレーをした後、25歳でユニフォームを脱いでしまった。本人も未練はあったかもしれないが、勝つためにはいい選手を取りたいとどの球団も思っているはずで、何かが欠けていたのだと思うよりほかはない。

この年の4年生は表のように12人がプロ志望届を提出して9人がプロに進んで全員が今年まで現役を続けている(菅野選手と高山選手は戦力外通告を今月受けたところである)。残りの3人も谷田を除いて全員社会人の名門チームで今も現役を続けている。谷田選手がいち早くユニフォームを脱ぐとは当時は夢にも思わなかった。

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こうして2015年のプロ志望届とその進路を2022年と比較すると、志望届を出す選手が少しばかり多すぎるのではないか、という気もする。
※プロ志望届の表は全日本大学野球連盟の公式サイトより

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著者プロフィール

篠原一郎●順天堂大学スポーツ健康科学部特任教授

1959年生まれ、愛媛県出身。松山東高校(旧制・松山中)および東京大学野球部OB。新卒にて電通入社。東京六大学野球連盟公式記録員、東京大学野球部OB会前幹事長。現在順天堂大学スポーツ健康科学部特任教授。