横浜DeNAベイスターズは10月23日に球団OBの三浦大輔さんとコーチ契約を結んだと発表した。
1991年のドラフト6位で入団してから引退する2016年まで、横浜一筋で投げ続け、ファンに愛された三浦コーチ。
コースに投げ分ける高い制球力を武器に、2005年には最優秀防御率と最多奪三振のタイトルを獲得。横浜のエースとして長くチームを支え続けた。
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. 横浜DeNAベイスターズは、2019年シーズンにおいて田代富雄氏・三浦大輔氏とコーチ契約を結ぶことを決定しましたので、お知らせいたします。 #welcomeback !! #baystars
トレードマークのリーゼントから「番長」のニックネームで親しまれた三浦コーチ。ベイスターズ復帰に、ファンは歓迎のコメントを寄せている。
- 楽しみぃ!番長期待してます
- 番長お帰り!
- わぁー!!!番長楽しみです!!
- おかえりなさい!来シーズン期待してます
25年間貫いた横浜愛
三浦コーチがエースとして投げていた時代、ベイスターズは決して強いチームではなかった。それどころか在籍した25年間でAクラス(3位位以上)入りは7回しかなく、ほとんどの年をリーグ下位で過ごす。
地元に高校野球の強豪・横浜高校があったこともあり、勝てない時期にはファンから「横浜高校より弱い」と野次られた。
個人タイトルを獲得できるほどの投手だった三浦コーチに、野球ファンは「他のチームならもっと勝てる」「所属する球団を間違えた」などの感想を寄せた。
三浦コーチもキャリアのなかで迷った時期があったのか、2008年に一度フリーエージェント(FA)を宣言している。だが、このときは阪神が獲得に動きながら、「強いチームを倒して優勝したい」と横浜に残留した。
2012年に通算150勝を達成したときには、熱狂的なファンからの声援に「横浜に残って良かった」と応えた三浦コーチ。
オフに出演したテレビ番組では「違う球団ならもっと勝てたか」の質問に「それはない。俺は横浜の三浦だから」と横浜愛を語りファンを喜ばせた。
横浜を愛し、横浜に愛された三浦コーチ。引退試合の日には横浜スタジアム近くの関内駅が特別仕様になり、電光掲示板にお疲れさまメッセージが流れるなど盛大に送り出された。
関内駅の電光掲示板がしゅごい#baystars pic.twitter.com/Q471OkPYJV
— さ (@s_n_llows) 2016年9月29日
地下鉄関内駅の三浦大輔選手のパネルに…ご本人のサインが!掲出期間も延長される模様です(予告なく掲出終了する場合があります)。ご覧の際は、長時間立ち止まらないようお願いします。ヨ・ロ・シ・ク!!https://t.co/Yz28FC4mtY #横浜 #baystars #永遠番長 pic.twitter.com/bO9Nc3drdk
— 横浜市広報課 (@yokohama_koho) 2016年9月27日
選手では優勝を経験することなく引退した三浦コーチだが、指導者として横浜を頂点に導きたい。
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