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【全仏オープン】小田凱人にしか作れない最強伝説への第一歩 4大大会初制覇で世界ランク1位に

 

【全仏オープン】小田凱人にしか作れない最強伝説への第一歩 4大大会初制覇で世界ランク1位に
全仏オープンで4大大会史上最年少優勝を成し遂げた小田凱人 (C) Getty Images

―――――TOKITO ODA―――――!!!!

フィリップ・シャトリエ・コートに新王者の名が響き、新たな時代の幕開けを告げた。

◆【実際の映像】小田凱人が世界一ヒューエットを破り、4大大会最年少優勝を決めた感動の瞬間

晴れて世界ナンバー1として6月12日付でその王座についたのは、日本のティーンエイジャー小田凱人だ。

全仏オープン決勝、第1シードのアルフィー・ヒューエットを6-1、6-4で下し、グランドスラム初優勝を成し遂げた。これは1968年にプロツアーが始まって以来、あらゆる分野(ジュニアを除き)で男子グランドスラム・チャンピオン最年少となる。

国枝が引退してから5カ月も経たないうちに、華々しく17歳33日で掴んだ四大大会初タイトル。そして17歳1カ月4日で史上最年少世界ランキング1位の記録を樹立した。

■ヒューエットの史上最年少記録を打ち破るために始まったプロの道

「本気でテニスに向き合い、人生を懸けたい」と話したのは約1年1カ月前。多くのメディアが待ち構える会見場で、15歳はピンと背筋を伸ばしプロ宣言を行った。それも今回の決勝の相手であるヒューエットが持つ史上最年少世界ランキング1位(20歳1カ月23日)を塗り替えるため。その目標に向かい、タイムリミットを約4年と掲げての出発だった。

優勝から凱旋帰国記者会見にのぞむ小田凱人 提供:トップアスリートグループ

その後、すぐに迎えた初のグランドスラム(GS)出場はここパリの地だった。あの頃、小田は世界ランキング9位。本来であれば8名しか出場枠がなかったドロー数を大会側が「多くの選手に更なる機会を与え、車いすテニスの露出を狙いたい」と12枠に増やした結果、叶った4大大会出場でもあった。そのチャンスを活かし初出場でベスト4へと進出、勢いは憧れの人である国枝慎吾に止められたものの、確実なフィードバックを手にこの1年を歩み続けた。

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小田の強さの秘訣は自己分析の高さと言えるだろう。

初めて取材をした日から、「どうすれば現状を突破し世界王者になれるのか」と淡々と語り続けてきた。2022年春まではGS常連の実力者たちを突破できなかった時期もある。その時も「現状ではトップには勝てないかな」という冷静さのなかに、対戦相手のデータから学習していく姿が非常に合理的に見受けた。

国枝との対戦では「相手に取らせない術」を学んできた。「国枝さんは、自分からポイントを取りにいく時と相手にポイントを取らせないようにするのがうまい。わざと相手に攻めさせてパッシングやミスをさせることができる。その分、攻撃をより効果的に使える」と勝負の局面での選択肢の多さを吸収してきた。またヒューエットからは「プレーの質を下げることなく多くの試合で継続できることが今の僕との違い」と互いの持ち味でもある超攻撃的なテニスをどうすれば高いレベルで維持できるのかと方法を探っていた。

■「ヒューエットは強い。でも必ずチャンスがある」

何度か重ねていく取材の中で、僭越ながら「ヒューエットが他の選手よりずば抜けてポテンシャルが高く、かなり手強く見えるんですが…」と質問の冒頭に言葉を並べた日を思い出す。ヒューエットは、毎回ラケットの芯でボールを捉えられるほど、正確なボールとの距離感に力強いスイング。バックハンドのストレートとショートクロスへのコンビネーションを駆使しながら、フォアで回り込み豪速ボールを相手コートに突き刺さす。リターンは常に攻撃的で、ネットプレーを絡め3本目で仕留めるタイミングも群を抜いて速い。

