鹿島アントラーズDFの内田篤人選手は、いまでは右サイドバックの選手として名を馳せている。そんな内田選手、実は学生時代は攻撃的ポジションを務める選手だった。
プロ入り後はサイドバックとして活躍
学生時代に力をつけた内田選手。Jリーグのスカウトの目に留まり、鹿島アントラーズへ入団することを決意した。
鹿島アントラーズ時代
鹿島アントラーズ入団後、名良橋晃さんとサイドバックのポジション争いを制し、開幕戦でクラブ史上初の高卒ルーキーのスタメン出場を果たした内田選手。Jリーグデビューして4試合目では、プロ入り初ゴールも決めた。
その後、2007年と2008年の2年連続でJリーグベストイレブンに選出され、ますます名声を上げた。
シャルケ時代
2010年の南アフリカワールドカップ終了後、シャルケへ移籍。2010-2011年シーズンの秋頃から右サイドバックのポジションに定着した。
2012-2013年シーズンになると、右サイドハーフのジェフェルソン・ファルファン選手との連携にさらに磨きがかかる。
シャルケのフォワードを務めていたユリアン・ドラクスラー選手は当時、ドイツ紙『デア・ヴェステン』の内田選手の特集記事でこのように話している。
「篤人とジェフェ(ファルファン選手)が右サイドで共にプレーして姿を見るのはとても楽しいよ!」
また、ホルスト・ヘルトスポーツディレクターも当時、内田選手に賛辞を贈っていた。
「組織の中でタスクを忠実にこなせる内田選手は、オフェンスに刺激を与えながディフェンスを忘れない。肉体的な力強さもあるので長い距離を走ることをいとわない」
鹿島アントラーズ復帰後
2018年1月2日に鹿島アントラーズへの復帰が発表され、内田選手は約8年ぶりにJリーグでプレーすることに。
内田選手がドイツでプレーしていた約7年のうちに、鹿島アントラーズでは西大伍選手が右サイドバックに定着していたため、ポジション争いが始まった。
大岩剛監督もシーズン前半戦は内田選手を我慢して起用。しかし、ロシアワールドカップの先行直前にケガで戦線離脱してしまう。
結局、内田選手にとって2018シーズンは自分のコンディションを確かめながら試合に出場するシーズンとなった。
学生時代はフォワードやサイドハーフで活躍
中学・高校時代、内田選手はフォワードやサイドハーフを務める選手だった。
中学時代
中学時代の内田選手はフォワードでプレー。チームの攻撃の要だったという。
高校時代
サッカー王国の静岡県で清水東高校に進学した内田選手は、右サイドハーフもしくは右ウィングでプレー。攻撃的ポジションの選手として活躍した。