ポーランド代表監督の壮絶な人生。輝かしい現役時代。米国移住して肉体労働、ディーラーとしての過去も

1978年、弱冠20歳でアルゼンチンW杯の舞台に、ポーランド代表のミッドフィルダーとして立ったアダム・ナバウカ選手。当時、そのダイナミズムに溢れるプレースタイルと性格で、ベストヤングプレーヤーの1人として取り上げられた。

あれから40年。2018年のロシアW杯を、今度は監督という立場で、ポーランドを率いる。

(Getty Images)

輝かしいキャリアを歩むも、怪我で引退。同年、アメリカに移住。

1957年生まれのナバウカ監督。突出した才能を若い頃から見せつけ、18歳だった1975年、そして76年と国内大会で2度チャンピオンに輝くなどのキャリアを歩んだ。

しかし、まだ21歳だった1978年から度重なる怪我に悩まされ、1985年、29歳で引退を強いられた。

参考画像:1973年のW杯。イングランド対ポーランド(Getty Images)

その年、ナバウカ監督はアメリカに妻のカタリナさんと共に移住。その期間にアメリカに移り住んだ他のポーランド人と同じく、彼も富を求めていた。というのも、当時のポーランドでは市民の自由権が相当度制限されていたからだ。軍事政権により価格は引き上げられ、深刻な経済危機となっていたのだ。

アメリカに移住後、クラクフ生まれの元ポーランド代表ミッドフィルダーは肉体労働(木の伐採など)を行い、日曜日にはセミプロとして、「ポーランド・アメリカン・イーグルス」でプレーした。

帰国後、ビジネスを立ち上げる

共産主義体制の崩壊後、ナバウカ監督は1990年にポーランドに帰国。サッカーの監督としての免許を取得する前に、2つの事業を立ち上げた。

妻カタリナさんとのジーンズショップ経営と、自動車販売店経営だ。そこでは、ディーラーとして旧東ドイツの小型乗用車、トラバントなどを商品として扱った。

トラバント(Getty Images)

代表監督として。

1995年、ナバウカ監督はついにサッカーのフィールドに舞い戻ってきた。ポーランドの3部リーグのチームの監督からキャリアをスタートして、様々なポーランドのチームを率いた。

ナバウカ監督が1部のクラブを率いてプレーしている時、かつてのユベントスのスター選手でありポーランドサッカー協会で現在会長を務めるズビグニェフ・ボニエク氏からポーランド代表の監督就任のオファーを受ける。ナバウカ監督がそのオファーを受け入れたのは、2013年、10月26日だった。

ズビグニェフ・ボニエク氏(Getty Images)

しかし、その道のりは簡単ではなかった。2014年ブラジルW杯では予選敗退。ポーランドメディアはボニエク氏の判断は間違いだったとナバウカ監督を批判した。

だが、試合を追うごとにメディアからの評価も高まった。ナバウカ監督が就任した段階ですでにポーランドのレバンドフスキ選手は国際的にも知られていたが、ポーランド代表としてのパフォーマンスはふるわず。そんなレバンドフスキ選手を「キャプテン」として自覚を持たせ育て上げたのは、ナバウカ監督だとされる。

2016年の欧州選手権ではポーランド代表をベスト8まで導き、今回のロシアW杯では3大会ぶりの出場を決めた。

すでにグループリーグ敗退が決まっているものの、6月28日午後11時(日本時間)には日本と対戦するポーランド代表。ナバウカ監督の手腕を侮るべからず。

(Getty Images)

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