これまで全盛期の国枝と繰り広げた死闘を見てきても、ヒューエットの一貫した攻撃パターンには手を焼いてきた。小田も同じく、球威は負けずともどこか余裕をもたれる時間帯が来ると圧倒される瞬間を経験してきた。そんな私の見解に、小田は頬を緩め「はい、ヒューエットは強いですよ」と即答した。そんな素直さがインタビューの場を和ませると同時に「でもどんな強い相手でも勝てるチャンスは必ずあります」と強い意志と明確な攻略プランを打ち明けるのだった。

記憶に新しいのは昨年末の「NEC車いすテニスマスターズ」で初めてヒューエットに勝った日だ。

小田凱人がマスターズ最年少初優勝を飾った瞬間 (C) Mathilde Dusol

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あの時はリターンゲームの仕掛け方に勝利の鍵があった。トップレベル選手の力強く精度が高いサービスに対して、どうバリエーションを持ち攻略するか。2ゲームを引き離し、優位にゲームを進めることを目標に、「ショートクロスやストレートを狙うことでプレーの幅が広がった」と勝負所でのリスクと確率を天秤に図れるようになったと語っていた。

そのリターンは今回の決勝戦でさらにスキルアップしていたように思う。ヒューエットのサービスパターンを読み切り、サービスライン付近から火を噴くようにエースを奪い続けた。いったいどこでリターンを返しているのかと驚くほどのポジションの奪い方だ。結果、ヒューエットもリスクを負うしかないほど精神的にストレスをかけられ、小田は主導権を握り続けた。

またこれまでに「ヒューエットのバックハンドは特に読みにくい」としていたが、そのバックハンドを使わせないほど、先に鋭角へボールをさばききった。そして赤土の特性を活かすようにトップスピンの効いた高く弾むボールを混ぜ込み、チャンスボールを引き寄せる。最後の一手は必ず相手のラケットが届かない場所に沈み込ませ、完全攻略と言っていいほどのゲームコーディネートだった。

小田凱人選手(写真:本人提供)

小田が後方に下げられたときはどうだっただろうか。

「顔の高さでも打てることが武器」と当たりの厚いショットを打ち返し、簡単には主導権を渡さない。片手のバックハンドでも豪快なスピンを送り返していた。おまけにベースラインから2メートルほど下がった場所からでもフォアハンドでエースを抜く。これにはトップクラスに君臨し続けてきたヒューエットでさえも全く動けなかった。ネット前にボールを落とせば、がむしゃらに走る相手のパッシングを悠々とボレーで止める。まさにどの場面においても高ぶる感情の中に冷静さと遊び心があり、かつコートの広さを最大限に活かした芸術作品と呼べる出来映えであった。

■小田にしか作れぬ最強のテニス

小田は約4年以内での成功を見据えていた目標を、規格外のスピードで史上最年少世界ランキング1位を達成した。今後さらにヒューエットとのライバル関係は過熱し、またその日々が多くのファンを車いすテニスの世界へと誘うだろう。国枝とは違うプレースタイルだからこそ、小田にしか作れぬ最強伝説がある。

◆小田凱人が世界一ヒューエットを破りマスターズを優勝 いま明かす最年少記録を狙い続ける真意とは…

◆国枝慎吾の後継者・小田凱人 全豪オープン準優勝と「最年少記録を作り続ける運命」

◆車いすテニス界の新星、小田凱人が目指すは絶対王者・国枝慎吾、そしてパリ五輪金メダル

著者プロフィール

久見香奈恵●元プロ・テニス・プレーヤー、日本テニス協会 広報委員

1987年京都府生まれ。10歳の時からテニスを始め、13歳でRSK全国選抜ジュニアテニス大会で全国初優勝を果たし、ワールドジュニア日本代表U14に選出される。園田学園高等学校を卒業後、2005年にプロ入り。国内外のプロツアーでITFシングルス3勝、ダブルス10勝、WTAダブルス1勝のタイトルを持つ。2015年には全日本選手権ダブルスで優勝し国内タイトルを獲得。2017年に現役を引退し、現在はテニス普及活動に尽力。22年よりアメリカ在住、国外から世界のテニス動向を届ける。