フェデラーってどんな人?…20歳で訪れた師匠の死を乗り越えて

LONDON, ENGLAND - JULY 05: Roger Federer of Switzerland during a practice session on day twelve of the Wimbledon Lawn Tennis Championships at the All England Lawn Tennis and Croquet Club on July 5, 2014 in London, England. (Photo by Jan Kruger/Getty Images)

ロジャー・フェデラー選手。世界最高のテニスプレーヤーの1人だ。その輝かしいキャリアのことはよく知っていても、どういった人生を辿ってきたのかを把握している人は少ないかもしれない。

今回はそんなフェデラー選手の人物や経歴などを調べてみた。

(Getty Images)

「テニスは人生で、勝利することこそが、生計を立て、テニスを続けること」

1981年、8月8日にスイス・バーゼルに生まれる。両親は医薬品の会社に勤めている普通のサラリーマン。

バーゼルはスイスで最も歴史のある大学を擁する町で、劇場や美術館も数多く抱えており、フェデラー少年も他の少年と同様に、学業か、芸術の分野を極めていくことが期待されていた。

とはいえ、彼が強く興味を持ったのはほかでもないテニスだった。フェデラー少年の家族も共にテニスを楽しんでいたものの、学業や芸術の分野と比較して、あくまでも「娯楽」としてみなしていたようだ。しかしながら息子に理解のあった家族はフェデラー少年のテニスに向ける情熱を見出し、共にキャリアをサポートし続けた。

フェデラー少年が8歳になった時、地元のテニスクラブに入団。テニスに対する情熱はますます強まっていった。

1988年のウィンブルドンでは、ボリス・ベッカーがステファン・エドベリに敗北したときに号泣し、その時にフェデラー少年は「テニスは人生で、勝利することこそが、生計を立て、テニスを続けること」だと悟ったという。

テニスに対する情熱が高まるにつれ、しばしばフェデラー少年はショットを失敗すると怒り、自分のラケットをフェンスに向かって投げるようになっていった。両親は息子にとってテニスが「家族における趣味」のレベルから「人生を懸ける本気の」レベルまで昇華したことに気づき、オーストラリア人コーチのピーター・カーター氏に、フェデラー少年の指導を依頼した。結果的に、カーター氏から18歳まで指導を受けることになる。

(Photo by Marianna Massey/Corbis via Getty Images)

カーターコーチが与えたもの…「戦略」「心理学」「礼儀」

そして、フェデラー少年に不足していた「戦略」「心理学」「礼儀」の部分をカーター氏は教え始めた。それらがポジティブな効果を息子にもたらしていることに両親は気づき、結果としてフェデラー少年はカーター氏の指導のもとでより長い時間をテニスに打ち込むことができた。

「僕のテニス技術において最も大きなインパクトを与えた人」と本人は語る。また、競技面だけではなく、同時に同選手の人間としての成長にも、大きな影響を与えたコーチだった。

輝かしい選手キャリア

15歳になるとスイスの18歳以下のジュニアチャンピオンになり、これを機にジュニア選手として本格的に世界各国の大会を巡った。同年5月にはイタリアのジュニア大会で優勝し、初めて国外のタイトルを手にした。

16歳で迎えた1998年は、「無双」と言っても差し支えない年だった。全米オープン・ジュニア準優勝をはじめ、オーストラリア・ジュニア・ヴィクトリア選手権、フィレンツェ国際ジュニア、マイアミ・オレンジボウルで優勝。ウィンブルドン選手権・ジュニアに至ってはシングルスとダブルスで優勝し、ジュニア世界ランキングも1位に上り詰めた。

Once a ball boy, always a ball boy

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2003年、ウィンブルドンで、スイス人として初のグランドスラム優勝を成し遂げた。2004年には11大会優勝、74勝6敗(勝率92.5%)を記録。年間勝率の9割達成は15年ぶりの快挙となった。

