【スポーツ誌創刊号コラム】雑誌界の金字塔『ベースボールマガジン』戦後復興とともに登場

1946年4月創刊の『ベースボール・マガジン』

■配給元は通称「日配」の日本出版配給

スポーツ界の老舗出版社と言えば、ベースボール・マガジン社。名称こそ「野球」ではあるものの、相撲、サッカー、ラグビー、テニス、陸上、水泳、ボクシング、柔道などなど各種スポーツをカバーする総合スポーツ出版社だ。その創業誌として創刊されたのが『ベースボールマガジン』。

しかし『ベーマガ』は当初、ベーマガ社から創刊されたのではない。1908年に野球研究会と博文館から発行・発売される形で創刊された『月刊ベースボール』は1911年、博文館内の野球界社創業とともに『野球界』として新創刊。1937年よりその編集長を務めていた池田恒雄が1946年4月に恒文社を創業、同時に『ベースボールマガジン』を創刊した。

創刊号によると、恒文社の所在地は東京都北多摩郡國立町22-2。同誌の印刷は4月15日、発行が同20日となっている。これにより『ベーマガ』の創刊は1946年4月20日とされる。編集発行人は池田本人、印刷人・貫井修三、印刷所は日工印刷株式會社、配給元は日本出版配給株式會社(東京都神田區淡路町2丁目9)。

通称「日配」は、出版業界に携わる方ならご存知だろう。主に第二次世界大戦前後、印刷物の流通を管理した国策企業。いわゆる検閲を担当したわけだ。戦後1949年にこれを母体とし日本出版販売、東京出版販売、日本教科図書販売、大阪屋が生まれ、今日まで続く書籍雑誌取次の寡占状況が作り出された。

■表紙は戦後初ホームランを放った大下弘

ベーマガに戻ろう。価格は2円50銭。表記は「¥2.50」となっている。1945年はビール大瓶1本が2円85銭。ヤミでは20円で取引されたという時代だ。現在、私は1本345円(税込)で購入している。

表紙を飾るのは「青バット」で名を馳せたセネタースの大下弘。プロ野球は戦後1946年から公式戦が再開され、ベーマガはまさにそのシーズンに創刊された。セネタースは後に東映フライヤーズとなり、現在の北海道日本ハム・ファイターズにあたる。大下は戦後「初めてホームランを打った打者」としても知られ、創刊号にも頻繁にその名を見ることができる。後に西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に移籍。中西太、稲尾和久、豊田泰光らとともに黄金期を築き、日本シリーズ3連覇を果たした。

「青バット」で名を馳せたセネタースの大下弘が表紙

余談だが、大下の明治大学の後輩にあたる常見昇は六大学リーグで首位打者に輝き49年に入団、50年には4番に座り大下とクリーンアップを組み17本のホームランを放っている。大下が46、47年と本塁打王に輝いた際、それぞれ20本、17本だった。この人物、なんと私の元部下の祖父。ある日、事務所で夕刊フジを読んでいると「桐生中の常見3兄弟」という高校球史の記事を見つけた。そこを通りかかった部下が「あ、おじいちゃん」と声を上げた。それが常見昇だった。常見は兄・茂、弟・忠も同球団で活躍した。ちなみに、この部下はフロリダのIMGアカデミーに在籍した過去があり、ジュニア時代にマリア・シャラポワに勝ったという経験まで持つ。

閑話休題。

表紙には「進め! 野球の大道へ」「日本野球春の陣容展望」と題字が踊り、終戦直後の色合いが濃い。表紙雑誌名は左から右に読むのに対し、記事中は右読みと時代を感じさせる。誌面は中綴じB5版全33ページ。我々にとっては雑誌と呼ぶよりも冊子という構成だ。

■時代を映す戦後復興の真っ只中の描写

表2は「日本の相撲 ― 十五尺土俵時代の回想」という日本大相撲協會が協賛した書籍の広告。3ページは目次と「創刊のことば」。これは社友として、鈴木惣太郎、山内以九士、大和球士、天知俊一、若原正蔵、編集の池田恒雄の連名だ。

