【テニス】世界ランカー、日比野菜緒が全日本テニス選手権に与えた贈り物、そして大会から受け取った成長

全日本テニス選手権に6年ぶり出場の日比野菜緒 (C)Yoshiharu-Yokoyama

■世界ランカーが表彰式で見せた敗者の表情

新型コロナ禍、無観客開催となった今年の全日本テニス選手権の最終日、静寂さえ感じる有明コロシアムで日比野菜緒の心は揺れていた。

決勝戦では、ノーシードの秋田史帆に7-5、0-6、0-6の大逆転負け。セカンドセットからは誰もが想像していなかった展開に、本人もフラストレーションが溜まり、試合後には呆然とした様子でコートを眺めていた。

それにもかかわらず表彰式では、まるで子供のようなあどけない笑顔で逆転負けを喫した相手、秋田との幼少期の思い出話を口にし、彼女の強さを称える様がまた凛とし、成長を遂げた選手として私の眼に映った。

「これが今日の私のベストだった。そして5日間ですべてを出し切れた」そう言わんばかりに充実感に満ちているようにも見えた。

日比野は現在世界ンランキング71位をマークし、大坂なおみに次ぐ日本トップ選手としてWTAツアーを主戦にしている。先月、フランスで行われたストラスブール国際では、グランドスラム優勝の経験を持つエレナ・オスタペンコや、元世界3位でもあるスローン・スティーブンスを破る大金星をあげ、世界トップと渡り合えるテニスができていると自信を積み重ねたところだ。

その日比野が全日本テニス選手権に出場する。「これは楽しみだ!」と胸が躍ったのはファンだけでなく、参戦する選手たちも同様だったのではないだろうか。日本ランキングも1位で申し分のないプレーヤーだ。

最近の全日本選手権には世界ツアーで活躍するトップ選手は出場しないと囁かれ続け、実際にひと度優勝すると再び参戦する選手も減っていた。近年ではグランドスラム予選に参戦している選手や、そこに辿り着きそうなランキングを確保しているプレーヤーのみがシード選手として顔を並べていた。

■恩返しの想いもあった6年ぶりの全日本出場

日比野にはまだ全日本の優勝経験はない。だが、5年前にはタシュケントオープンでWTAツアー初優勝を飾り、日本を代表選手としての活躍を見せてきている。今年は、新型コロナウィルスの影響から海外ツアーのスケジュールもイレギュラーになり、この全日本テニス選手権に6年ぶりに帰ってきた。

「まず全日本に出場しようと思った一番の理由は、ツアーに出ているレベルの選手たちが全日本に出場しないことに寂しさを感じていました。国内最高峰と言われる大会に自分が出ることで少しでも盛り上がればいいなと思いましたし、普段からお世話になっている日本テニス協会の方々へ恩返ししたい気持ちがありました。サポートしてくれているからこそ、協会側もファンの人たちにより良いものを提供したい想いがあることも知っていたし、テニス界の発展のために自分のできることをしようと決めました。プレッシャーは感じるかもしれないけど、自分自身にとっても良い機会になるし挑戦するだけでしたね」。

■「勝って当たり前」という重圧と戦うことを決めた

世界トップを主戦としている日比野が第1シードとして登場し、優勝候補として大会の顔になったのは間違いない。どこからか聞こえてくる「勝って当たり前」という見えない重圧とも戦うことを決め大会にエントリーした。そして各選手が「打倒! 日比野」という闘志を内に秘め向かってくることを想定内に準備を進めたという。

「久しぶりの国内大会が6月のBEAT COVID-19 OPENでした。あの時は自分に気合いを入れすぎちゃって肩を痛めたりしたので、今回はプレッシャーがある中でも落ち着いてプレーができるレベルにいれるように心がけました。実際、試合に入ってみるとピリピリしてはいない自分がいて、この空間を楽しんでいるくらいにも感じられて、思ったより良い状態だなって……」。

