
創刊号表2の広告と「おデート」記事
表2は、岡村製作所による机の広告。数々の創刊号を眺めて来たが、私が知る限り机を表2広告とした唯一の雑誌である。
その対向に収まるコンテンツは「秋の夜の東京デート地帯」。東京・高輪のゴルフ練習場を舞台としたおデートの模様だが、お嬢さんのスカートの短さに注目。「ミニの女王」ツィギー初来日が1967年という時代ゆえに、まだこの丈が旬だったわけだ。
記事の見出しはまるで『東京カレンダー』のようだが、時代性ゆえか、おデートもどうも野暮ったい。これが昭和40年代の「洗練」か……。

ジャンボ尾崎、日本プロ初優勝
7ページには「速報! やったぜ、ジャンボ! 尾崎、歓喜の初優勝」という見出しが踊る。試合速報あり……と思いきや、扉と合わせ4枚の写真掲載、200字ばかりの雑感で終わっている。
ジャンボ尾崎にとってプロゴルファー・デビュー以来、メジャー大会初優勝がこの年の「日本プロゴルフ選手権」。その速報だけに、もう少々力の入れようがあったのではないか、思わず文句をつけたくもなる。

創刊号目次 東京・芝に打ちっ放しがあったとわかる広告
15ページの目次をご覧頂くと、ゴルフ誌というより、より週刊誌の香りが立ち込める。「2大連載小説」の次が対談となっているが、そのタイトルは「社会党とゴルフ」。しかもゲストは田英夫(でん・ひでお)。
若い方はご存知ないだろうが、田は共同通信社会部出身のジャーナリストであり、TBSの『JNNニュースコープ』のキャスターとして名を馳せた、キャスター政治家の走り。70年にキャスター降板後、71年に参院選立候補、当時成り立てほやほやの新進議員だった。以降、社会党、社民党の重鎮として34年もの議員生活を送った。もはや、それだけで総合週刊誌ネタではないか。

「黒い霧事件」の池永がゴルフに転向というホットな特集
なんと言っても「特集 池永プロゴルファーに転向?」は香ばしい。いまや、プロ野球「黒い霧事件」を知るファンも少なくなったことだろう。
西鉄ライオンズをメインとしたプロ野球、オートレース界を巻き込んだ賭博、八百長疑惑であり、当時同チームのエース格だった池永正明が永久追放を受けた事件の総称だ。
池永は1965年に西鉄に入団、新人王となると69年まで5年連続オールスターに出場、6年目に「黒い霧事件」に巻き込まれるまで100勝を達成していたスターだ。そのエースが球界追放後にプロゴルファーとしてデビューするというのだから、スポーツ界も沸き立ったことだろう。
実は尾崎と池永は同じ1965年西鉄入団の同期。そのジャンボが、日本プロゴルフ選手権で初優勝という話題に並び、池永のゴルフ界入りは旬のネタすぎる。尾崎は西鉄で、実働3年。投手としては0勝1敗、外野手としてはヒット2本でキャリアを終えている。ところが堂々の100勝投手が活躍の場をなくし、ゴルフ界入りするという話題なのだ。創刊号の目玉特集となったのは、あまりにも当然だ。
残念ながら池永はその後、スポーツ選手として活躍の場を与えられることもなく、公の場でその姿を見るのは2005年の永久追放解除まで待たなければならなかった。
池永と尾崎、100勝と0勝。しかしゴルフ界では、ツアー94勝12度の賞金王となったレジェンドのジャンボ、一方、事件後は世間から陽の目を見ることのなかった池永、凡人の我々は、そこに人生の光と影を見るばかり。
なお、池永の永久追放は、球界のあるレジェンドをかばうためだったという噂もあり、もはや真相はそれこそ黒い霧の中だ。
いや、創刊号の話だ。
