表2は日本大相撲協會が協賛した書籍の広告

4ページ目「進め! 野球の大道へ!」は「住家も焼かれた。知己友人の多くも喪つた 死所を故山に求めて帰れば、こゝはまさに新戦場たらんとしてゐる。鹿島灘を玄関口として飛來する米機は、」(原文ママ)とまさに戦後復興の真っ只中である描写から始まる。現存する日本初のプロ野球球団・大日本東京野球倶楽部(巨人の前身)のアメリカ遠征を仕切った鈴木惣太郎は「野球デモクラシイの問題」でやはり「一月十四日の夜、私はマツカーサー司令部の民間教育情報部長ダイタ代將から、晩餐の馳走に與つた。」(原文ママ)とあり、また「名選手の面影」というコーナーは「慶應の楠本、中田も戦死した!」の一文から始まり、創刊当時の世相を存分に読み込むことができる。雑誌は時代を映す鏡…とはよく耳にするが、創刊号はその最たる一冊と痛感させる。

全般的に六大学野球とプロ野球がほぼ同じ比率で取り上げられている点は興味深い。21世紀を生きる我々から想像するには難しいが当時、いかに六大学野球が盛況だったかが伝わって来る。

中綴じのセンター見開きは、「日本野球全選手一覧表」つまり現代で呼ぶ「プロ野球選手年鑑」となっている。だが、プロ野球全選手が見開き2ページにおさまってしまう点に少々驚きを感じる。パシフイツク(現・横浜DeNAベイスターズ)、阪急(現・オリックス・バッファローズ)、タイガース(阪神)、グレートリング(現ソフトバンク・ホークス)、東京ジヤイアンツ(巨人)、ゴールドスターズ(後に現・千葉ロッテ・マーリンズに吸収)、中部日本クラブ(中日)、セネタースの全8球団。ひとチームに12選手しかない球団もあり、支配下登録選手70人+育成選手という現在とは、まさに隔世の感さえ漂う。

見開き2ページにおさまってしまう「日本野球全選手一覧表」

表4は恒文社発行書籍の自社広となっており、ここにも鈴木の著「ルウ・ゲーリッグ」が見える点、興味深い。ゲーリッグの名もまた本誌中に頻出している。

■長嶋茂雄デビューに合わせて『週ベ』創刊

31ページの編集後記には池田の言葉として「長い間、私は急激な轉換をつゝ”ける嵐の中で“野球界”“相撲と野球”“相撲界”編輯に従事してきたのであるが、その生活のうちで何時も思ひつゝ”けて來たことは、自分の意志による雑誌を作りたいことであった。(中略)自分の考えは極端に制約され、ときによると全く見當違ひな方向を走らざるを得ない場合もあった。今や、さうした立場を捨てゝ(中略)新しい野球雑誌を野球フアン諸君に?ることとなつた。」とある。こうした心持ちでスタートしたベーマガながら、現在の社員はいったいどんな気持ちでこれを読むか興味深い点だ。

月刊として発刊された『ベーマガ』は58年4月、おりからの週刊誌ブームとミスタープロ野球・長嶋茂雄のプロデビューに合わせ『週刊ベースボールマガジン』へと転身。これが現在まで続く『週べ』となり、通巻で3000号以上を数え、スポーツ誌の金字塔として刊行を続けている。ベーマガ社の社史としては、これを『週ベ』創刊と扱っているが、この4月16日号の表紙に「創刊号」の文字はない。

『週刊ベースボールマガジン』は長嶋茂雄デビューに合わせて創刊。画像は1977年の『月刊ベースボールマガジン』

また一方、ややこしいことに月刊は『週ベ』初刊行の2か月後、6月には再創刊され65年まで発行。その後、休刊期間を挟み、72年に春季号として復活。77年6月により『月刊ベースボールマガジン』として復刊を宣言。第1巻第1号通算第1号と表記されている。2007年からの隔月刊化を挟んで2017年より月刊化され、現在も発行を続ける月刊誌として続いている。

終戦直後から野球界を見つめて来た「ベーマガ」、いつまでもファンに野球の醍醐味を届け続けて欲しいものだ。

著者プロフィール

たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー

『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨークで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。

MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。

著書に『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』、『麗しきバーテンダーたち』など。

推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。

リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、ニューヨーク・メッツ推し。

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