【編集部ブログ】羽生結弦の凱旋パレードはなんだかんだ賞賛されるべきだと思う

4月22日、フィギュアスケート男子の羽生結弦選手が仙台市で凱旋パレードを行った。

宮城県内外から約10万8000人が集まったにもかかわらず、パレード後にはゴミもほとんど残っていなかったと報道されている。

読売新聞によると、集まったのは90リットルの業務用のゴミ袋6袋分のみとのことだ。

「ボランティアスタッフ含め見回りをしましたが、ゴミひとつ落ちていませんでした」

ツイッターにも、「ボランティアスタッフ含め見回りをしましたが、ゴミひとつ落ちていませんでした。マナーが素晴らしく感動しました」などの投稿がされ、「羽生ファンはさすが」といった賞賛のコメントが集まった。

 

 

一部では非難の声も…?

ただし、一部では「椅子、毛布、レジャーシートは打ち捨てられたままだった」「パレード周辺のコンビニのトイレが壊れていた」といった指摘や、パレードのゴール付近、「勾当台公園」のゴミ箱が溢れかえっていたなどの声も寄せられた。

 

 

しかしながら、「勾当台公園のゴミ箱が溢れかえっていた」というツイートに対しては「ゴミ箱周辺にゴミをまとめてくれているのだからむしろ有難い」などの声も寄せられており、むしろマナーを守った使い方であるといった反論も寄せられていた。

 当たり前のことができるか

少なくとも、パレードが行われた沿道にゴミが落ちていなかったというのは事実だろう。「重箱の隅をつつく」という表現がこの場合正確かどうかは定かではないが、粗を探せばいくらでも出てくるものだ。

それよりは、11万人近くの人々が一箇所に集まったのに、全体的には「ゴミがほとんどない」という状態だったということを、素直に賞賛すべきなのではないだろうか。

集まる人の規模やイベントの質が異なるので比較対象にはならないかもしれないが、東京マラソンを取材したときはどうしてもゴミ拾いのボランティアさんが目立ったことを覚えている。

話は変わるが、リオ五輪では、日本人の観戦客が会場内に落ちていたゴミを拾っていたことが地元メディアで取り上げられていた。観戦客は、「これは私たちの習慣です。(中略)日本人はポイ捨てせずに、ちゃんとした場所に捨てます」と述べたそうだ。

今回の件でも「ゴミを拾うのは当たり前なのだから、なんで大騒ぎしているのかわからない」といった意見が寄せられていたが、まさにそうなのかもしれない。

とはいえ、「ゴミがなかった」という事実がニュースになり、それに対していろいろな意見が寄せられるということ自体が、「当たり前」を実践することが大変であるからに他ならない。

「羽生選手のパレードだから」ではなく、2020年に控える東京五輪でも「当たり前」のことを日本人観客全員が意識できるとしたら、素晴らしいことだと思う。

私もなんらかの形で東京五輪期間は会場を訪れるだろうが、しっかりとゴミ袋を持って行こうと思う。