【追悼】マラドーナの衝撃! 1986年、メキシコW杯の追憶

アルゼンチン代表としてワールカップに4度出場したディエゴ・マラドーナ (C)Getty Images

■見るものに鮮烈な記憶を植え付けたメキシコW杯

「マラドーナ! マラドーナ! マラドーナ! マラドーナー!!!」

この実況が耳にこびりついて離れないというオールドファンも多いだろう。メキシコで開催された1986年のサッカー・ワールドカップ(W杯)、6月22日に行われた準々決勝・アルゼンチン対イングランド戦において、ディエゴ・マラドーナが伝説の「5人抜きゴール」を決めた際の実況である。

本稿、失礼を承知で書き起こす。関係各位がご存知の通り、サッカーは門外漢である。先んじてお詫びする。

まだ日本においてサッカーがマイナー・スポーツだった頃の出来事だ。日本代表がワールドカップ出場を成し遂げるなどというのは夢の出来事であり、日本にプロサッカーリーグが誕生するとも、つゆほども想像しなかった。

本格的にサッカーをプレーした経験のある方々、またはサッカー関係者を除き、1965年生まれ、昭和40年男という世代にとって、リアルタイムでW杯を目撃したのは、このメキシコ大会が初めてだったのではないだろうか。

もちろん、日本代表がいないW杯だ。「リアルタイム」と書いたが、それが生中継だったかさえ記憶にない。まさに海の向こうの別世界で繰り広げられるサッカーの祭典を目にし、日本とは異なる別のサッカーが存在すると知り、まったく興味のない者にさえ鮮烈な記憶を植え付ける衝撃をもたらした。

“最低の1点”と“最高の1点”により勝利した伝説の試合

準々決勝のイングランド戦は2-1でアルゼンチンの勝利であったが、まさに語り継がれる伝説の試合となった。

アルゼンチンの2点は「神の手」ゴールと、上記のハーフウェーライン付近から60メートルを駆け上がり、キーパーを含めた5人を抜き去った「世紀のゴール」。マラドーナが繰り出した最低の1点と最高の1点による勝利だった。

イングランドの1点は、後にJリーグ開幕時の名古屋グランパスエイト(当時)にも所属したゲイリー・リネカーによるもの。また、常に忘れられがちだが、本大会の得点王もまた、イングランドのエース・リネカーであった。

準決勝のベルギー戦でもマラドーナは2得点し、2-0で母国を決勝に導いた。つまり準々決勝、準決勝におけるアルゼンチンの全得点はマラドーナが決めたのだ。

アルゼンチンを優勝へと導き、大会MVPに輝いた1986年のメキシコ大会は、マラドーナの、マラドーナによる、マラドーナのための大会だった。

Jリーグ開幕および「ドーハの悲劇」は1993年、日本代表が初めてW杯出場を果たすのは1998年、今の四十路未満の知らぬ時代の出来事だ。

当時、何かに驚くと「マラドーナ、マラドーナ、マラドーナ、マラドーナ!」とつぶやくことになる東洋の片隅のさしてものを知らぬいち学生に、サッカーの眩いばかりの魅力を見せつけてくれたマラドーナ……、60歳はあまりにも早い。安らかに。本当にありがとう。そして、さようなら。

著者プロフィール

たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー

『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨークで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。

MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。

著書に『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』、『麗しきバーテンダーたち』など。

推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。

リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、ニューヨーク・メッツ推し。

【サッカー】神の手ゴール、5人抜き…サッカー界のレジェンド・マラドーナが死去

この記事が気に入ったらフォローしよう

最新情報をお届けします