今回は身体面や技術面よりも精神面に重きを置き大会5日間を過ごしたという。日比野は1回戦から落ち着きを見せ、劣勢場面でも感情に流されることなくゲームプランを実行し続ける強さが光った。自粛期間に取り組んできたコントロール精度を上げる作業は確実に本番の試合で実を結び、ネットプレーへと繋げる機会を増やすことにも成功。自身の能力を理解し、ラリー中にもスライスやループボールから攻撃のきっかけを生み出し、時には大胆に感じるほどの場面でサーブ&ボレーを仕掛け試合の流れを作りだした。

全日本テニス選手権に6年ぶり出場の日比野菜緒 (C)Yoshiharu Yokoyama

■他選手のモチベーションを高めた日比野の存在

試合後、本人は「みんなと技術の差はあまりないと思う」と発言していた。しかし、私には相手とのやり取りの中でしっかりと考え戦術を選んでいけるプレーが、やはりひとつふたつとレベルが抜き出ていたように感じたものだ。

決勝では重圧を感じ、思うように心と体の動きを合わせることはできなかった。それでも試合後、秋田からは「菜緒、全日本に出てくれて有難う。みんな、菜緒と対戦するのを楽しみに頑張ったところがあると思う。あなたの存在がみんなのプレーを引き上げた」と賛辞の言葉が贈られた。他選手からも「日比野選手と試合がしたかった」、「世界トップのレベルを体感できた」といまだグランドスラム出場に届かない選手や若手にとっても大きな刺激になったようだ。

「本当はみんなライバルだからピリピリした世界なのに、今回は私が出たからモチベーションが上がったとか、盛り上がったとか言ってもらえて…本当に嬉しかったです。優勝はできなかったけど決勝の舞台には進めたし、役目は果たせたのかなって思っています。こうしてライバルの選手たちから色んな言葉をかけてもらえて、今までテニスをやってきて一番嬉しい一場面になった」。

■「私は、また戻ってきたい」―全日本で得た特別な経験

国内最高峰と呼ばれる全日本テニス選手権、この場所で日比野は優勝に届かなかった。決勝で負けた事実は消えず、大なり小なり痛みが残るだろう。しかしトップ選手として出場したことで多くの人たちを魅了したことも事実であり、またひとつ成長へのきっかけを自身で掴み取ったようにも思う。

「今なら少し分かるんです。全日本の重圧と緊張感は特別だって。一度活躍すれば再び全日本に戻ってこなくてもいいってタイトルホルダーたちが思う気持ちも…主戦が海外にあると出場は難しい選択にもなるのですが…私は、また戻ってきたいです。世界ランキングも大切だけど、この全日本で良いプレーがしたい」。

負けた翌日にも、日比野は冷静に自身の気持ちを読み解いていた。終わってみれば、準優勝という結果と「出てくれて有難う」と思いがけない言葉の贈り物……。来年のオリンピック出場に向けてのスケジューリングや、コロナ禍でのめまぐるしい戦いの日々の中、このたったひとつの大会での経験が、また特別になった。

「本当に出場してよかったですよ。今回は最後に心がほっこりしちゃいました。沢山練習をして来シーズンも元気に頑張ります」。

日比野はまた自身の夢へと歩き出す。

6月の取材時「ツアーが再開した時には、誰よりも一番上手くなっていたい」そう話したことも、この全日本で見せたプレーから証明できたのではないだろうか。そして今回の敗戦で味わった落胆も、またさらにコートの上で乗り越えていってくれることだろう。

著者プロフィール
<文:久見香奈恵(ひさみかなえ)>
1987年京都府生まれ。10歳の時からテニスを始め、13歳でRSK全国選抜ジュニアテニス大会で全国初優勝を果たし、ワールドジュニア日本代表U14に選出される。園田学園高等学校を卒業後、2005年にプロ入り。国内外のプロツアーでITFシングルス3勝、ダブルス10勝、WTAダブルス1勝のタイトルを持つ。2015年には全日本選手権ダブルスで優勝し国内タイトルを獲得。2017年に現役を引退し、現在はテニス普及活動をはじめ後世への強化指導合宿で活躍中。国内でのプロツアーの大会運営にも力を注ぐ。

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