日本のJリーグで近年議題として挙げられているのが、現行では春から秋にかけて行われているリーグ戦の「秋春制」への移行だ。欧州の主要リーグなどは「秋春制」が取り入れられており、日本から欧州への移籍タイミングが難しいなどの問題はかねてより指摘されてきた。
Jリーグもシーズン移行するべきか否か……。
この問題について、長年スペインの育成に携わってきたビジャレアルCFの佐伯夕利子さんがこの問題について自身のブログで興味深い持論を展開。以下、佐伯さんの許諾を得て「佐伯夕利子オフィシャルブログ PUERTA CERO 〜この世にたったひとつのとっておきの私の道〜」からの転載とした。
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◆なぜスペインには圧倒的なFWが生まれないのか 佐伯夕利子さん・前編 「意思決定」のプロセス
目次
■スペインリーグ構築の経緯
私が4年間お世話になったJリーグで、いまシーズン移行の議論が進められているという報道を目にした。こうして丁寧に議論が繰り返されていることこそが、組織として成長し続けている証でもあり、またそこで各分科会をリードされている皆さんのお顔を思い出しながら、ただただ敬意抱く。
こうした報道を目にしながら、改めて「はて、スペインのシーズンはそもそもどのような経緯で成り立ってきたのだろう」と、私も自分の身に置き換えて考えなおしてみた。
ここでは「シーズン移行」についてではなく、「そもそも私たちスペインのシーズンは、どのように構築されているのか」「どのようなファクターが考慮されているのか」を考察してみたいと思う。
●社会的背景
スペインの場合、ラ・リーガに限らずスポーツ活動そのものが、
7~8月にプレシーズン
8~9月にリーグ開始
5~6月にシーズン終了
という流れで構築されている。
学校の年度は9月始業~6月終業だが、児童・生徒の学齢は1月1日から12月31日生まれで区切られている。スポーツも同様で、シーズンは9~6月。年齢は「生まれ年」で区切られ、カテゴリー分けされる。
次に企業の決算についてだが、多くの企業が1月1日から12月31日で年度決算を行う。一方、私たちフットボールクラブは7月1日から6月30日が決算年度。
■シーズンカレンダー作成の要素と5側面
まず、カレンダー作成の際に考慮される要素を5側面から整理してみたい。
①Vis major(不可抗力):天候、災害、その他のアクシデント
②Rights(権利・人権):フィジカルインテグリティー、仕事と家庭の両立(RWFL:Reconciliation of work and family life)
③Sports(スポーツ):個およびチームのパフォーマンス
④Consumer(ファン・サポーター):スポーツ観戦者のコンフォート・快適さ
⑤Business(ビジネス):パートナー企業、決算期
①不可抗力(Vis major)
私たちは自然界で生かされている以上、大好きなスポーツをしようにも大雨、積雪、強風などによって外出すらできないことも、山火事や噴火の影響で避難を余儀なくされることもある。
地理的にスペインは、自然が厳しい国ではないものの、地域によっては凍結や降雪で屋外スポーツを中止せざるを得ないこともある。
一方私たちの場合、こうした予期せぬアクシデントが発生しても、スタジアムがクラブ専用であるため、急な日程変更にも柔軟に対応できるという利点がある。
天候だけでいえば、太陽の国スペインだけあって「太陽の熱射」と「気温の高さ」は深刻な問題だ(湿度は低い)。従って、スペインにおいては「夏季」のほうが「冬季」よりも課題や考慮要素が多いといえるだろう。
ちなみに、スペインフットボール界でこれまで定義されてきた「夏季」は、5月20日から9月15日を指す。
■「フィジカルインテグリティー」とは…
②権利・人権(Rights)
私たちは普段から「フィジカルインテグリティー」という言葉をよく使う。
これは、例えば「真夏の炎天下に試合を組む」「1日に2試合組む」「土・日連戦する」といったケースにおいて、「フィジカルインテグリティーの侵害だ」といった具合に使われる。
さて、この「フィジカルインテグリティー」とは、私たちの理解では『スペイン憲法第15条 生命権』で守られている人権のひとつであり、また、EU基本権憲章 ”EU Charter of Fundamental Rights” に従うと、
