【三菱ラリーアート正史】最終回 モータースポーツの新たなる胎動 そして復活への第一歩

 

【三菱ラリーアート正史】最終回 モータースポーツの新たなる胎動 そして復活への第一歩
アウトランダーPHEV バハ・ポルタレグレ出場車(C)三菱自動車

■驚きをもたらしたラリーアート復活宣言

時計の針を現在に戻そう。アウトランダーPHEVのラリー挑戦から数年が経過し、「もうラリーアート、モータースポーツの復活はないだろう」と思っていたところの復活宣言には誰もが驚いたことだろう 。

復活宣言直後の個人的やり取りゆえ、ここでお名前は控えるが、かつて経営階層におられたさる方も「本当に驚いた」とおっしゃられた。また、三菱自動車でのキャリアのほとんどをラリーアートで過ごし、現在はコルト・モータースポーツ・クラブ(CMSC) 本部事務局長としてラリーアートのスピリットを守ってきた、おそらくは誰よりもその復活を望んでいたであろう元マネージャー・須賀健太郎氏も当初は「半信半疑だ」と言っていたほどだ。

だが予兆はあった。増岡選手が2002年、パリダカ初優勝を成し遂げたワークス・パジェロが2021年春、三菱自動車本社ショールームに展示されたのだ。それまでの間、頑なにモータースポーツを拒絶していたかのような三菱が見せた変化だった。「ショールームにパリダカ・パジェロ展示の話が出たとき、販売をやめてしまったクルマの展示をしていいものか悩みました」。

そう語るのは、現在三菱自動車本社ショールームの責任者を務める丸谷美佐さんだ。丸谷さんはかつて宣伝部に所属しラリーアートの設立時を知る貴重な方でもある。当時のラリーアートに対しては「何を始めるかよくわかりませんでしたが、なんだかかっこいいなぁ、と」とも語ってくれた。宣伝部業務で多くの関わりを持ったこともあり「パリダカが大好きで」と丸谷さん。最終的にパリダカ・パジェロの展示を決まり「ショールーム搬入のためにキャリアカーからパジェロが下りてきた瞬間、心の底からワクワクして、またパリダカの空気に触れることができたのは、本当に嬉しかった!」と振り返る。

その後、ショールームを訪れた多くの方々からのラリーアート復活を喜ぶ声を聞く。丸谷さんは昔からのファンだけでなく、三菱自動車のモータースポーツ全盛期を知らない人たちにも身近に感じてもらえるようにラリーアートのブランドを活用していきたいと話を結んだ。

パジェロMPR9 ショールーム展示と同型の篠塚車

余談ではあるが私は三菱の現役社員時代、イベントで借り出したこのパジェロを「移動」というレベルながら運転したことがある。スパルタンな室内の割には運転しやすかった印象がある。それもまた、パリダカでのパジェロの強さを支えた要素のひとつであったと思う。

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もうお一人、現役の三菱自動車社員のお話を伺うことができた。本社で人事部門に従事する村田竜一さんは、2021年5月のラリーアート復活の発表に「三菱ファン社員を自認する私も、まったくのノーマークで驚きました」と話す。村田さんは40年以上前に生産されたギャランΣ(シグマ)を保有する、三菱自動車の社員であり熱烈な三菱ファンである。

同時に、いかにも管理部門の社員らしい冷静な一面を覗かせる。「赤字決算の報告の中でのラリーアート復活の発表には、コロナで先行きが不透明になりつつある中で『夢のある』、『お金のかかる』事業の再開に、本当にいいのだろうかと若干の疑問も抱きました。若手や中堅社員からも同様の意見を聞きました」。私はこの言葉に、逆に安心した。一斉に盛り上がって突き進むのではなく、「ちょっと待てよ」と立ち止まって考える姿勢に。しかし、最終的には三菱ファン社員の顔で語ってくれた。

「耐久試験の種類の多さ、目標となる基準値も高いのだと思います。そこに『ラリーという出題範囲不明の想定外試験』からのフィードバックが加わって商品開発に活かされてきたのは三菱の特徴であり、強みだと思います」。

なるほど、そういう言い回しがあったか!

ラリーを「出題範囲不明の想定外試験」としてクルマづくりを分かりやすく表現したことに驚いた。村田さんは自ら進んで販売会社に出向し営業現場を経験している。通り一遍のセールストークの通用しなくなっていた時代に得た、村田さん自身の強みだ。

村田さん所蔵のラリーコートは学生時代に購入したもの 写真提供:村田竜一

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