もはや、体育館というよりもアリーナと呼ぶことのほうに馴染みがある。そしてリーグ戦にしても代表戦にしてもスタンドは埋まり、アリーナ内の華やぎは一昔前までには考えられないものだった。
しかしもし、あの時「あのこと」がなかったならばわれわれが今日、日本のバスケットボール界で目にしているそのような光景はありえなかったかもしれない。
2014年の終盤から2015年の夏にかけて、日本バスケットボール協会(JBA)はFIBA(国際バスケットボール連盟)から資格停止処分を科され、国際大会への出場が禁止された。
日本バスケットボール史における暗黒の時期を、最も象徴する出来事だった。
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目次
■Bリーグ創設に成功したタスクフォースは活動終了
資格停止の理由は以下の3点だった。
・国内にNBL、bjリーグという2つの男子トップリーグが存在していたこと(FIBAは1国、1リーグを原則としている)
・JBAのガバナンス強化(2006年に日本開催FIBA世界選手権で大きな経済的損失を出すなど、ビジネス感覚を持つ者が協会運営をしていない)
・2020年に東京オリンピックがあるにもかかわらず、男女日本代表チーム(ユースカテゴリーを含む)の強化が十分でないこと
これを受けFIBAは、JBAが機能不全に陥っているとし「JAPAN 2024 TASK FORCE(タスクフォース)」を設立し、同協会の体制の抜本的改革にあたった。川淵三郎(当時・日本サッカー協会最高顧問)とFIBA財務担当理事のインゴ・ヴァイス氏を共同チェアマンとしたプロジェクトチームは剛腕を振るいつつ、体制の刷新や2つのトップリーグと統合してBリーグ創設に成功した。
タスクフォースは以降もモニタリングを行ってきたが、当初の予定通り設立から10年が経った(プロジェクト名に「2024」とつけられたのは終了年を指していた)ことで終了となった。
終了にあたり1月21日、JBAは東京都内で記者会見と開催。川淵氏、ヴァイス氏、そして現JBA会長の三屋裕子氏が登壇し、この10年を振り返った。
■「Bリーグの急激な発展には驚くばかり」
1993年に始まったJリーグ創設の主要人物として本来、門外漢のバスケットボール競技の立て直しのために招聘された川淵氏も、自身が大鉈を振るった結果としての改革成功だったとはいえ、「Bリーグの急激な発展には驚くばかり」と率直な思いを述べた。
ドイツ人のヴァイス氏はタスクフォースが「達成すべき目標のすべてを達成したと考えている。日本には素晴らしい男女の代表チームがあり、組織としても生まれ変わった」と話した。
資格停止とタスクフォースの設立は、2020年(のちに新型コロナウイルス蔓延の影響で翌年へ延期)に東京オリンピックが迫っていたことも絡んでいた。開催国は自動的に出場権を得られるというのが通例だったところに、FIBAが牽制を入れた。
例えば、2014年12月の時点での男子日本代表チームの世界ランキングは47位で、1年後には同48位にまで落ちる。男女各12か国しか参加できないオリンピックにおいて、実力が不足したままでは出すわけにはいかないということだ(2012年のロンドンオリンピックに際してのイギリス代表にも同様の要求があったが、最終的には出場にこぎつけている)。
こうして代表チーム強化について尻に火をつけられた形となった日本協会は、ヘッドコーチに元アルゼンチン代表指揮官だったフリオ・ラマス氏を招聘し、その他、スタッフもNBA経験者を採用するなど、世界を見据えた環境整備に着手。また、日本で長くプレーするアメリカ出身選手の帰化選手を代表チームに取り込むことにも本腰を入れた。
■薄氷を踏むような形で実現した体制変更
こうした体制変更によって結果を出すことができた。ただそれは、薄氷を踏むような形で実現したものでもあった。
2019年に中国で開催のFIBAワールドカップ出場を目指した日本代表は、アジア予選開幕から4連敗を喫しあとがなくなった。しかし、Bリーグの初代MVPとなり帰化を果たしたばかりのニック・ファジーカス氏(当時・川崎ブレイブサンダース)と当時、米ゴンザガ大学でプレーしていた八村塁(現NBAロサンゼルス・レイカーズ)が加入したことで強豪・オーストラリアを撃破し、その後も負けなしの7連勝(この間、当時すでにNBAでプレーをしていた現・千葉ジェッツの渡邊雄太も参戦した)。逆転でワールドカップ出場切符を手にしたことは、見る者を歓喜させた。
ワールドカップ出場は、東京オリンピックに開催国として出場する最低限の条件だったことは間違いない。オリンピック開催国が実際に出場が叶わなかった例はないものの、2023年のワールドカップではフィリピン、日本と並ぶ共催国だったインドネシアが、実力不足を理由に参加を認められていない。大会の規模などが違うとはいえ、これを見ると、ワールドカップ出場を逃した場合の日本が東京大会に出場できなかった可能性は十分あったのではないか。
仮定は、それだけにとどまらない。2023年のワールドカップで日本はトム・ホーバスHCの指導の下、ワールドカップで初めてヨーロッパのチーム(フィンランド)を破るなど、同国としては史上最多の3勝を挙げて、2024年のパリオリンピック行きを決めた。
