【MotoGP】ひとつの時代の終焉 バレンティーノ・ロッシの引退

 

【MotoGP】ひとつの時代の終焉 バレンティーノ・ロッシの引退
引退レースとなったバレンシアGPでのバレンティーノ・ロッシ(C)Getty Images

■日本人ライダーとの縁

ロッシがGPデビューを飾った125ccクラスは当時、日本人ライダーが席巻していた。94年から98年の間、日本人以外で王者となったのは、ロッシただひとり。坂田和人(94、98年王者)や青木治親(95、96年王者)、上田昇(ランク2位2度、優勝13回)との親交も深かった。96年の来日時には青木の群馬の実家に滞在したほど。

ロッシは、なによりもノリックこと阿部典史による1994年の日本GPの走りに感銘を受け、自身を「ろっしふみ」と称した逸話は日本のファンの間に広く知れ渡っており、ロッシが親日派であることと相まって、キャリア終盤まで多くの日本ファンを魅了し続けて来た。

バレンティーノ・ロッシ(2004年第15戦オーストラリアGPでの表彰台)(C)Getty Images

阿部は93年に18歳で全日本500ccのチャンピオンとなると94年の日本GPにスポット参戦。ケビン・シュワンツ(米)、ドゥーハンなどの後の王者たちを抜き去る離れ業で世界に衝撃を与えた。このレース、残念ながら世界GPデビューウィン目前にして残りわずか3周でリタイヤとなったが、ロッシを魅了するほどの走りだったと頷ける。

阿部は96年の日本GPで初優勝。片山敬済が82年の第10戦、アンデルストープでのスウェーデンGP以来、実に14年ぶりの日本出身ライダーの優勝だった。阿部は07年10月、公道を走行中、Uターンしたトラックに巻き込まれ還らぬ人となった。この後、ロッシは喪章をつけGP出走している。

26シーズンに渡ってグランプリの主役であり続け、125cc、250cc、500cc、MotoGPとすべてのカテゴリーでチャンピオンを獲得。アゴスティーニの不滅の記録さえ抜き去るのは確実と思わせたロッシのキャリアは2021年を持って幕を閉じた。GP出走は432戦、115勝、235度の表彰台を、金字塔と呼ばずにいられようか。

ロッシの引退は、またグランプリ史の一章が閉じた出来事だった。「ロッシの時代」を惜しみつつ、2021年を見送りたい。

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著者プロフィール

たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー

『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨーク大学などで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。

MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。

推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。

リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、クイーンズ区住民だったこともあり、ニューヨーク・メッツ推し。

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