第一章・尊厳
第3条・個人の完全性に対する権利
1. 全ての人が、自己の身体的・精神的完全性(インテグリティー)を尊重される権利を有する。
TITLE I – Dignity
Article 3 – Right to integrity of the person
1. Everyone has the right to respect for his or her physical and mental integrity.
というもの。
私たちスペインリーグでは、選手会、スペインFA、リーグ、クラブ、スポーツ庁を交え交渉・折衝を繰り返しながら、行ったり来たりではあるが、
28度ルール: 28度以上での試合開催は行わない→キックオフ(KO)時間を遅らせる
48/72時間ルール:ホーム/アウェイに順じ、試合と試合の間に48/72時間を設ける
19時30分ルール:夏季のKO時間は19時30分以降にフィックスする
といった約束が交わされてきた。
■マーケット拡大をもくろむラ・リーガの事業戦略
例えば、マーケット拡大をもくろむラ・リーガの事業戦略の一環「各節10試合が被らないように全試合放映する」という施策の中で、金・土・日・月の10枠を確保するためには、どうしても「19時30分ルール」を交渉せざるを得なかった。
スポーツ庁の介入もあり、現在はルール改正がなされ、ラ・リーガから「過去10年間の各会場におけるKO時間帯の平均気温」が提出され、試合当日の予想気温をチェックしながらKO時間を設定することで、アスリートおよびレフェリー、観客、スタッフなどの「インテグリティー」の遵守に努めている。
実際に、当初の予想気温より高い気温が発表されたことを受け、試合の2日前にKO時間変更のお知らせがラ・リーガから届いたりもする。
なお28度というアラート設定は、生理学や循環器学を専門とするドクターたちによって、熱中症などの健康被害が起きると理解されている数値であるため。
「アスリートをはじめとするあらゆるステークホルダーの身体的インテグリティーを守る」ことが意思決定における最重要ファクターであるのは、彼らの人生観における最上位概念が「人権」であるためだろう。
■守られる「労働者の権利」
また、労働者の権利として、フットボールカレンダー作成時に交渉されるのが、スペインの人たちにとって神聖な日である12月24日から25日と12月31日から1月1日。これらは「家族と共に過ごす大切な日」であり、アスリート、レフェリー、スタッフの仕事と家庭の両立(RWFL:Reconciliation of work and family life)という労働者としての権利を守ることをも意味するためだ。
労働者の権利でいえば、年間30日の有給休暇の取り方も毎年交渉の論点となる。現時点では(私の記憶が間違っていなければ)、シーズンオフに21日間連続取得。残り10日ほどをクリスマスブレイク期間中などに振り分ける。
③スポーツ(Sports)
はじめに、私たちクラブからすると「スペイン代表強化のためにリーグカレンダーに配慮する」といった考えは1ミリもなく、この国における特徴でもある国内リーグ(クラブ)と代表チームの独立性が明確だ。
世界のフットボールカレンダーが年々ヒートアップし、試合過多状態であることは、私たちも現場を持つ当事者として、表現しきれないくらい深刻な問題である。
そもそも、見る者を魅了するエキサイティングなゲームを創出するには、チームパフォーマンスを最良の状態に仕上げなければならない。チーム力は、つまるところ個の結集値なので、選手一人一人をベストコンディションに整えることからすべてがはじまる。
F1レースがそうであるように、最高のマシンが最良のパフォーマンスでサーキットを走り抜けるよう、チーム一丸となって最適な状態にチューニングする。
近年世界のフットボールクラブは、この「チューニング力」を競い、結果につなげる企業努力をしており、弊クラブもそうであるように、多くの専門家たちが選手一人一人を丁寧に徹底的にチューニングしている。
■様々な専門家がフルタイムでコミット
栄養学、疲労・回復・リカバリー、フィットネス、コンディショニング、テクニック、戦術、スポーツドクター、心臓血管医、心理学、理学療法、ポダイアトリー、けが予防、リアップ、セットプレー、ポジション専属、分析、1on1コーチなどなど、専門家の数は数えきれない。そしてそのほぼ全員がフルタイムでコミットしている。
トップレベルの場合、「選手をどのようにトレーニング強化するのか」よりも、フットボールカレンダーから逆算して、選手一人一人の疲労物質を検査し、最適なパフォーマンスができる状態に戻す回復への努力。ここにエネルギーを奪われているのが実情。
回復に必要なサプリを提供したり、良質な睡眠を得られるサポートをしたり、トレーニングの負荷とストレス(強度・インパクト)およびボリューム(量・時間)を調整したり、複数名のトレーナーがかかりっきりでケアーしたり…。
それぞれの専門家がノウハウ・ナレッジを持ち寄り、選手との対話から状態を把握し、総力を挙げて彼らをチューニングする毎日である。
トップレベルになればなるほど試合数も多く、それら1試合1試合における負荷とストレス(強度・インパクト)も高いため、一般にいわれる「トレーニング」をすることすらままならないほどである。これが欧州トップクラブの現状といえるだろう。