大迫傑選手(ナイキ)が3月1日に行われた『東京マラソン2020』で2時間05分29秒の日本新記録を樹立。2020東京五輪のマラソン男子代表に向け大きく前進した。
2019年9月15日に行われた『マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)』では3位に終わったが、その悔しさを糧に変えた。昨年12月から行ってきたケニア合宿をはじめとする地道なトレーニングが結実した。
3位に終わったMGCでの「判断ミス」
9月のMGCでは同い年のライバル、設楽悠太選手(Honda)がスタート直後から飛び出す展開だった。他選手は後続集団に残った大迫選手についていくのみだったが、この設楽選手の動きが大迫選手の焦りにつながった。
「マラソンは小さい判断の積み重ねが後半のタイムとなって出てくる」と話した大迫選手。MGCでは焦りから判断ミスがいくつかあったという。最後の2位を巡る勝負でトヨタ自動車の服部勇馬選手に負け、五輪代表内定を決められなかったのはそれが原因だ。
「東京五輪は僕の中でもちろん大きな存在。ただ(五輪代表選手に)決まらなかったということで、やらなきゃいけないことが出てきた。いまはそこに集中するしかない」
半年後の東京マラソンに出場することはそのときに決めた。
「最後は精神力」 敗北からの収穫を胸に臨んだケニア合宿
MGCから1カ月後の10月には所属していた『ナイキ・オレゴン・プロジェクト』がヘッドコーチのドーピング違反で解散するという憂き目に。
「僕を強くしてくれた大切なチームが無くなるのは悲しい」とSNS上につづったが、ナイキはその後も変わらないサポートを継続してくれた。
家族とともにアメリカに移住していた大迫選手が、東京マラソンのための練習フィールドとして選んだのがアフリカ大陸のケニアだ。標高の高いところで、地元のエリートランナーとともに未舗装路を走り続ける。これが自信になったという。
「いかに自分を信じられるか、最後は精神力であることが分かったのがMGC敗北の中での収穫でした。ケニアで練習方法を変えたわけではないですが、より質の高い、ボリュームのある練習ができました」
大会は新型コロナウイルスの影響で一般ランナー3万人以上が参加できなくなるという異例のレースだったが、「難しい問題で答えにくいんですが、開催される以上は自分自身のことだけに集中して臨みたい」と決意を新たにした。
地道な練習が結実 「1つ1つのマラソンごとに成長している部分を感じる」
ケニア合宿の成果が現れたのは東京マラソンの32km地点だ。
レースは2時間02分台の記録を持つアフリカ勢が第1集団を形成し、これに加わった日本選手は大迫選手と井上大仁選手(MHPS)だけだった。22km地点で大迫選手はいったん遅れるが、32kmで先行していた5位集団の井上選手らに追いついた。
「井上選手を含めて集団がちょっときつそうだと思った。普段だったらそこで後ろに位置して休むんだけど、チャレンジしてみようかなと思った。ケニアでの練習の中で、1人で走る、1人で耐えるということを学んだからです」
フィニッシュまで残り10kmあったが、振り切れる自信があった。大迫選手はさらに1人を抜いて日本勢トップとなる4位でフィニッシュした。しかも日本記録更新である。
「いままでもそうですけど、1つ1つのマラソンごとに成長している部分を感じることができているので、今回はたまたま記録という形で出た。なにかを大きく変えたわけではなくて、地道にやってきたことが実を結んだ」