フィギュア大国アメリカのニュースターといえば、ヴィンセント・ジョウ選手だ。ジョウ選手は、同じくアメリカのスターであるネイサン・チェン選手より1学年年下の2000年生まれだ。
今回は、ジョウ選手の経歴と人物像に迫ってみる。
5歳半でキャリアスタート
2000年10月25日、アメリカのカリフォルニア州サンノゼで、中国出身の両親の元、移民2世として生まれたジョウ選手。
フィギュアスケーターとの出会いは5歳半の時。地元のスケートリンクで友人の誕生日パーティーが開かれたことがきっかけだ。
以来、地元で個人レッスンを受けながらフィギュアスケーターとしてのキャリアを積み重ね、2011年には全米選手権のインターメディエイトクラスで史上最年少優勝を果たす。更に2013年にはジュニアクラスでも最年少優勝。
2013-2014シーズンからは飛び級で国内のシニアクラスの大会に出場するなど、着実にスター選手としてステップアップしてきたジョウ選手であったが、この時期にフィギュアスケーターとして大きなアクシデントも経験している。
ヒザの故障
元々、先天的な問題によりヒザが故障しやすいという課題を抱えていたジョウ選手は、2013-2014シーズンの途中でその課題を解決すべく手術を行った。
しかし、2014-2015シーズンに右ヒザの半月板を断裂するという大きなケガを負い、結果的に2013年4月から2015年の8月まで、1年4か月もの長い期間のほとんどを療養に費やすことを余儀なくされている。
なおこの間、同世代のライバルであったチェン選手は全米選手権のジュニア大会を優勝、ジュニアグランプリファイナル及びジュニア世界選手権では3位入賞を果たすなど、着実にトップスケーターとしてのキャリアを積み重ねていった。
ジュニア歴代最高得点を更新
1年4か月の期間はジョウ選手にとってはまさに雌伏の時であった。
2015-2016シーズンより競技復帰を果たしたジョウ選手。
いきなりジュニアグランプリシリーズの2大会で銀メダルを獲得。惜しくも表彰台獲得とはならなかったものの、ジュニアグランプリシリーズのファイナルでも4位という好成績を残した。
更に2016-2017シーズンの世界ジュニア選手権では、ライバルのチェン選手も達成できなかった「金メダル」を獲得。さらにこの時、フリースケーティングでは4回転ルッツを含む3つの4回転ジャンプを成功させ、ジュニア歴代最高得点を更新している。
2017年よりシニア転向
2017年よりシニアに転向したジョウ選手。2017年以降の全米選手権では2位、3位、2位と3年連続で表彰台に上っており、アメリカでは着実にトップフィギュアスケーターとしての地位を固めつつある。
一方でこの3大会、いずれも表彰台のトップに君臨していたのはライバルのチェン選手であった。
この1つ年上の大きな壁を打ち破るべく、今後より一層の活躍が期待される「もう一人の」スター、ヴィンセント・ジョウ選手。
彼が尊敬する日本の羽生結弦選手もまた、ジョウ選手を大きく評価している。
2019年3月20日より、今シーズンのラストを締めくくる「ISU世界フィギュアスケート選手権大会」が日本のさいたまスーパーアリーナで開催されている。
日本では右足首を負傷している羽生選手の動向が大きく注目されているが、チェン選手とジョウ選手のライバル対決も大いに期待したい。
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