2005年には足首の怪我などもあったが、その勢いは衰えを知らず、2006年には出場した17大会のうち16大会で決勝に進出。12大会で優勝する異次元の活躍を魅せ、戦績は92勝5敗(勝率94.8%)に上った。

20007年はウィンブルドン5連覇、歴代最長連続世界ランキング1位を達成。2008年はやや不調だったものの、オリンピック金メダルを獲得した。その後も、現在に至るまで1世紀を超えるテニス史で築かれた数々の記録を塗り替えてきた。史上最高のテニスプレーヤーとも呼ばれているのも頷ける。

奥さんと出会ったのは、シドニーオリンピック

2000年、シドニーオリンピックの最中に、同じくスイス代表であったテニス選手のミルカさんと出会う。ミルカさんは足の怪我などから2002年には現役を引退し、同選手のPRマネージャーとなった。

(c)Getty Images

(Photo by Osports/Getty Images)

(Photo by Bertrand Rindoff Petroff/Getty Images)

2009年に2人は結婚。同年に女の子の双子を出産。そして2014年には再び男の子の双子を出産した。二組の双子を出産したことになる。

(Photo by Daniel Leal-Olivas – Pool/Getty Images)

カーター氏の死を乗り越え、一流選手に

フェデラー選手を16歳の時から知り、現在はBBCラジオなどでコメンテーターとして活躍するデビット・ロウ氏が「フェデラーのキャリアに最も影響を与えた人物」として名を挙げているのが、フェデラー選手にとって最初のコーチだったカーター氏である。

カーター氏と、その奥さんがハネムーンで訪れていた南アフリカで交通事故に遭い、37歳の若さで他界したことを聞いた時、フェデラー選手は悲しみに暮れた。同選手が21歳の誕生日を迎える、一週間前の出来事だった。

それまで彼は死について考えることがなかったんだ。彼は一度立ち止まった」とロウ氏は語る。

この出来事が、フェデラー選手を人間的に成長させた。結果的にこの事件の後、それまでと比較して競技面でも多くの成果を同選手は出すようになっていった。

そして今でも、全豪オープンの際に、カーター氏の両親のメルボルンまでのチケット、ホテルの宿泊費用を負担し、試合後のパーティーにも彼らを招待し続けている。

永遠のライバル、ナダル

フェデラー選手の永遠のライバルであるラファエル・ナダル選手。2人は世界最高のプレーヤーとして広く知られてきた。

(c)Getty Images

両者の関係は、サッカーでいうクリスティアーノ・ロナウド選手とメッシ選手のような関係としても例えられることが多い。グランドスラムのタイトルを巡って、争うこともしばしばだ。

ナダル選手は、互いの関係をこのように語っている。

常にプラスの関係であり続けている。互いの尊敬、そしてたくさんの重要な瞬間を共有してきているし、それをいいやり方で迎え、追えている。私が誇らしく思っているところだ

(Photo by Lintao Zhang/Getty Images)

子どもたちにテニスをさせるのか?

フェデラー選手は、公然と彼の息子にはテニスをすることを強制しないと明かしている。

子どもたちが高いレベルでテニスをするつもりかどうかわかりません。しかし、どんなことであっても、スポーツであっても、彼らがしていることを楽しむことが重要だと思います

(Photo by Clive Brunskill/Getty Images)

フェデラー選手の豆知識

・フェデラー選手は2003年に初めてウィンブルドンで勝利した時、牛をプレゼントとしてもらい、「ジュリエット」という名前をつけた。

・キャリアを通してフェデラー選手は一度も試合を途中でやめたことはなく、常に勝利するか、敗北するかが決まるまで競技を続けてきた。

(Photo by Cameron Spencer/Getty Images)

《参考》

https://childhoodbiography.com/roger-federer-childhood-story-plus-untold-biography-facts/

https://www.atpworldtour.com/en/players/roger-federer/f324/overview

https://www.biography.com/people/roger-federer-13612203

https://www.scoopwhoop.com/Roger-Federer-Honours-Late-Coach-Peter-Carter/#.2g62blyf6

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