■勝因はリターンのバリエーション
決勝の相手はこの舞台にふさわしく、世界一位のヒューエットだった。ラウンドロビンでは「自分のやりたいテニスが長い時間できなかった」とストレートで敗れたが「あそこで戦って負けたからこそ情報を得ることもできた」とアルフィーの戦略に穴をあける作戦を持ち込む。
それはリターンゲームの仕掛け方にあった。「このレベルで勝つためにはリターンを完成させる必要があった」。小田にとってリターンは、ここ数カ月の取り組みでもウェイトを置いてきたショットだ。ジェラード戦でも重要な鍵となった。「サービスは僕自身の武器でもありますが、他の選手も本当に力強くて精度が高い。2ゲーム引き離しリードを広げるためにはリターンでの勝負が必要だった」と続ける。
これまでは外に出されたとき、スライスやロブを使ってセンターの深さを確保することを一番としてきた。だがトップ選手と当たるときほど、その後に主導権を取られることが多い。そのため「追い出されたからこそショートクロスやストレートを狙うことでプレーの幅が広がった」と勝負所でのリスクと確率を天秤に図れるようになってきたという。これにより今まで使っていたボディへの返球もさらに効果的となり、今までとは違うチャンスを引き寄せられるようになった。

優勝から凱旋帰国記者会見にのぞむ小田凱人 提供:トップアスリートグループ
誰もが目を見張るほど大きくなった身体で、小田は他の選手よりもクルクルとまわるように動きを止めない。車いすテニスに必要な体感の強さと瞬発力を磨き「もし主導権を取れなかったときも、今の自分なら動き回って逆襲できる」とフィジカルの強さが光った。そして以前は「球威があっても時間と共に対応されてしまう」と感じてきたことも「わざと相手に打たせてパッシングを抜いたり、球威があるからこそドロップが効いていた」と今季の遠征でバリエーションを磨いてきたことが結果につながった。
それは試合後の「自分のやりたいテニスが終始、できたから勝てた」という言葉につながるだろう。打つことだけじゃないテニスの綾を学んだからこそ、自身の最も強みである「1級品のショット」で勝ちきれたのだ。これまで1セットも取れずに負けていたヒューエットに6-4、6-3と突き放し、見事「世界一」の称号を手にいれた最高の瞬間となった。
■最年少記録を狙い続けてきた真意
晴れて凱旋帰国を果たした小田は、またひとつ増えたトロフィーを横に「最年少記録を狙える場所にいられるのは運もある」と語り出した。
サッカー少年が9歳で左股関節に骨肉腫を患い、人工股関節の手術の先にテニスと出会った。興味が沸いたのは、世界へと続く競技者としての道。自国にいる国枝慎吾というスーパースターの存在がその背を押した。資金をかけ飛び出した多くの国では、様々な境遇からテニスに賭ける仲間に出会う。そのすべてを一度振り返るようにし、最後に出た言葉はとても純粋な夢にかける想いのように思われた。
「僕がテニスを始めた頃からトップ8人はあまり変わっていないんです」そう切り出すと、急に少年らしい笑みが顔をだす。「その頃に見た選手が何年プレーを続けてくれるかは分からなかったですが、その選手たちと同じ舞台に立って、より長い時間一緒に戦いたかった。そしてそのメンバーに勝ちたい。だから必然と最年少記録を出し続けないと辿り着かないと思いました。それが最年少記録と言い続けてきた理由です」。
マスターズ優勝でランキングは世界4位へジャンプアップ。次に16歳が目指すタイトルは年明けの全豪オープンだ。「このメンバーと戦いたい」そう描いた6年前の夢のなか、小田はいま眩しいほどの光を放っている。
◆【NECマスターズ】16歳小田凱人、史上最年少優勝 車いすテニスツアー最終戦
◆シニアにステップアップ 四大大会に挑む小田凱人にかかる期待
◆小田凱人がプロ宣言、「人生を懸けたい」と見据える地平線の向こう
著者プロフィール
久見香奈恵●元プロ・テニス・プレーヤー、日本テニス協会 広報委員
1987年京都府生まれ。10歳の時からテニスを始め、13歳でRSK全国選抜ジュニアテニス大会で全国初優勝を果たし、ワールドジュニア日本代表U14に選出される。園田学園高等学校を卒業後、2005年にプロ入り。国内外のプロツアーでITFシングルス3勝、ダブルス10勝、WTAダブルス1勝のタイトルを持つ。2015年には全日本選手権ダブルスで優勝し国内タイトルを獲得。2017年に現役を引退し、現在はテニス普及活動に尽力。22年よりアメリカ在住、国外から世界のテニス動向を届ける。