2019年のワールドカップを逃していれば、東京オリンピックにも出られなかった。2つの世界大会での経験なしに2023年の成功はあったかといえば、怪しいのではないか。そのことは、全敗を喫しはしたものの、強豪のフランスをあわや倒すところまで迫ったパリオリンピックでのプレーぶりについても同様だ。
■川淵氏「10年前は本当に情けないバスケ界でした」
2023年のワールドカップの直前。2019年のワールドカップから常に代表チームで主要選手として活躍を続けていた富樫勇樹(千葉ジェッツ)は、中国でのワールドカップや東京オリンピックには「出ることに必死だった」と話し、しかしそうした世界大会への出場の経験が「いい意味でチームとしての自信」につながっていると話した。
当時、代表のキャプテンだった富樫はまた、こうも述べている。「もういい経験になった、ではすまされないと思っている」。中国、東京で日本は未勝利に終っているが、いずれにせよそれは2つの世界大会に出場していなければ口にできないことだった。そうした「経験」も、JBAの資格停止を経ての代表強化なくして積むことができたのか、ということだ。
また、Bリーグ設立の影響も多大である。資格停止はNBLとbjリーグの2リーグ並立が大きな原因だったことについては書いた。だが、日本のトップリーグのプロ化は1993年にまで遡るもので、しかし議論はするものの実現にはなかなか進まずに時間だけが経過しいくという、なかば不毛な時期が長く続いていた。その状況に業を煮やした人たちによって作られたのがbjリーグだったのである。
Bリーグは2016~17年に開幕した。一文にするとそのようになってしまうが、2つのリーグの統一は難事業だった。川淵氏は、プロリーグの方向性が決まりながら多くのクラブからの反対に遭い「怒り心頭だった。バスケ界はいったい、何を考えているんだ」「10年前は本当に情けないバスケ界でした」と当時の心境を回顧した。
かくして始まったBリーグだったが、年を経るごとに人気と認知を獲得し、同時に競技レベルが上がっていった。やってくる外国籍選手の質も同様に上昇していった。同リーグはNBAに次ぐ世界第2位のバスケットボールリーグになることを目標にしているが、収益など商業的な面においては現段階でもすでにそれを達成しているところがある。
こうしたBリーグの成長・発展は、代表チームの強化にも確実に資している。その最たる例が河村勇輝(NBAメンフィス・グリズリーズ)で、八村や渡邊のように海外への留学経験なくBリーグと日本代表でのプレーを通じて実力を磨き、世界最高峰の場所へたどり着いたのは、Bリーグの競争力向上なくしてはありえなかった。もっといえば、2リーグの統一が難航し、頓挫、あるいは遅れが生じていたならば、どうなっていたか。
その場合は、代表の強化にも影響が出ていたはずだ。再び富樫の言葉を引用すると、彼が10代だった頃には「オリンピックを意識したこともなかった」と話している。意識するほどのレベルに日本がなかったということだ。富樫はその意識外にあったオリンピックには東京およびパリ大会で出場を果たしているが、パリ大会前には「バスケット界が変わってBリーグもできて、2回目のオリンピックに出場できる可能性が近づいていることは本当に幸せなこと」だと深い感慨を示していた。
■日本バスケ界の勢いは増す一方
Bリーグの発展や日本代表の世界大会出場も、すべてが点で起きていたというよりも線でつながっていたとするのが妥当だ。それもこれも、資格停止とタスクフォースの設立が始まりだった。そう帰結していい。
「男女ともにオリンピックに出場するだけでも十分、強化をしている証でありますし、高いレベルに達してきているわけです。日本の男女代表が2大会オリンピックに出場したことは褒め称えるべきです」
近年、世界大会出場を続ける男女の日本代表チームについて、ヴァイス氏はそのように感想を述べた。
JBAの資格停止の段階でFIBAの事務総長を務めていたパトリック・バウマン氏(故人)は当時、東京オリンピックが「日本のバスケットボールに与える機会を活用できるようにするためにも、JBAの組織および国内競技大会がFIBA定款に完全に準拠するために重要な変化をもたらす絶対的な時期であると確信」しているとコメントしている。
そして彼は、こうも強調している。
「バスケットボールは日本において主要スポーツとなる大きな潜在性をもっていると信じています」
バウマン氏のその言葉は果たして、具現化された。そして人気を伸ばし続けるこの国のバスケットボールの勢いは、衰えるどころか、増していく一方である。
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永塚和志(ながつか・かずし)
スポーツライター|元英字紙『ジャパンタイムズ』スポーツ記者で、現在はフリーランスのスポーツライターとして活動。国際大会ではFIFAワールドカップ、FIBAワールドカップ、ワールドベースボールクラシック、NFLスーパーボウル、国内では日本シリーズなどの取材実績がある。