【NBA】ビル・ラッセルの背番号を全チームで永久欠番に 「バスケ界のベーブ・ルース」とコミッショナー

 

【NBA】ビル・ラッセルの背番号を全チームで永久欠番に 「バスケ界のベーブ・ルース」とコミッショナー
2011年2月15日、オバマ大統領(当時)から自由勲章を授かるビル・ラッセル (C) Getty Images

米プロバスケットボール協会(NBA)は11日、ボストン・セルティックスを11回の優勝に導いたレジェンド、ビル・ラッセルが7月31日に亡くなったのを受け、彼の背番号6をリーグ史上初めて全チームで永久欠番にすると発表した。

なお、ラッセルの出身校であるサンフランシスコ大学およびプレーしたボストン・セルティックスで背番号6はすでに永久欠番に指定されていた。

【実際の映像】2012-22シーズン、ファイナルで破れた相手ゴールデンステート・ウォリアーズを讃えつつ「来年こそ、ボストン・セルティクスの番だ!」と怪気炎を上げるビル・ラッセル 

■NBA8連覇、1試合50リバウンド

ラッセルは1946年にスタートしたNBAにおける最初のスーパースターとされ、まさに伝説として語り継がれて来た。現在のNBAがあるのも、また名門セルティクスの礎も、彼に寄るところは多いだろう。

彼はサンフランシスコ大学のメンバーとして、NCAAチャンピオンも55年、56年と連覇。56年のメルボルン五輪では米代表チーム・メンバーとして金メダルも獲得している。

1956年にセルティックスに入団、フランチャイズ・プレーヤーとして活躍。セルティクスは1959年から66年までNBA8連覇を達成。現在でも米スポーツ最長の黄金期とされている。セルティックスはラッセルの在籍期間中、57年さらに68年、69年には2連覇を成し遂げ、11度チャンピオンを獲得。名門の揺るぎなき礎を築き上げた。

NBA通算記録は、1万4,522得点 (1試合平均15.1 得点)、2万1,620リバウンド (1試合平均22.5リバンウド、4,100 アシスト(1試合平均4.3 アシスト)。レギュラーシーズンMVPは5度、オールスターにも12度選出。

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そのスコアリング能力よりも「ディフェンスの鬼」と呼ばれたリバウンドの多さは特筆すべきで、そのキャプテンシーでも一目を置かれた。1試合100得点のNBA記録を持つウィルト・チェンバレンでさえも、白旗を挙げたとされる。NBA史上、1試合に50リバウンド以上を奪取したプレーヤーは、そのチェンバレンと2人のみである。

レイカースのチェンバレン(右)をブロックするラッセル1969年4月27日 (C) Getty Images

彼は自叙伝で自らのディフェンスについて「相手の動きを事前に観察し、すべての動きを記憶しておくことだ(訳・たまさぶろ)」と語り、相手を止めるため鏡の前で夜中までディフェンスのイメージトレーニングを重ねたという。

リーグ史上、黒人としておそらく初めて「スター」と認められたん選手であり、66年には米スポーツ史上初めて黒人のヘッドコーチに就任。人種差別とも戦い続けた。NBAは2009年、ファイナルのMVPトロフィーを「ビル・ラッセルNBAファイナルMVP賞」と名称変更をしている。さらに11年には、公民権運動への貢献も認められ、大統領自由勲章を授与している。

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