日本の記者から東日本大震災の被災者からの応援について水を向けられると「いろんな方々から声をもらった。おめでとうにはならなかったかもしれないが、よかったという声をもらえてある意味幸せです。みなさんのために滑っているということと、自分のために滑っていることもあります。東日本大震災のときも感じましたが、あるきっかけで、みんながひとつになることすごく大事なころ。つらい犠牲のなかですが、ボクのスケートでみんなの心がひとつになるきっかけになれば幸せだなと思う。何か犠牲にすることのない、幸せのきっっかけなれば嬉しいな。こんなに応援してもらって光栄だなって思います。みなさんも自分を応援してくれることで幸せになってくれたらうれしいなと思います」と応えた。
■「これが最後の五輪か」に「へへへへ」と
記者団からあらたまって羽生結弦にとっての挑戦とは何かを訊ねられ「きっとボクだけが特別とは思っていなくて、王者だからでもなくて、みな生活のなかで何かしら挑戦してると思う。大きかったり、目に見えたり、報道されたり、それだけの違いはあっても、それが生きることだと思う。守ることも挑戦。守るって大変なんですよ。家族を守ることも大変で、何かしらの犠牲を払っている。何ひとつ挑戦じゃないことなんてないんじゃないかぁ。それがボクにとって4回転アクセルだったりオリンピックだったりにつながっている。ボクは挑戦を大事にしてきたけど、自分のことを認められるきっかけになったらうれしい」とその感覚を総括した。
今後にモチべーションについて訊ねられ「正直、いままで4回転アクセルを飛びたいと言っていたのは、ボクの心の中に9歳の自分がいて、あいつがずっと『飛べ』と言っていた。「お前、下手くそだな」と(時折)言っていたけども、今回のアクセルは9歳のときの自分と一緒に飛んだんです。見てみると実は9歳の時と同じフォームなんですね。技術的にたどりついたのが、あの時のアクセルだった。いろんな人に助けられ、壁を登っていたんですけども、最後に壁の上から手を差し伸べていたのは9歳のオレだったんです。羽生結弦のアクセルはこれだったんだと、納得できている。ただ、モチベーションとしては、4日しか経っていないんで、これからどうなるかわからないです。でもあれがアンダーでも転倒でも、見返した時に羽生のジャンプって軸が細くてジャンプが高くて、誇れるアクセルだったと思えるかと……」と、小さい時の自分こそがモチベーションの一端であったという見方を披露した。
中国人記者から「これが最後の五輪でしょうか」と単刀直入の質問が飛ぶと「これが最後か、ちょっとわからないです、へへへへ」とおどけて見せつつ「やっぱり、オリンピックって特別だなっと思いましたし、ケガしてでも立ち上がって挑戦すべき舞台って、他にはないので、すごく幸せな気持ちになっていたので、また滑りたいなっと思います。ボランティアさんも歓迎してくださって、中国のファンのかたがたも歓迎してくれたのを感じた。その中で演技するのって本当に幸せだなっと思って滑りました」と中国のファンに向けて感謝を口にした。









