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日本に「スポーツ総合誌」というジャンルをもたらした『Number』
雑誌『Number』が4月16日号を持って創刊1000号となった。
今となっては本誌よりも『Number Web』を読み込んでいるというユーザーのほうが多いかもしれない。『Number』は老舗出版社、「文春砲」で知られる文藝春秋から1980年、4月20日号として創刊されたスポーツ総合誌。創刊からちょうど40周年で1000号を迎えた。
『Number』は日本におけるメディアの変遷を振り返ると、オールジャンルをカバーする現在の「スポーツ・サイト」の祖先としても過言ではない。それと言うのも本誌が登場する以前、『週刊プロレス』のように種目別の雑誌は発行されていたもののスポーツ新聞以外、スポーツをオールジャンルで発信するメディアは存在しなかった。
『Number』は米誌『スポーツ・イラストレイテッド』と提携、日本に「スポーツ総合誌」という新たなジャンルをもたらした。
王貞治を起用した“幻のポスター”
スポーツ紙は新聞という性格上、毎日の試合の結果を取り上げ、その勝敗にまつわる選手にスポットを当てた。しかし『Number』は、それぞれの選手に深く切り込むことで、さらに「アスリートの素顔」を浮き彫りにするルポを連発してきた。
創刊号に掲載された故・山際淳司による「江夏の21球」は今もって、スポーツルポの伝説的名作として語り継がれている。山際は後に本作を収めた『スローカーブを、もう一球』という秀作を上梓している。
また、50ページからは「39歳11カ月 熱いスウィング」と題した王貞治のインタビューが掲載されている。王貞治というと、昭和の少年にとってはるか雲の上の存在だったが、これを読み込むと引退間際の王の生々しい苦悩が理解できた。王は前年の1979年、打撃3部門タイトルをすべて逃していた。そしてこのインタビューが掲載された80年シーズンの終了とともに、30本ものホームランを放ちながら現役を引退した。今年からメジャーリーガーとなっている元DeNA・筒香嘉智の2019年のホームランは29本だ。
創刊号の書店キャンペーン用のポスターには、やはり王を起用。等身大ほどのポスターには「Number 1」と描かれていた。このポスターはほぼ幻で、同誌面でも見かけたことがなく、覚え違いではないかとリトルリーグから一緒だった幼馴染に今一度確認すると「オレの部屋に貼ってあったよ」とのこと。文春さん、あのポスター、残っていませんか。
スポーツ関係者をも魅了した「アスリートの素顔」を伝えるコンテンツ
文春では「ナンバー1」を誌名として使用するつもりでいたのだが、すでに他社で商標登録されていたため『Number』となったと聞いた。創刊号の表紙を見ればお分かりいただける通り、明らかに「Number 1」がひとつのロゴとしてデザインされている。
本誌に影響を受けたスポーツ関係者は枚挙にいとまがない。元スポーツナビ代表取締役社長・杉本渉(すぎもと・しょう)氏(現Jリーグデジタル コミュニケーション戦略部 部長)はかつてセミナーで登壇、スポーツナビ就職後も正社員としてのオファーを断り続けていたエピソードを明かし「いつ『Number』にサッカー・ジャーナリストとして呼ばれるかわからないから」と理由を述べた。
出版社時代の私の同期など、すっかり書籍編集者となってはいるものの、私がスポーツ記事を書くようになった今を眺め、「いや、スポーツ原稿はオレのほうが上だ。なぜならオレは『Number』に書いたことある」と、たった一度の功績を鼻にかけるほど。私自身、スポーツ記者を目指した過去はないが、すっかり「スポーツの人」とみなされるようになった昨今、確かに一度ぐらいは執筆してみたいもの。
記念すべき1000号の表紙はイチロー
こうした確固たるステータスを築き上げ、ここに記念すべき1000号の発売にこぎつけた。
1000号の表紙は、2019年3月に引退したイチローが「Number 1」のポーズで佇む一葉。これは創刊時に、江夏豊、具志堅用高、青木功が同様のポーズで見つめるキャンペーン・ポスターへのオマージュとなっている。ちなみにイチローが同誌の表紙を飾ったのは32回。現在、最多登場回数となっている。また誌面では、イチロー以外にも、大谷翔平、武豊、村田諒太などの現役選手も同じポーズを取る姿が掲載されている。
また創刊号同様、ここにも王「会長」のインタビューが掲載されている。その表情には現役時代と異なり、温和な笑顔が表れている。カメラマンは表紙のイチロー同様、同社写真部長・佐貫直哉氏が務めている。佐貫氏はこの20年、イチローの写真を取り続けて来た「担当」としてスポーツ界では知られる。
創刊1000号記念特集はズバリ「ナンバー1の条件。」。巻頭からイチローの独占ロングインタビューがスタート。以下、サブタイトルに「We are the Number 1」と記された特集は、大谷翔平、王貞治、村田諒太×井上尚弥などと続く。
冬季五輪連覇を果たし「史上最も五輪で活躍した日本選手」のひとりに数えられる羽生結弦のページでは、2009年のジュニアGPファイナルでのあどけなさが残る表情から、貫禄溢れる2020年四大陸選手権の勇姿まで追うことができ、ファン垂涎のコーナーともなっている。
際立つ『Number』の“孤軍奮闘”ぶり
文春に続き他社もスポーツ総合誌をリリースした。サンケイスポーツは1999年から『ゼッケン』を創刊するが同年中に休刊させ、2000年9月から角川書店と共同で『SPORTS Yeah!(スポーツヤァ)』を発行(2006年12月をもって廃刊)。2002年には集英社の『Sportiva(スポルティーバ)』(2010年で定期刊行を休止)が登場、最後発は光文社の『VS(バーサス)』。2004年10月に創刊され、2006年6月で休刊となった。結果から眺めると、スポーツ誌は『Number』に始まり、『Number』だけが生き残っている。孤軍奮闘……として良いだろう。
スポーツ・ビジネスに従事する者としては、もし「読んだことがない」というユーザーがいるのであれば、ぜひ一度はその誌面にも目を通してもらいたい。「おうちで過ごそう」というこの時節がら、テレワークも含め「自宅に引きこもり」という方も多かろう。こうした時間を活かし、WEBだけではなく、一冊取り寄せ、スポーツの奥深さに触れてもらいたい。
創刊1000号、おめでとうございます。
※『たまさぶろの人生遊記』2020年4月13日発行より加筆転載
著者プロフィール
たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー
『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨークで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。
MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。
著書に『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』、『麗しきバーテンダーたち』など。
推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。
リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、ニューヨーク・メッツ推し。