日本に初めて世界ラリー選手権(WRC)がやって来たのは2004年のこと。
FIAが統括するレース・イベントとしては、F1が1976年に富士スピードウェイで日本初開催されていることを振り返ると、ずいぶんと遅きに失する感はあった。しかし、北海道帯広市を中心に開催されたラリージャパンを目の当たりにし、サーキットなどの閉じられた空間でのレースに比べ、地元市民を巻き込んだイベントに、地方創生などの可能性を見たのも事実だった。
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■豊田スタジアムに閉じられたイベント
この11月、そのラリージャパンが12年ぶりに日本に帰って来た。
今回の舞台は、愛知県・岐阜県。2017年よりWRCに参戦。ドライバーズ・タイトル、マニュファクチャラーズ・タイトルを手中に凱旋するトヨタのお膝元だけに、その盛況ぶりもさぞかし…と想像したもの、期待以上だったかと問われると非常に回答が難しい。
まずはラリーで華やかなのはそのセレモニアル・スタートとセレモニアル・フィニッシュ。2004年の帯広では街内のメインストリートにそのステージが設けられ、VIP席などはあれど、誰もがそのスタートを目撃ができる舞台となっていた。ところ残念ながら、今回はセレモニーがすべて豊田スタジアム内で完結する建て付けとなっていた。つまりサッカーの試合を観戦するようにチケットを購入しなければラリーの華々しさに触れることができず、クルマ好きもしくはラリー好きのみが、世界最高峰のマシンとドライバーが集う様子を目にすることができる限定公開だ。おそらく札幌開催時の形式を踏襲したのだろうが、このセレモニアルは当時から評判が芳しくなかった。
2004年の9/2、日本ではじめての #WRC『#ラリージャパン』が開幕しました!
北海道の帯広市内で行われたセレモニアルスタートには、日本全国はもちろん海外からも多くのラリーファンや関係者が集まり大盛況となりました✨来年こそは、また日本でセレモニアルスタートが行えることを、心から願います。 pic.twitter.com/o8jBe4IVJj
— フォーラムエイト・ラリージャパン (@2020rallyjapan) September 1, 2020
しかし帯広のスタートでは、もはや帯広中の市民がスタートを見にやって来たのかと思われる盛況さだった。どうしても正確な数字が手元にないのだが、公式発表ではセレモニー周辺だけで5万人だったと記憶している。これにはどう考えてもクルマやラリーに興味のなさそうな高齢者も含まれており、いかに市を挙げてのお祭りだったかが、手にとるようにわかった。
街内の賑わいも同様。まだまだコロナ余波が残るとはいえ今回は、市内で食事をしても4日間でラリー関係者に出くわすことなし。帯広での開催時は、行く先行く先が関係者で賑わっており、その経済効果も街の歓迎ムードを後押ししたことだろう。今回、飲食店の方に聞いたところ、「少し盛り上がるかと身構えていたのですが、今のところそのような方はお見えになっていません」とのこと。これが最終日の談話だった。ノルウェー人、フィンランド人などひと目でわかるラリー応援団も皆無だったのは、寂しい限りだ。もちろん、人口17万人の帯広市と40万人以上を抱える豊田市では規模も異なるだろうが、帯広には札幌はもとより東京圏からも関係者、ファンが集まり、盛大なイベントとなっていた。
ラリーそのものを東京マラソンのような一大イベントに育てるためにはこの際、帯広のように夜、名古屋のど真ん中でセレモニアル・スタートを行い、その翌日から名古屋市民も呼び込み豊田市でイベントを組むのが望ましい。愛知県、岐阜県および各市町村間の政治的調整も複雑怪奇であったと聞くが、まだまださらなる調整が必要ではないか。帯広開催は結局、主催者だった毎日新聞社が赤字を背負い込む状況を生み、長年にわたって定着しなかった要因となっているが、まだまだビジネス・ディべロッピングの余地はあったと考える。
■新領域ビジネスの導入も手つかず
スポーツビジネスの基本3本柱は、スポンサー、チケッティング、マーチャンダイジングである。スポンサー事情についてはなんら開示された資料が手元にないが、連日1万人を越える観客が豊田スタジムを訪れていたとは言え、スタンドは閑散としており、チケッティングの余地はあったろう。そして、地元の小学生を招待するような若年層ファン開拓の発想がなかったのは残念だ。マーチャンダイジングについても、物販のテントには初日から長蛇の列ができ、初日終了時点で売り切れ商品が続出。子ども連れなどが訪れる最終日の日曜にはすでに売り物がないという状況だった。これは間違いなく機会損失でもあり、その建て付けは再考すべきだろう。また、最近のスポーツ界ではNFTなどのデジタル商品も人気であり、こうしたITを取り入れた新しい領域が手つかずだった点は寂しい。スポーツベッティングは法的不可能だが、ファンタシースポーツぐらいは取り組むべきだろう。
イベントの盛況度合いについても残念だったが、ラリーそのものも荒れるに荒れた。まずは初日10日のデイ1、日本のラリー界をけん引、初回ラリージャパンにも出走した新井敏弘がSS1でクラッシュ。コ・ドライバーとともに病院に搬送される事故があり、残りがキャンセルされる波乱からスタート。そして、翌11日のSS2では、ダニ・ソルドのヒョンデが大炎上。クラッシュでもなく「シート間から出火」とのことで、コ・ドライバーとともに無事ではあったが、関係者のみならずファンにも衝撃をもたらした。